第21話 予兆


 名残り惜しそうに何度か振り返る彼らも、深い森へと姿を消してゆく。


 彼らの姿が見えなくなったその瞬間、私はもうわざとらしく強い声でアリシアに声をかけた。


「ねぇ、アリシャ。私達、ちゃんとキルキスまでたどり着けるかな」

「えっ?」

「キルキスまで遠いしね……ちゃんとたどり着けるかな」


 彼らの姿が完全に見えなくなってからも言葉を続ける。


「キルキスって……」

「うん、エイスが言ってたようにキルキスってここから南西じゃん。でも行かないといけないし、間違ったりしないかなって心配になっちゃって……分かるよね? アリシャ」


 私はアリシアの肩に手をかけ、何度も強い視線を送る。そして、左目で合図を送り、視線だけを左方の茂みの方へとスライドさせた。


「ルビさん何言って……あっ! 分かる、分かるよ……ルー。でもキルキスまで行くしかないから……」


 よかった、通じたみたいだ。


「そうだね、じゃあとにかく早くキルキスに向かおう」


 アリシアと意志が通じ合った後、私達は南西に進路をとった。本当に向かわなければならないのは東のトランだ。南西のキルキスに向かって進めば進むほどトランから離れてしまう。

 だから、半刻歩いては休むを繰り返し、可能な限りゆっくり歩を進める事にした。


「疲れたー。休憩しようよ。もう足が限界だ」

「私も足が限界……」

「あ、アリシャの足、パンパンに腫れてるけど大丈夫!?」

「……これは元からです」


 知ってたけど。


 そんなくだらない事を言いながらも、アリシアの荷物を軽くしようとアリシアの荷物からパンを取り出した。

 そして二人して大きな木の根に座り、パンへとかぶりつきながら口を開く。


「ふぉれにしても、あの人達いい人達だったね。こんな物までくれるなんて」


 休憩中にこの話題に触れなければ不自然だろう。


「……はい、いい人達……だったと思います」

「また会えるといいなぁ」


 アリシアが顔を伏せた。


「……ルーさん」

「ん?」


 改めて名前を呼ばれるとやっぱり反応してしまう。


「……ルーさん、あなたはどう思って……」

「……」

「いえ、なんでもないです、ごめんなさい」


 アリシアは言葉を飲み込んだ。その理由は、私の視線のせいか。

 私は心が冷えるのを感じながらも、無心を装って口を開く。


「まるでアリシャのほうが、迷ってるみたいだね」


 どちらにしろこの会話自体が意味のないものだった。誰かに聞かせる為だけの会話。

 だから私はパンを口の中に詰め込んで、これ以上しゃべる事を拒否した。


 その後、パンを食べ終わってゆっくりと歩きだす。

 ギリギリ自然に見えるだろう程にゆっくりと、深い森の中を進み続けた。

 そしてついに日が傾き始めてきた頃。


「もういい、アリシア、トランへ向かおう」


 私達を監視していた男がようやくこの場から離れたのだ。


「やっと……! やっといなくなったのですよね? 私達を監視していた相手が!」

「うん、おかげで随分と時間を取られちゃったみたいだ。急がないと」

「はい、急ぎましょう。ここからトランはどれくらいかかりそうですか?」

「走れる?」

「もちろんです!」

「なら、早くて丸一日とちょいかな」

「分かりました……急ぎましょう!」


 この時間になるまで私達には監視が付けられていた。

 彼らは、彼らが見せた優しさとは別に、二重の対策を用意していた。彼らのその慎重さに好感をいだきつつも、腹立たしくもあった。


 日が落ちるまで残り数時間だ。それまでにどれだけ距離を稼げるかが勝負になりそうだった。


 先頭を行く私は、アリシアが走りやすいように魔法で倒木や岩を砕いたり埋めたりしながら走り続けた。これが結構しんどい。けれどもアリシアが止まらない限り、私も止まるわけにはいかない。


