第22話 トラン



 上空を旋回する黒い烏、漂う灰の匂い…すべてが不吉な予感のように思え、私はアリシアの顔を見る事ができないまま走り続けた。


 トランへの農道をひた走る。普段ならこの道で誰かに出会うはずなのに、今日は誰も見ない。だからこそ、走り続けるのを止めたくなってくる。

 でも、そんなことはない、トランは変わってないはずだ。


 祈るような気持ちで、なだらかに曲がる農道を抜ける。

 そこにトランはあった。


 トランは、私が作った大きな防護壁で囲まれている。ただ、外からでも、防護壁の中にある茅葺屋根は見えるはずだ。

 けれども防護壁の中に見えるのは、黒い森のような柱の数々。


 もうダメだ。これ以上行ってはいけない。


「……なによ、あれ……」


 その声に気が付き、後ろにいるアリシアを見た。

 アリシアの目は大きく見開かれ、震えていた。


「なによあれ……なんなのよ、あれ」


 ……アリシア、あれは……。


 答えにつまった瞬間、アリシアが駆けだした。防護柵の元まで駆け寄り、狂ったように石の隙間に手をかけて登ろうとする。

 やりたくない気持ちを押し殺し、私は石の防護柵を魔法で崩した。


 その瞬間に飛び込んできたのは、見たくなかったものだった。


 多くの家々が灰になり、焼け残った柱は暗い森の木々のように立ち並ぶ。その合間を縫うように、私が築いた住居を囲む小さな石壁だけが、焼け煤けた姿で残っている。ただ、石壁が何かを守れた様子はない。

 そして、どこかでまだ火がくすぶっているのだろう、灰の匂いが漂ってくる。


「……いやあああっ!!」


 アリシアが叫び、村の中へと駆け出した。そして、焼け落ちた家屋の瓦礫に飛びついて、瓦礫を掘り起こし始める。

 すると、瓦礫の下から何かが転がり出てきた。


 それは――かつて人間だったものだった。それが変わり果てたもの。


「嫌だっ! いやだああっ!!」


 絶叫をあげながら村の中へと走るアリシアを、慌てて追いかける。とにかくアリシアを一人にしてはならない。


 アリシアは生きている人を探しているのだろう。何度もつまずきながらも立ち上がり、焼けた瓦礫を掘り起こす。

 その中には、かつて、ルビ派として私に食事を持ってきてい女性がいた。

 彼女は、自分の都合でルビ派を名乗っていた。私に心を寄せていたわけでもなんでもない。

 けれども…‥‥。


 私は歯を嚙みしめてから、広間へと駆けるアリシアを追った。

 そして広場まで駆けた時、足元に転がるそれを目にした。


「村長! 村長……!」


 アリシアが叫んで駆けつける。

 転がった位置で火の手から逃れたのだろう。青白い顔のまま目をぎょろりと見開き、何かを叫ぶような表情で息絶えている村長。


 彼の最後の言葉が脳裏に蘇る。

 それは「アリシア、どうか無事に帰ってきてくれ」だった。


 でも、だからといって……アリシアだけが無事に帰ってきても仕方ないんじゃないのか?


 私はたまらず視線をそらす。

 けれども、そんなところに視線を向けるんじゃなかった。黒い瓦礫の下に“それ”を見たからだ。


 耳の奥で鼓動がどくどくと流れ始める。私は、アリシアがそれに気づかないことを願った。けれども、


「……クロンッ!」


 その人の名前を叫び、倒れ込むように駆け付けるアリシア。


「クロン、クロンッ!!」


 その人を抱きかかえ、身体を揺らしながら何度も名前を呼ぶアリシア。

 けれども、どれだけ名前を呼んでも返ってこない事は分かっている。身体の損傷が激しすぎた。


「なんで、こんなこと……」


 私の口から声がもれた。

 ただ、私がそう漏らした瞬間、アリシアの叫びがピタリと止まった。


「あなた……」


 アリシアの絶望に暮れた瞳が私を見つめる。


「……あなた……今、“なんでこんなことに”って言ったの?」

「え、言ったけど……」

「……あなたのせいでこうなったのに、どうしてそんな風に言えるの?」


 私の頭の中は真っ白になった。

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