第36話 警戒がお留守に


 そう、最近気づいた。

 私は興味のある食べ物を目の前にすると、警戒心が完全にお留守になるのだ。

 軍の拠点でのグリーンライムしかり、今回の蜂蜜もしかり。

 欠食症状かよって自分でも思うんだけど、やめられない。


 手をあげろと声をあげた人物、それは修道女の後ろに控えていたお付きの一人だった。


 センター分けされた前髪の隙間からみえる眉間が大きく顰められ、緊張に顔をこわばらしているのが見える。それでも、手にした銃はぶれずにこちらに向いていた。


 瞬間、こいつだけはり倒して逃げようかとも思ったけど、その前に電撃が来るだろう。服従魔法は私がやろうとする事に反応するのだ。自分でも電撃が来るだろうと思う行動をすれば、そりゃもう確実に電撃が来る。


 迷いながらも何も手を打てていない間に、事態はどんどん進んでいった。

 ドアの向こう側からいくつかの明かりが近づいてくる。お付きの者の叫び声に気が付いたのだろう。


 姿を現したのは、もう一人のお付きの者、そしてここまで一緒にきたメンバーも次々と姿を見せる。最後に、エイスまでやってきた。


 ……あああ、これは詰んだ。詰んだかもしれない。


 とにかく抵抗する事をやめ、お付きの者たちの言葉に従い床へと伏せる。

 大人しく従ったにも関わらず、両手両足を縛られた。


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」


 ストレスがたまると発狂したくなるよね。

 溜まったキチゲを発散しながら、毛虫状態で床を転がると、それを危険と感じたのか、「動くな!」の叫びと共に、お付きの者が私の額に銃口をつけた。


 結局私は、毛虫状態で銃口を向けられたまま、ギャラリーに取り囲まれる事になった。

 そんな私を見下ろしてくるメンバーの表情は、ひどく痛々しいものだった。


 あぁ、ストレスがマッハだ。せっかく魔法で地位が向上してきた頃だったのに。


 ここからどうやって一発逆転できるかを考えてるうちに、ふと取り囲んでいるギャラリーの輪が割れた。


 割れた先から姿を見せたのは、例の修道女だ。


 さすが修道女といった所か。メンバーのように露骨に私を蔑ずむような目で見たりせず、優しく柔和な表情を浮かべている。


「ルーさん……お伺いしてもよろしいでしょうか?」

「ふぁい」


 修道女は私の名前を知っているらしい。大方、エイスあたりが伝えていたのだろう。


「ここで何をされていたのでしょうか?」

「……お腹減ったから食べ物を探してましたー」

「その割には、倉庫ではなく執務室を探されていたようですが」

「だって実際に食べ物があったじゃないですかー」

「食べ物? あれの事なら、あれはただの蜜蝋です」


 割れた瓶に視線を向ける修道女。

 確かにあの瓶に指を突っ込んだら、意外と固かった気がする。この世界の蜜蝋は見た目が完全に蜂蜜なのか。おのれ、蜜蝋め。あれじゃクマのぷーさんも騙されるわ。


「だって、本当に食べ物だと思ったんですもの……」

「そうでしたか。ただ、机の小さな引き出しを探されていたのも不思議ですね」

「ほら、事務作業とかしてたら小腹が減るじゃないですか? だから引き出しに甘い物でも入ってんじゃないかなって」

「……ルーさんは、事務作業などをされていた事があるのですか?」


 前世の記憶に引っ張られて言ってしまったけれど、確かに事務作業をしてる時の気持ちが分かる奴隷ってのも珍しいよね。


「いや、奴隷農園の主人がそう言ってたなーって」


 背中に一筋の冷や汗が流れた気がした。


「そうですか。あくまでお腹が減って食べ物を探されていたと」

「はい……」

「ルーさん、けれどもあなたがいた分隊は、特殊な事情……そう、あなたという特殊な事情があったからこそ食べ物に事欠くことはなかったと聞いています。にも関わらず、食べ物を探す為にこんな夜中に執務室に忍び込んで机の中を調べていたと」

「はい……お腹減ったなー。なんか寄越せー……」


 その瞬間、ほんの少しだけ修道女の瞳が曇った気がした。


「そうですか……あくまでもそう仰るのなら仕方がありません」


 修道女が、白い綺麗な右手をこにらに向けた。


「……エクスタリシア様!?」


 お付きの者が驚いたような声をあげた。


 次の瞬間――修道女の右手の周囲に、黒い光が溢れ出す。


「!?」


 ぎょっとして、自然と身体が跳ねた。


「シスターエクスタリシア!?」


 叫ぶようなエイスの声と同時に、光でできた文字のような文様が現れた。


 これはあれだ。あの魔法だ――。


 とにかく慌てて逃げようとした。

 けれど、お付きの者に抑えられていて動くことができない。


宣告アブソリュート隷属スクライブ


 修道女の右手から生まれた雷光のようなものが私の奴隷印を打ち付けた。


「いっやああああああっ!」


 その瞬間。

 パリンと何かがはじけるような音がして、光が消えた。


「!?」


 部屋を満たす光も、修道女の右手の光る紋様も、ガラスが砕けたように割れて消え、元の薄暗い部屋へと戻った。


「……!?!?」


 心臓がバクバク打つのを感じながら、私は胸元の奴隷印を確認した。それで何がわかるわけでもなさそうだが、それでも確認せずにはいられない。


「……シスターエクスタリシア」


 かすれるような声でエイスが修道女に声をかけた。


「……どうやらルーさんには既に主人がいるようですね」


 そうか、この服従魔法は上書きできないのか。修道女はそれを確かめるために……。


 エイスやメンバー達が一斉に私へと視線を向けてきた。何かを言いたそうな顔をしながら。


「いや、その……」

「既に何らかの命を受けている可能性が高いでしょう。……ルーさんはこの事を皆さんに告げてましたか?」


 やばい、この流れはやばい。

 まさかこんな風に服従魔法をけしかけられるなんて思いもしなかった。


「…………」


 怒りなのか、悲しみなのか、それとも失望なのか、何とも言えない視線を私へと向けてくるメンバー達。

 あぁ、胃が痛い。


「どうやらアリシャさんにも事情を聞かなければならなさそうですね」


 さらりと言ってのけた修道女。

 そうか、まずは疑われるのはアリシアか。


 ……うん、ごめんアリシア、いま思いっきりそっちに面倒事が飛んでいったわ。

 あとは任せるからよろしくね。


 もう笑うしかない状況に、私は思いっきり現実逃避することにした。

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