 走り続けて二時間くらい経っただろうか。森の中に沈んだ陽の光が消えていく。

 私は足を止め、アリシアに声をかけた。


「アリシア、ちょっと待って。火をつけよう」


 枯れ葉を集め、エイス達が渡してくれた道具を使って火をつける。その火を、樹脂を含んだ枝へと移して簡単な松明を作った。

 松明が灯った瞬間、ふいにアリシアの身体が崩れた。


「うおっと!」


 松明をほっぽり出してアリシアの身体を受け止める。ギリセーフだった。


 松明に照らされているアリシアの顔色は、オレンジ色に照らされているはずなのに青白い。呼吸も随分と浅い。


「おい、アリシア、おーい」


 アリシアは、どこを見ているか分からないような目をしている。


「ルビさん、先に行って下さい……」


 そうしたいのはやまやまだけれども。


「いや、私だけ戻っても信じてもらえないよね? 奴隷だけが一人で帰ってくるってどういう状況よ」

「そうですか……そうですよね。私が、行かないと」

「もういいよ、とにかく一旦休憩しよう。暗くなってきたからもうあんまり走れないし、無理して怪我でもしたら終わりだ」

「……そうです、か」


 口にした瞬間、アリシアは気を失うように眠りについた。

 なんだこれ、私の腕の中で眠るお姫様かよ。まぁ、元お姫様ではあるんだろうけど。


 仕方がないので、枯れ葉を集めて簡易ベットを作り、その上にアリシアを転がした。ついでに枯れ葉をのせて、みの虫状態にしておく。


 それから数時間。

 アリシアがガバっと飛び起きた。瞬間、木の葉が空に飛び散る。


「ル、ルビさん! 何をやっているんですか!? あれからどれくらいの時間が!?」

「いや、知らないし。あんたがぶっ倒れただけだし」

「っていうか、ルビさん、どうしてくつろいでいるんですか!」


 言いがかりはやめてほしい。これでも起きてずっと周囲を警戒していたんだ。

 確かに魔法で作ったロッキングチェアーに座ってレンズの実で作ったジュースを飲んでいるから、まるでくつろいでいるように見えるかもしれないけど。


「アリシアも飲む? レンズの実ジュース」


 落ち着けという意味を込めて、私はアリシアにレンズの実ジュースを手渡した。


 エイス……あいつは、私の荷物にレンズの実を沢山詰め込んでいた。

 まぁ水分の代わりって事なんだろうけども、なんとなく意趣返しっぽくてイラっとする。


「そんな事をしている場合では……」


 そう言いながらも受け取って口をつけるアリシア。嫌よ嫌よも好きのうちってか。


「酸っぱっ!」


 アリシアの反応になんとなく気分がすっきりした私は、余ったパンをアリシアへと手渡した。お腹が減っていたのか、アリシアは一気にそのパンをかじり、ジュースを飲み干した。

 品のある美少女といっていいアリシアが一心不乱にパンとジュースに食らいつく姿を見ると、食べ物に貴賤の差はないよね……とか思っているうちにアリシアの手がピタリと止まり、視線が私の方へと向いた。


「違います! こんな事している場合じゃありません!」


 いや、知らんし。アリシアが好んで食べてるだけだし。


「朝まで寝てたら?」

「そんな訳にはいかないでしょう!?」

「いやだからって夜歩くのは……」

「それで間に合わなかったらどうするのですか!?」

「……分かったしょうがない」


 アリシアの圧力に負け、とにかく少しでも進むことにした。

 

 夜にどこまで進めるかは完全にアリシアの根性次第だ。夜の森は歩きづらい。頼りない松明一本ではなおさらだ。



 魔法で道をならしながらも前へと進む。

 その際、呪文代わりに何かとアリシアに話しかけてみるも、聞こえていないのか、終始ずっと無言だった。だから私は、途中から呪文代わりにひたすらアリシアの悪口を呟いておいた。それでもアリシアは無反応だ。



 夜が明け、森がふんわりと明るくなってゆく。

 松明がいらなくなるほど明るくなったタイミングで、私達は再び駆け出した。


 そこからはノンストップだ。

 途中で絶対にアリシアが根をあげると思っていたけれど、そうはならなかった。顔色の悪さや呼吸からは限界が見えているのに、すごいね。どちらかというと魔法を発動しながら走っている私の方が根をあげそうだった。


 そんなアリシアの驚異的な頑張りもあって、その日の夕方前には見慣れた農道にたどり着いた。私とアリシアはお互いに顔を見合わせる。これを北に行けばトランだが、


「あ……」


 私は思わず足を止める。


「どうかしましたか?」

「……ううん、なんでもない」


 鼻の奥に感じた「何か」の匂い。

「何」と言えるほどのものでもない。もしかしたら、匂いですらなかったかもしれない。


 この状況だからこそ神経質になっているのだろう。そうに違いない。


 けれど、近づくほどに明確な形を持って現れる「何か」。

 踏み倒された草木、かすかに漂う灰の匂い。そして、鼻の奥に響く……鉄の匂い。


 これ以上進んではいけない。進む先に望む未来は存在しない。そう私の本能が警告した。



 ……いや、そんなことはないはずだ。そう自分に言い聞かせながら。

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