第19話 情報と状況
だからこそ、話の方向を別の方向へと振ってみた。
「……大でも小でもない場合はどうすれば?」
「中なんてないぞ?」
「……足して2で割ってなんて言ってない」
「おお! ルーはすごいな。計算ができるのか」
そうだった、この世界の奴隷は教育なんて受けていない。足し算はまだしも割り算なんて知らないのだろう。まぁ、この男も知ってるっぽいからそこまで大したことでもないんだろうけど。
そんな風に考えているせいで、さらに言い淀んでいるように見えたか、男は「いいから、遠慮せずについてきて」と言って立ちあがる。
何とか言い返そうと考えているうちに、さらに言い淀んでいるように見えたか、男は「いいから、遠慮せずについてきて」と言って立ちあがる。
……こいつはどうしても私を大認定したいらしい。
「私、ほんとに目が覚めただけで」
「あ、そうなのか? ごめんごめん」
ここで初めて大認定が解除された。ここからなんとか傷ついたプライドと、会話を立て直したい。
「私こそごめんね。でも、お陰でしっかりと目が覚めたよ」
言いながら、大認定男の近くまで歩みよる。
「だからちょっと気持ちが落ち着くまでお話ししてくれると嬉しいな。私、まだあなたの名前も聞いてなかったし」
ついでに情報収集をしようと、大認定男の横に腰掛けた。
大認定男も、暫く私を見つめたあとに、苦笑して同じように腰を下ろす。
「……名前すら聞いてこないから、なんの興味もないんだろうと思っていた」
売る相手の名前なんて知らない方がいいに決まっている。だから本当は聞きたくないんだけどね。
「あ、いや、ほら、頭がパニくっててさ」
「……そうだったな、ごめんな。俺の名前はエイスだ。ここの拠点の取りまとめをしている」
「そうなんだ、リーダーなんだ、凄いね」
まぁ、リーダーにも色々あるけどね。私なんかは子分に使われてたリーダーだし。
「いや、代理ってだけで、リーダーではないかな」
代理というのはどういうことだろう、これも聞いておかなければならない。
「そうなんだ、リーダーはあの大きな体の人?」
「あいつはクロッシュ。リーダーではないけど頼れる奴だよ」
「じゃああの黒い人?」
「あいつはレド。あいつもリーダーではないけれど優秀な奴だ」
「そうなんだ……じゃあリーダーって誰?」
「……気になるかい?」
かなり無遠慮に聞きまくってしまったのがよくなかったか。エイスが私に意味ありげな視線を向けてきた。
「あっ、うん。エイス達ってみんな強かったじゃん? あいつらを一瞬で倒しちゃって。そんな人たちのリーダーなんて一体どれだけ強いんだろうなって」
「そうだな……別に強い人ってわけではないかな」
「そうなんだ。強くなくてもリーダーってできるの?」
「そうだな、ルーは……逃げてきたんだよね」
「えっ、そ、そうだよ?」
いきなり変えられた話の流れと声のトーンに、私は一瞬だけ引いた。
「ルーは……どうして逃げてきたんだい?」
「え、いや……だって誰でも嫌でしょ? あんなところ」
私は、クルーシャの奴隷農園から逃げてきた設定にしている。私の出身はクルーシャではなく別の農園で、既になくなってはいるが、どこの農園でも嫌なのは変わらないだろう。
「そうだよな、俺も嫌だった。生きているのが辛かった。けどもそれが当たり前だと思って生きてきた」
返答を要求している様子もなかったので、とにかくそのままエイスを見つめ続ける。
「けれども、その人は当たり前なんかじゃないと言ってくれた。だから、今、俺たちは戦っているんだ」
「……その人が、エイス達のリーダー?」
「まぁ、そんな所かな」
「その人って、ここにいるの?」
「内緒」
「えーーっ、けちっ!」
ここでお預けとは。私はわざとらしく口を膨らませてみる。
ただ、この口ぶりからして、リーダーはここに居ない可能性もありそうだ。さらにエイスが使う「拠点」「代理」という言葉。この組織は階層構造になっていて、ここはただの一拠点でしかないのだろう。
「ルーが仲間になるんだったら教えてあげてもいいんだけどね」
「は?」
思わず素が出た。
急展開すぎて声が零れる。
「ルーとアリシャはすごいよな、自分たちの足で逃げてきたんだ。それはすごく勇気がいる事だと思う。普通できることじゃない」
