第26話 dawn pink-3

「あー・・・氷室?折原さん、赤松と一緒になってめちゃめちゃ飲んでるけど、いいのかあれ?」


斜め前のベンチで楽しそうにワインを飲みかわしている女子三人を眺めながら、黄月が、本日は折原の監督者である氷室に視線を向けて来た。


彼女が急にワインをお代わりし始めた原因は他ならぬ氷室自身だ。


ちょっと攻めすぎたかな、と今更ながらの反省もわずかにあるが、彼女の反応を確かめることが出来たので、結果オーライだ。


大丈夫だという確信がここに来てさらに大きくなった。


「・・・あー・・・はい・・・あとは帰るだけなんで」


具合さえ悪くならなければ大丈夫だろう。


まあ万一帰り道で具合が悪くなったらその時はその時で、大義名分が手に入ったということにして堂々と寄り道してやる。


「氷室、お前もしかして今日ワンチャンあると思ってる?」


淹れたてのコーヒーをゆっくり味わっていた上司が、ちらりと鋭い視線を投げて来た。


「え、なに、わざと飲ませたの氷室?」


「・・・そこまで愚かじゃないですよ」


慌てた黄月が大丈夫なのかとオロオロと女子グループに視線を送った。


雪村がそんな同期の後ろ頭を遠慮なしの力で叩く。


彼がこんな雑なツッコミをするところは初めて見た。


「いまさらそんなことで距離詰めれるとは思ってないですし・・・・・・詰めれるもんならとっくに詰めてますし」


まあ酔ってくれた方が緊張も警戒心も緩くなるな、とは思った。


が、こんなものは下心のうちにも入らないだろう。


「折原さん、氷室にはずいぶん砕けた態度なのになぁ」


「昔からの知り合いなんで・・・・・・」


「ふーん・・・・・・彼女昔からあんな感じなの?ちゃきちゃきしてるとゆーか・・・・・・なんか赤松に通ずるとこあるよな」


黄月の言葉に雪村が小さく頷く。


「だからうちに引っ張って来られたんだろ。あんな面倒な時期に」


「折原さん来るまで結構バタバタだったもんなぁ」


「同じ支店だった朝長さんが、惜しがってたよ。かなり目をかけてたらしいな」


西園寺不動産時代の話は結からチラホラ聞いたことがあったが、懇親会でバッティングした西山のほうが気になり過ぎていて他のメンバーについて尋ねた事は無かった。


そう言えば、西山以外の社員の名前を彼女の口から聞いた事が無い。


説明が面倒だったのだろうか。


「朝長さんって誰ですか?」


「折原さんがいた支店の支店長補佐。営業本部への引き抜きの話も出てたくらい優秀な営業マンだよ。彼女の直属の上司だな。結構長く一緒に勤めてるはずだけど、なんだ話聞いたこと無かったのか?」


「・・・・・・・・・ない・・・ですね。後輩の話はよく聞くんですけど」


「ふーん・・・・・・朝長さんの結婚式にも呼ばれてたはずだけどな」


「あ、結婚されたんですか、その人」


既婚者ということなら、西山に比べて一気に危険度が下がる。


「去年な」


新婚ともなれば尚更安心だ。


けれど、結婚式まで参列した上司なら、一度くらい会話に出て来てもいいものなのに。


どうして結は朝長の話を氷室にしてこなかったのか。


会話に加わりながらもきちんと妻の同行を目で追っていた黄月が、ワインボトルを持ち上げた弓に向かって口を開いた。


「おーい・・・ゆみ、そろそろワイン終わりにしろー。折原さんに深酒させるなよ。後で氷室が困るから」


「あ、ぜーんぜん大丈夫ですぅー。私、酔っても眠たくなるだけなんでぇ」


「・・・・・・それはそれで困るんじゃないの?氷室が」


「え?あー・・・・・・いや、別に・・・・・・俺、煙草吸ってきていっスか?」


ヘビースモーカーではないが、考え事をするときには煙草を吸うことが多い。


氷室の顔を見て面白そうに眉を持ち上げた雪村がひとつ頷く。


「いいよ」


付き合っている状態で同じことになったら、色んな期待でグラグラしてしまいそうだが、彼女から明確な返事が貰えていないいまの状況では手も足も出せない。


出せたとしてもさっきのアレが限界だろう。


だから、ひたすら行儀よく彼女を無事に送り届けるだけ。


まあ、寝顔が見られればそれはそれで、と甘ったるい方向に思考が流れていきかけて、我に返った。


結は、敢えて氷室に朝長の話をしなかったのではないだろうか。


言えないような何かが、あったから?


もしかして二人は付き合っていた?


一気に朝長という男の事が気になり始めた。


西山の話題を結が平気で口に出すのは、後ろめたいことが何もないからだ。


傍から見れば、あの後輩が後輩以上の感情で結のことを見つめていることはすぐに分かったのに、彼女はそれに少しも気づいていない。


西山はあくまで可愛い後輩の一人だと認識しているから、どれだけ氷室が顔を顰めても平気でいられる。


危険だなんてこれっぽちも思っていないのだから。


だけど、結は直属の上司だったにもかかわらず、朝長のことは一度も口にしなかった。


それなりに長く一緒に働いていて、結婚式にまで呼ばれる間柄にも拘わらず。


普通は上司の話くらい、口にしそうなものなのに。


「氷室くん、私、大丈夫だからー・・・迷惑は-かけないのでっ」


ご安心を、と背筋を伸ばした結が、とたんへにゃりと身体の力を抜いてベンチの背もたれに身体を預けてしまう。


これは相当酔っていると覚悟しておいた方がよさそうだ。


そんな結を指さして、赤松が赤い顔でけらけらと笑い声をあげた。


「あははははー折原ちゃん酔ってるぅううー」


「ほらー花ぁ、折原さんも、お水飲んでー。そろそろ帰り支度しましょー」


「赤松、お前途中で具合悪くなったら本気で捨てて帰るからな」


「あはははー。ひっど!雪村ひっど!」


さっぱり懲りた様子もない赤松が、ワイングラスの残りを飲み干そうとして、それを雪村から奪われる。


溜息交じり酔っ払い二人を見下ろした雪村が、こちらを振り向いてどうにかしろと合図を送って来た。


「折原、車まで歩ける?」


訊きたいことは色々あるけれど、今日はもう無理そうだ。


目の前にしゃがみこんで彼女の肩を軽く叩けば、その手を掴んで結が無邪気に握り返して来た。


いきなりの行動に面食らった氷室に向かって、結が蕩けるような笑顔を向ける。


「はい!私ぃ、酔っても帰れなかったことないので」


それは相手によるのでは?と首を傾げそうになった氷室に向かって、赤松が楽しそうに嘯いた。


「氷室ぉー送り狼になるんじゃないぞー!」


「なりませんよ!」

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