第30話 flesh pink-2

「・・・・・はいはいそうねーどーもね」


頷いた赤松に頼んだからなと念を押して雪村がカフェテリアから出ていく。


ランチを食べに来たのではなく、目的は赤松だったようだ。


無駄に愛想を振りまくことはせず、実直に仕事に向き合うエリートは、どこか近寄りがたい雰囲気だけれど、こういう細やかな気配りを忘れないから社員全員から信頼されて憧れられているのだ。


意図せずキュンとなった胸はどうしようもない。


あれを目にしても白けた表情を保てる赤松の神経を疑ってしまいそうだ。


案の定菊池も熱に浮かされたような表情になっている。


それも当然のことだ。


これがドラマやマンガの世界だったなら、取り巻きの女子たちが一斉に黄色い悲鳴を上げるであろう。


「・・・・・・なんていうか・・・・・・」


「雪村さんって、かっこいいですね」


菊池の言葉を継いで惚れ惚れしながらそんな感想を口にすれば。


「あー・・・折原ちゃん、いまはちょっとタイミング違うんじゃない?」


斜め前から困り顔の赤松がこちらに視線を向けてきた。


いまの雪村を見ての感想なのに、タイミングが違うとはどういうことか、と首を傾げた三秒後。


とん、と肩を叩かれた。


「折原」


振り向けばさっきまで結の心を独り占めしていた氷室がそこに居て、雪村の影が一瞬でかき消される。


現金な心はいきなりの再会に勝手に鼓動を速くするから、思考が追い付かないまま言葉を紡ぐ羽目になった。


「っへ!?え、ぇ・・・あ、ひ、氷室くん!?えっと、あの、いまのは別に」


無意識に言い訳じみた台詞が飛び出して、何も言い訳する必要はないのでは、と思い直して、これじゃあまるで、自分の気持ちを誤解して欲しくないと思っているようだと気づいて、居た堪れなさで押しつぶされそうになる。


「・・・・・・浮気?」


「ひょえ!?」


まったく見当違いのぶっ飛んだ突っ込みに、素っ頓狂な悲鳴を上げてしまった。


なんでそこで一足飛びに浮気になるのか。


「あら、やっぱりそうなの、二人ぃ」


ロックオンの眼差しで赤松が氷室と結を交互に見やってくる。


いえ違うんですそうじゃないんですと結が口を開く前に、氷室が先手を打ってきた。


「あとは、折原の返事待ちなんですけど・・・・・・」


だったらこれは浮気じゃないでしょ!?


そもそも浮気の定義とは、お付き合いもしくは夫婦関係にある男女の間で起こり得る事象なわけであって、付き合っていない結と氷室の間には当てはまらない。


当てはまらないはずなのに、湧き上がってくる罪悪感は、まさしく浮気のそれと同じだから困る。


口をついて出てきそうな一言を飲み込んで押しとどめて、どこまでいけるだろう。


もうすでに息苦しさを訴える胸は、氷室のもとに行きたいと身勝手に叫ぶ。


「あら、もう秒読みなんだね」


頑張ったねーの赤松の賞賛に、氷室がひょいと結の顔を覗き込んでちらりと笑う。


赤い顔を覗き込まれたのだと自覚して、慌てて頬を押さえたら、慰めるように頭を撫でられた。


だからそれも全部余計です。


せめて予告してよ、と思うけれど、予告されたらされたで対処に困るなと思って、どっちにしてももう振り回される覚悟をしろという事じゃないかと嘆きたくなった。


答えを出す前からこんなんで大丈夫かアラサー女子。


結から視線を逸らさずに氷室が小さく首を傾げる。


「・・・・・・・・・どうでしょう?」


だからどうしてこっちにボールを投げてくるの、いまここで。


絶対見つめ返すものかと手元の明太子丼を必死に睨みつけること数秒。


腕時計を確かめた氷室が先に折れた。


「秒読みだって、前向きに捉えておくことにするけど・・・・・・折原って赤面症じゃないよな?」


「え!?ち、違うけど・・・」


そんなこと言われた事が無い。


「だよな」


ホッと息を吐いた氷室が、赤松に向かって雪村さんは?と尋ねる。


「残念でした。タッチの差でカフェテリア出ていったよ。同行?」


「そうなんです。赤松さんのところに寄るって行ってたんで、ここで落ち合えるかと思ってたんですけど・・・でも、来てよかった」


結がこうも分かりやすく頬を染めてうろたえるのは、相手が他ならぬ氷室だからだ。


あの頃の甘酸っぱい記憶にある今よりちょっと幼い氷室と、すっかり大人になって余裕全開で迫ってくる氷室だけが、結の胸を捕まえて揺さぶって追い詰める。


抗えないほどに。


「メッセージ送るから、あとで見といて」


短く告げた氷室が、お疲れ様です、と赤松と菊池に挨拶をしてカフェテリアを出ていく。


ようやく顔を上げることが出来た後輩の顔を指さして、赤松と菊池がにたあと笑った。


「恋だね」


「恋ですねぇ」


誰にでもこんな風に過剰反応するわけがない。


分かってるから、嫌ってほど分かってるから。


これ以上急かさないで、追いかけないで。


胸を押さえた結の手元で、スマホがメッセージの到着を伝えてくる。


表示されたのは、イチゴのキャラクターのスタンプ。


結が高校生の頃いつも部活の時に前髪をとめていたイチゴの髪留めを思い出した。


うっかり体育館で落としたそれを、わざわざ氷室が外コートまで届けに来てくれた時のことも。


ちゃんと結の目を見て、これ、落ちてたよと、差し出されたイチゴの髪留めはそこから数年結の超お気に入りとしていつも手元にあった。


300円程度の安物が、ブランド物に匹敵するくらい輝いて見えたのは、氷室が自分を認識してくれていたと、教えてくれるきっかけになったから。


あれからずっと部活の時はイチゴの髪留めを愛用し続けて、氷室とバスケットコートへ向かう時も持って行くようになった。


あれで前髪を押さえると、バスケスイッチが入るのだ。


慣れた仕草で前髪を押さえる結を眺めて、氷室が小さく笑うのが好きだった。


折原のトレードマーク、と言われて、一生イチゴの髪留めと生きるなんて思ったものだ。


そして今、大人になった彼から届けられたのはイチゴのキャラクター。


なんと返事を返そうかと迷う指を押しとどめるようにすぐにメッセージが届いた。


”折原に似てる”


赤くなったことをからかわれたのだと唇を尖らせたら、すぐに追い打ちを掛けられた。


”かわいい”


テーブルに突っ伏して地団駄を踏みたくなった。



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