逃げてきたことを随分と評価してくれているらしい。
確かに考えてみたら、こんな情勢で女二人で逃げるなんて勇気のいる行動には違いない。まぁ、どっちにしろ嘘なんだけども。
「けれどルー。考えたことはないかい? 自分たちだけじゃなくて他のみんなはどうなんだろう、って」
「…………」
これは……私の嫌いな「正論」というやつだろうか。そんな思いが表情に出てしまったかもしれない。
「気分を悪くしたかい? 責めるつもりはないんだ。そうだな……言い方を変えると、ルーにはアリシャという仲間がいた。だからここまで逃げてくる事ができた。だからこそ……多くの仲間がいればもっと多くの人が助けられると思った事はないかい?」
「…………」
「仲間がいれば……力になる。力があれば、今と違った未来が描ける。お腹も減らず、鞭にも打たれず、明日に怯えながら眠る事もない。俺らにもそんな未来があってもいいと思ったことはないかい?」
私はエイスの言葉をどこか遠い気持ちで聞いた。
私には前世の記憶がある。だからこそ分かる事がある。前世の世界ですら奴隷解放には多くの血が必要だった。
ましてや、「奴隷システム」が存在しているこんな世界ならなおさらだ。
私は、魔法という特殊能力がある。だからこそ目の前のエイス達よりも、そんな理想に近い位置にいたのだろう。
けれど、例えどんな力を持っていようが、私たちはアリシアのような人間に服従されたら終わりなのだ。
それを最も強く感じさせられているのが今の私だった。
「……思ったことはなくはないよ。でも……そんなのは無理だよ」
今回だけは演技ではなく、思っている事を伝えた。
「無理かどうかじゃなくて、やるかやらないか、だけだよ」
……なんだか予備校の教師みたいなこと言ってんな、こいつ。
このクソ奴隷システムは、気持ちでどうにかなるものでもないのに。
結局何を言っていいか分からずにいると、エイスが小さく息を漏らした。
「ごめんな、難しい事を言っちまって。お詫びにいい物をあげよう、ちょっとついてきて」
言うなり立ち上がり、洞窟の奥の方に歩き出す。私は慌ててその高い背を追った。
曲がりくねった通路の先にあった小さな空間、そこに小さなランタンと小さな荷物が一つずつ置かれている。エイスはその荷物に手を突っ込んで握りこぶしほどの赤い実を取り出した。
「さっき凄い音で腹を鳴らしてただろ? やるよ」
赤い実を私へ渡してくる。
これは……冬によく食べられるレンズの実だ。ラムの実より少し大きく、そして酸っぱい。
「……え、いいの?」
ドヤ顔でうなずくエイス。
いや、レンズの実なんて渡されても正直うれしくない。
けれど、その心の声をそのまま口にするのも違う気がしたので、促されるままに食べる事にした。
とにかく思いっきり口を開けてかぶりつき……って酸っぱ!
思った以上の酸っぱさに顔がきゅっとなる。
「ごめんごめん、まだ酸っぱかったみたいだな」
エイスが意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「お詫びってか……これってさっき否定した仕返しだったりしない?」
「ごめんごめん、そういうつもりじゃ」
口の端を吊り上げるエイス。つまりYesという事だ。こいつも性格がねじ曲がってんな。
「でも、そうだな、食べてみないことには酸っぱいかどうかも分からないからな。ほら」
もう一つ寄越される。警戒しながらも少しかじると、そちらは先ほどのものよりも甘かった。
「甘い」
「だろ? やっぱり、試してみないと分からないものがあるってことだ」
……これは先ほどの勧誘の続きだろうか。随分と回りくどい勧誘をしてくるけど、この手の語り口で、落としてきた人間が何人もいるのだろうか。
どちらにしろ、これ以上粘られたら自然と出て行くのが難しくなる。だから、ここできっぱりと断っておく必要があった。
「……私はアリシャに恩があるの。だから、早くアリシャをキルキスまで届けなきゃいけない」
「……そっか」
エイスの灰色の目がふっと細くなった。
「とりあえずまだ朝まで時間がある。ルーもかなり疲れているだろう? 今日はゆっくりとお休み」
私の頭をポンポンと叩くエイス。そのエイスの表情からは、非難や糾弾といった類のものは一切感じられなかった。
