第59話 scarlet-2
どうやら、氷室が見えるところにキスマークを残すか否かで賭けがなされていたらしい。
昨日は赤松宛の電話が入ったせいで中途半端になってしまったあの夜の質問の続きを始めようと手ぐすねを引く二人から逃げるべく、大急ぎで和風定食をかきこんでハーフコートに逃げてきた。
今のところここは結と氷室の貸し切り状態なので、やっとゆっくりスマホのメッセージを送ることが出来る。
お疲れ様。氷室くんの車か部屋に、私のピアス落ちて・・・と途中までメッセージを打ったところで、近づいてくる足音が聞こえた。
顔を上げると、氷室が結を見止めてふわりと相好を崩す。
あの夜暗がりで見た甘ったるい笑顔と目の前のそれが綺麗に重なって、ぶわりと頬に熱が走った。
「昨日電話しようと思ってたんだよ。でも、メッセージの返信来なかったから、多分寝てるんだろうと思って・・・身体、平気?」
「う・・・うん・・・ちょっと筋肉痛が残ってるくらい」
「そっか・・・・・・あ、そうだ」
伸びてきた手のひらが頬を包み込んで、親指が目尻を優しくなぞる。
「ピアス。ベッドに落ちてた」
「それ、訊こうと思ってたの。ごめんね、ありがとう」
ポケットから取り出した小さなそれを、結の手のひらに落とそうとして、氷室がその手前でピアスを握りしめた。
下ろし髪を掬って、空っぽのピアスホールを確かめると目の前でキャッチを外した彼の指が伸ばされる。
「あ、自分で・・・」
「落とすと困るだろ。じっとして・・・・・・こないだも思ったんだけどさ・・・・・・結の耳たぶって齧りつきたくなるんだよな」
「耳たぶだけ・・・?背中の痕、全然消えないんだけど」
「ああ、それはごめん。でも俺以外に見せないし別によくない?」
最期に耳たぶを撫でてから氷室の指が離れて行く。
火照った頬を指の背が撫でて行ったのは絶対にわざとだ。
「そ、それはそうだけど・・・・・・お風呂の時に思い出して恥ずかしいから・・・・・・」
「可愛かったよ。あんなに可愛いならもっと早く誘えばよかった。我慢して損した」
甘えるように抱き寄せられて、腰を撫でられると途端つま先から余韻と熱が這い上がって来る。
「~~っわ、私この後仕事あるんですけど!?」
だからストイックな氷室はどこに行ったのか。
詰る気持ちで目の前の彼を睨みつけたら。
「・・・・・・・・・」
一瞬真顔になった氷室がそっと瞼を下ろすように手のひらで覆ってきた。
一気に暗くなった視界に結が驚いた声を上げる。
「な、なに?」
「涙目で見上げるのは駄目・・・・・・色々我慢がきかなくなるから・・・・・・お前、昔から悔しい時とかそうやって俺のこと見上げてくるけどさ、ほんといっつも堪らなくなるんだけど」
「そ、そんな素振り見せた事無かったよね!?」
二人のお決まりのデートコースのゴールはいつも海沿いのコートで、フリースロー勝負はいつも結が負けてばかりだった。
氷室を前にするとどうしたって冷静でいられない結に対して、氷室は淡々と綺麗なシュートフォームでボールを放っていて、どうしようもなく悔しくてまた彼を好きになった。
あの瞬間、そんな気持ちを彼が抱いていただなんて、ちっとも分からなかった。
「だってお前全くそういうことに興味なさそうだったし。純粋に俺と一緒に居るのが楽しいって思ってる相手に、こっちの一方的な気持ちだけで手ぇ出せないだろ」
「・・・・・・そんなこと思ってたんだ」
「思ってたよ。もう大人だから、言うし、するけど。だから、抱きたくなるから外ではやめて」
笑った氷室が、からかうように首筋にキスを落とす。
本気じゃないと分かっていても、その唇が鎖骨に落ちたらとハラハラしてしまう。
「ちょ、言った側から・・・」
「うん。分かってる、俺も大人だから、もう会社で盛ったりしない」
背中を撫でた手のひらが、前髪を避けて隙間にキスが落ちてくる。
「・・・・・・・・・もう?」
氷室が零した一言を聞き洩らさなかった結の問いかけに、氷室が咄嗟に明後日の方向に視線を逃がした。
風向きが悪くなると彼はこういう風に逃げるようだ。
「・・・・・・・・・」
「会社でシたことあるんだ・・・・・・」
氷室が結の数倍モテただろうことは想像に難くない。
昔の恋愛を聞きたくはないけれど、つい先日までストイックな彼しか知らなかった結としては、彼の理性を打ち砕いたその相手がやっぱり気になってしまう。
「・・・・・・・・・気になるなら、試してみる?俺も、お前がどんな風に声を殺して乱れるのか気になるんだけど・・・?」
つむじにキスを落とした氷室の柔らかい誘い文句に、とんでもないと大急ぎで目の前の肩を突っぱねた。
「っば、っす、するわけないでしょ!?」
やっぱりストイックな氷室は、もうどこにもいないのかもしれない。
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