第49話 shell pink

初カレ兼元カレと復縁しました。


人生で初めての社内恋愛は、いろんな意味で心臓に・・・・・・・・・悪い。






・・・・・






内階段のドアを背にこちらを見下ろす氷室の甘ったるい視線を振り切ろうと俯けば、伸びて来た長い指に顎先を引っ掛けて持ち上げられてしまった。


おまけのように喉元を擽られて、また昔の彼から大人の彼へのアップデートが行われていく。


付き合い始めてからずっと、このアップデートは終わらない。


「あ、あのね、氷室くん私このあと社内便をね・・・取りに・・・」


フロアを出たところで氷室と顔を合わせた時には、お疲れと言ってすぐに警備室に向かう予定だったのに、後をついてきた氷室が一緒に内階段までやって来て、一階廊下に続くドアの前に立ち塞がった。


このままでは内階段から出ることが出来ない。


困ってます、と思い切り表情に出して氷室に返せば。


「俺もこの後打ち合わせ」


手に持っていた薄型パソコンを持ち上げて悠然と彼が答えた。


「会議室行こうよ!」


「んーでも、あと10分は時間ある。雪村さんと霙依さん、外で一服してから戻ってくるから」


腕時計を確かめてから大丈夫、と笑みを浮かべる氷室に声を大にして言いたい。


私もちっとも大丈夫じゃない。


「折原、付き合った途端素っ気なくない?」


「し、仕事中だからね!?」


「お前ほんと真面目な」


いい子いい子と後ろ頭を撫でられて、一瞬へにゃっとなりかけていやいかんいかんと気持ちを引き締め直す。


「こういうの慣れてないのよ!社内に好きな人が居るとかなんかもう落ち着かな・・・・・・っ!?」


通せんぼで許して貰えていたことで油断しきっていた結の背中を攫うように氷室が抱きしめて来た。


高校生の氷室からは想像もできないような慣れた仕草で腰を抱かれて、首筋に頬ずりされる。


パソコンに届いたメールが氷室からなら、それがたとえ仕事の内容だとしても心臓が跳ねるし、カフェテリアでイノベーションチームの話題が出るとソワソワするし、彼がフロアに顔を出した時には本気で心臓が止まりそうになる。


高校時代の折原結はかなり強心臓だったようだ。


いや、恐らく若さもあったのだろう。


いまの結はこの三日ほどで一気に寿命縮んだ気分である。


久しぶりに彼氏ができたというドキドキよりも、妙な緊張感からくる心臓バクバクのほうが大きい。


「落ち着かないの?嬉しいじゃなくて?」


楽しそうな声で囁いた氷室が、耳たぶに唇を寄せてくる。


するすると耳殻をなぞられて、むずがゆい感覚が這い上がって来て息を飲んだ。


甘やかすよりもかわいがるという言葉がしっくりくるような触れ方は、初めて知るもの。


優しく耳の後ろにキスが落ちて、必死に逸らしていた背中の力を抜いたら、より深く抱き込まれた。


「・・・・・・氷室くんはこの三日ずっと機嫌いいね」


もう一度やり直そう、と二人が同じ結論にたどり着いた翌朝、氷室は朝一番で人事総務のフロアに来て、結に言った。


『昨日話した事覚えてるよな?』


機能の今日で忘れられるわけがない。


復縁交際一日目でどれくらい結が気合を入れてメイクをして洋服を選んで出勤したか、詳細に語って聞かせてやりたいくらいだった。


久しぶりに40分近く鏡の前に座ってじっくり自分の顔と向き合って、二度ほどアイメイクをやり直して、どうにか遅刻せず出勤したのだ。


『・・・・・・覚えてるよ』


『うん。じゃあいい。朝起きて一瞬夢かと思ってさ』


照れたように零した氷室が、安心したと付け加えて来て、一瞬で胸を灼かれた。


結だって同じ気持ちだったからだ。


目まぐるしく色んな事があり過ぎた一日だった。


結局その日、出先から戻った氷室は再び結のもとにやって来て、お土産のマカロンを置いて戻って行った。


届けられたマカロンは、ストロベリーの味がした。


その次の日は終日外出だった彼から、写真付きのメッセージが届いて、美味しい定食屋を見つけたからまた食べに行こうと書かれていた。


まるで昔の自分を見ているようだ。


”予備校前に部活のみんなでファミレス来てるよー”


”コンビニでアイス買ったら当たりが出た!”


”後輩が受験のお守りくれたんだけど、可愛くない!?”


自分の日常を切り取っては何でも共有したかった。


10年以上経って、あの頃の氷室から返事を貰っているような気持ちになる。


そして今日。


忙しいのか、おはようの後メッセージが来ないな、と思っていたらこれだ。


結の言葉に微笑んだ氷室が、そのまま耳たぶを甘噛みして頬に唇を寄せてくる。


ダメダメと肩を突っぱねる前に、唇を掬われた。


軽く食まれて上唇を吸われる。


ちょんとあいさつ代わりに唇の隙間を舐められて、ぞくっとした快感が背筋を駆け上がった。


流されそうになって慌てて踏ん張る。


唇を引き結んだら、氷室が吐息で笑って軽く唇を啄んできた。


これ以上は駄目だと言外に伝えたことを理解してくれたらしい。


「機嫌悪くなる理由がなくない?・・・・・・顔見れるかなと思って早めにフロア出たら折原が居たから・・・・・・ちょっと我慢が利かなかった」


「・・・・・・っちょっと?・・・」


これがちょっとだというのなら、高校生の頃の氷室は物凄く聖人君子だ。


大学生になってからもキス止まりで終わった二人の歴史は、どこまでも甘酸っぱくてピュアだった。


当然舌を絡ませるような大人のキスはせずに終わった。


むうっと眉根を寄せた結の眉間を唇でなぞって、氷室が小さく笑う。


「・・・不満?」


「だって私の知ってる氷室くんは、こういうことしないから」


「・・・・・・・・・あのさ折原、しなかっただけで、したくなかったわけじゃねぇからな?」


念を押すように言った氷室が、項を撫でながら小さくぼやいた。



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