その後は、あたりさわりのない話をした。洞窟とか、食べ物とか、どうでもよい話をしながら、元いた場所へと戻っていく。
勧誘の話はもう出すつもりはないみたいだった。
元居た場所まで案内され、手を振り去っていくエイスの背中を見届けてから、眠っているアリシアの背中へと視線を直す。
規則正しく上下するアリシアの背中を眺めていると、心の中になんだかよくわからない迷いが生まれてくるのを感じる。
私は、それをアリシアの髪の毛をひっこ抜くことで解消した。
……こいつはどうしても私を大認定したいらしい。
「私、ほんとに目が覚めただけで」
「あ、そうなのか? ごめんごめん」
ここで初めて大認定が取れた。ここからなんとか崩れたプライドと、会話を立て直したい。
「私こそごめんね。でも、お陰でしっかりと目が覚めたよ」
言いながら、大認定男の近くまで歩みよる。
「だからちょっと気持ちが落ち着くまでお話ししてくれると嬉しいな。私、まだあなたの名前も聞いてなかったし」
ついでに情報収集をしようと、大認定男の横に腰掛けた。
大認定男も、暫く私を見つめたあとに、苦笑して同じように腰を下ろす。
「……名前すら聞いてこないから、なんの興味もないんだろうと思っていた」
売る相手の名前なんて知らない方がいいに決まっている。だから本当は聞きたくないんだけどね。
「あ、いや、ほら、頭がパニくっててさ」
「……そうだったな。ごめんな。俺の名前はエイスだ。ここの拠点の取りまとめをしている」
「そうなんだ、リーダーなんだ、凄いね」
まぁ、リーダーにも色々あるけどね。私なんかはリーダーでも子分に使われていし。
「いや、代理ってだけで、リーダーではないかな」
代理というのはどういうことだろう、これも聞いておかなければならない。
「そうなんだ、リーダーはあの大きな体の人?」
「あいつはクロッシュ。リーダーではないけど頼れる奴だよ」
「じゃああの黒い人?」
「あいつはレド。あいつもリーダーではないけれど優秀な奴だ」
「そうなんだ……じゃあリーダーって誰?」
「……気になるかい?」
「えっ」
いきなり変わった話の流れと声のトーンに、私は一瞬だけ引いた。
「ルーは……どうして逃げてきたんだい?」
「え、いや……だって誰でも嫌でしょ? あんなところ」
私は、クルーシャの奴隷農園から逃げてきた設定にしている。私の出身は違う農園で、既に滅んではいるが、どこの農園でも嫌なのは変わらないだろう。
「そうだよな、俺も嫌だった。生きているのが辛かった。けどもそれが当たり前だと思って生きてきた」
返答を要求している様子もなかったので、とにかくそのままエイスを見つめ続ける。
「けれども、その人は当たり前なんかじゃないと言ってくれた。だから、今、俺たちは戦っているんだ」
「……その人が、エイス達のリーダー?」
「まぁ、そんな所かな」
「その人って、ここにいるの?」
「内緒」
「えーーっ、けちっ!」
ここでお預けとは。私はわざとらしく口を膨らませてみる。
ただ、この口ぶりからして、リーダーはここに居ない可能性もありそうだ。さらにエイスが使う「拠点」「代理」という言葉。この組織は階層構造になっていて、ここはただの一拠点でしかないのだろう。
「ルーが仲間になるんだったら教えてあげてもいいんだけどね」
「は?」
思わず素が出た。
急展開すぎて声が零れる。
「ルーとアリシャはすごいよな、自分たちの足で逃げてきたんだ。それはすごく勇気がいる事だと思う。普通できることじゃない」
逃げてきたことを随分と評価してくれているらしい。
確かに考えてみたら、こんな情勢で女二人で逃げるなんて勇気のいる行動には違いない。まぁ、どっちにしろ嘘なんだけども。
「けれどルー。考えたことはないかい? 自分たちだけじゃなくて他のみんなはどうなんだろう、って」
「…………」
これは……私の嫌いな「正論」というやつだろうか。そんな思いが表情に出てしまったかもしれない。
「気分を悪くしたかい? 責めるつもりはないんだ。そうだな……言い方を変えると、ルーにはアリシャという仲間がいた。だからここまで逃げてくる事ができた。だからこそ……多くの仲間がいればもっと多くの人が助けられると思った事はないかい?」
「…………」
