第48話 shrimp pink
「ひ、氷室さんっ・・・・・・あの・・・っ・・・ずっと好きでしたっ」
社内便を取りに警備室に向かおうと、内階段を一階まで下りたところで、廊下から聞こえて来た声に思わず立ち止まってしまった。
物凄く身に覚えのある台詞である。
「タイミングわっる・・・」
堪えたはずの本音が声になってしまって、慌てて口を手で押さえる。
とんでもないところに出くわしてしまった。
今日は到着予定の社内便が多いからと早めに勇んで降りて来たことが裏目に出たらしい。
社内で氷室といえば、一人しかいない。
結の交際相手である氷室多悸その人だ。
このまま内階段に戻るべきだとは分かっていたのだが、告白相手が相手なだけに、氷室の返事が気になってその場を動けなくなった。
ドアノブを握りしめたまま、ほんの少しだけ身を乗り出して廊下を窺う。
氷室を呼び止めた女子社員の後ろ姿が見えたが、それだけでは誰か特定は難しい。
だってこの社内に氷室に憧れている女子社員はごまんといる。
白衣姿ではないということは、管理部門の誰か。
施設管理だったら事前に赤松たちが教えてくれるはずなので、経理か広報か受付・・・変わり種でセキュリティーチームのSEの可能性もある。
きっと今日のために目一杯お洒落してきたのだろう。
膝丈のフレアスカートは遠目にも可愛らしい。
本来告白とはそうあるべきなのだ。
それに比べて結の告白劇といったら本当に下準備もなにもなかった。
よくもまあ試合直後に勢いだけで突撃したものだ。
若さというのは本当に恐ろしい。
そうそう、声は震えるし足も震えるし、相手の顔もちゃんと見れなくて・・・
思わず感傷に浸りそうになった結の耳に、氷室の静かな声が聞こえて来た。
「ごめん。気持ちは有難いんだけど・・・・・・俺彼女いるから付き合えない。別れるつもりもないし」
氷室が断わることわかっていたけれど、こうしてちゃんと言葉にしてくれるところを目の当たりにすると、胸が痛いくらいときめいた。
付き合うことになる前にも、氷室は別の女子社員から告白されて、その事を結に報告して来た。
あらぬ誤解を生まないようにと、ちゃんと断ったこと、好きな人がいることを伝えたと言われた時も、ドキドキしたけれど、ちゃんと彼氏彼女になってからのほうがそのドキドキはやっぱり大きい。
盗み聞きしてしまった罪悪感よりも高揚感のほうが勝ってしまう。
「あ、そ、そう・・・・・・なんですね・・・・・・彼女、出来たんですね・・・・・・それって・・・・・・人事総務の折原さんですか・・・?」
「うん、そう」
迷わず頷いた氷室の返事に、今度は胸を押さえる羽目になった。
訊かれたら言うスタンスではいたけれど、それを間接的に聞くのは結構な衝撃がある。
内階段のドアの横に張り付いて、口と胸を押さえて真っ赤になっている結はどう見ても不審者だ。
こんな妙な女が氷室の彼女で大丈夫なんだろうかと一抹の不安が頭を過ったが、それを言いだしたらきりがないと無理やりマイナス思考を振り払う。
「あ・・・・・・やっぱり・・・・・・分かりました。ちゃんと教えてくれて嬉しかったです。引き留めてすみませんでした」
どこかすっきりした様子で答えた女子社員の足音が近づいてくる。
内階段のほうに来られたら盗み聞きがばれてしまう。
さもいま階段を降りて来たように振る舞って先に出ていくべきか、それとも内階段に逃げ込むべきか。
どうしよう、どうしよう、と迷っている間に、女子社員は結に気づくことなくエントランスの方へ歩いて行ってしまった。
どうやら受付嬢だったようだ。
見つからなかった安堵と、さっきの氷室の台詞がリフレインして、一気に足から力が抜けてしまった。
ずるずると壁を背にしゃがみこむ。
どうせ顔は真っ赤で呼吸も落ち着かないから、しばらくこのままでいよう。
それにしてもすごい場面を見てしまった。
まるで自分がもう一度氷室に告白したかのような錯覚に囚われる。
目を閉じて深呼吸を繰り返していたら、目の前に影が差した。
「こんなとこで何してんの?」
斜め上から聞こえてきた聞きおぼえのあり過ぎる声に勢いよく目を開く。
こちらを見下ろしている氷室とバッチリ目が合って、思わず後ろに下がりかけて、背中が壁にこすれて撤退不可を悟った。
「っ!?」
人間驚きすぎると声が出なくなるらしい。
「盗み聞き?」
床についている手を捕まえた氷室が、軽く引っ張って立たせてくれる。
目線を合わせるように覗き込まれて、冷めかけた頬の熱がまたぶり返して来た。
「ち、違うっ・・・た、たまたま・・・っぐ、偶然・・・」
「ふーん・・・まあいいや。報告する手間省けたし。俺がちゃんと断ったの見てた?」
「・・・・・・き、聞いてました」
「あの子受付だから、まあ二、三日で俺らが付き合ってるって噂広まるだろうな。たぶん、グループ全体に広まるのも時間の問題じゃね?」
「・・・そうでしょうね」
氷室はグループ会社全体でも雪村と並んで大人気なので、しばらく話題には事欠かないだろう。
西園寺製薬、西園寺土地開発、西園寺不動産とグループ会社の名前を思い浮かべていたら、氷室がにやっと笑った。
「西山くん、泣くかもな」
「・・・・・・・・・あの子にはちゃんと断ってんだから別に・・・」
「俺も、ちゃんと断ったよ。別れるつもりもないって言った」
同じ台詞を面と向かって言われて、胸の奥がきゅうっとなる。
”結婚前提”と告げられた言葉が甦って来て、恥ずかしくて目を伏せた。
「・・・・・・あ、ありがとう」
「こそこそ隠れてないで、俺のとこまで来ればよかったのに」
「出来るわけないでしょ!」
「彼女ですって言ってくれたら、手っ取り早かっただろ?」
「あ、あの受付嬢の勇気を踏みにじるようなことはしたら駄目でしょ。すっっごい勇気を出して告白してくれてんだから」
「やけに向こうの肩持つなぁ」
「こういう気持ちは多分一生氷室くんには分かんないと思う」
どれくらいの覚悟と勇気で彼の前に立ったのか。
どれくらい不安だったのか。
言葉ではとうてい言い尽くせない。
ふいっを顔を背けたら、輪郭を優しく擽られた。
眉根を寄せた途端、耳たぶの下に吸い付かれて息を飲む。
「俺ももうそっち側なんだけど?俺から告白したの、もう忘れた?」
耳元で響いた低い声にぞくりと肌が泡立って、きつく目を閉じる。
「わ、忘れてないからっ」
これ以上はご勘弁をと彼の肩を押しやったら、拗ねたような氷室の声が返って来た。
「一生覚えてといて」
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