「仲間がいれば……力になる。力があれば、今と違った未来が描ける。お腹も減らず、鞭にも打たれず、明日に怯えながら眠る事もない。俺らにもそんな未来があってもいいと思ったことはないかい?」
私はエイスの言葉をどこか遠い気持ちで聞いた。
私には前世の記憶がある。だからこそ分かる事がある。前世の世界ですら奴隷解放には多くの血が必要だった。
ましてや、「奴隷システム」が存在しているこんな世界ならなおさらだ。
私は、魔法という特殊能力がある。だからこそ、目の前のエイス達よりも、そんな理想に近い位置にいただろう。
けれど、例えどんな力を持っていようが、私たちはアリシアのような人間に服従されたら終わりなのだ。それがこの世界のシステムだ。
それを最も強く感じさせられているのが今の私だった。
「……思ったことはなくはないよ。でも……そんなのは無理だよ」
今回だけは演技ではなく、思っている事を伝えた。
「無理かどうかじゃなくて、やるかやらないかだけだよ」
……なんだか予備校の教師みたいなこと言ってんな、こいつ。
このクソ奴隷システムは、気持ちでどうにかなるものでもないのに。
結局何を言っていいか分からずにいると、エイスが小さく息を漏らした。
「ごめんな、難しい事を言っちまって。お詫びにいい物をあげよう、ちょっとついてきて」
言うなり立ち上がり、洞窟の奥の方に歩き出す。私は慌ててその高い背を追った。
曲がりくねった通路の先にあった小さな空間、そこに小さなランタンと小さな荷物が一つずつ置かれている。エイスはその荷物に手を突っ込んで握りこぶしほどの赤い実を取り出した。
「ここは俺が普段使っている部屋なんだけどな。さっき凄い音で腹を鳴らしてただろ? やるよ」
赤い実を私へ渡してくる。
これは……冬によく食べられるレンズの実だ。ラムの実より少し大きく、そして酸っぱい。
「……え、いいの?」
ドヤ顔でうなずくエイス。
いや、腹の音だって嘘だし、レンズの実なんて渡されても正直全然うれしくない。
けれど、そんな心の声をそのまま口にするのも違う気がしたので、促されるままに食べる事にした。
とにかく思いっきり口を開けてかぶりつき……って酸っぱ!
思った以上の酸っぱさに顔がきゅっとなる。
「ごめんごめん、まだ酸っぱかったみたいだな」
エイスが意地の悪そうな笑みを浮かべた。もしかしてわざとか?
「お詫びってか……これってさっき否定した仕返しだったりしない?」
「ごめんごめん、そういうつもりじゃ」
口の端を吊り上げるエイス。つまりYesという事だ。こいつも性格がねじ曲がってんな。
「でも、そうだな、食べてみない事には酸っぱいかどうかも分からないからな。ほら」
もう一つ寄越される。警戒しながらも少しかじると、そちらは先ほどのものよりも甘かった。
「甘い」
「だろ? やっぱり、試してみないと分からないものがあるってことだ」
……これは暗に先ほどの勧誘の続きなのだろうか。なんだこれ、随分と回りくどい勧誘をしてくるけど、この手の語り口で、落としてきた人間が何人もいるのだろうか。
どちらにしろ、これ以上粘られたら自然と出て行くのが難しくなる。だから、ここできっぱりと断っておく必要があった。
「……私はアリシャに恩があるの。だから……早くアリシャをキルキスまで届けなきゃいけない」
「……そっか」
エイスの灰色の目がふっと細くなった。
「とりあえずまだ朝まで時間がある。ルーもかなり疲れているだろう? 今日はゆっくりとお休み」
私の頭をポンポンと叩くエイス。そのエイスの表情からは、非難や糾弾といった類のものは一切感じられなかった。
その後は、あたりさわりのない話をした。洞窟とか、食べ物とか、どうでもよい話をしながら、元いた場所へと戻っていく。
勧誘の話はもう出すつもりはないみたいだった。
元居た場所まで案内され、手を振り去っていくエイスの背中を見届けてから、眠っているアリシアの背中へと視線を直す。
規則正しく上下するアリシアの背中を眺めていると、心の中になんだかよくわからない迷いが生まれてくるのを感じる。
私は、それをアリシアの髪の毛をひっこ抜くことで解消した。
なんとなく明日への活力が出てきたような気がした。
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