第25話 dawn pink-2

「ハイボールのあとにワイン入れたら回るわよねぇ・・・もう、寝ちゃわないでよー?」


「起きる起きるぅー・・・・・・」


そう言いながら身体を起こした赤松が、ぽすんとゆみの膝の上に倒れこむ。


「5分だけ・・・5分だけ」


「絶対起きないくせに・・・」


しょうがないなぁと溜息を吐いたゆみが、慣れた手つきで赤松の背中を撫でた。


そろそろ日が暮れて来たのでそのままでは風邪を引いてしまう。


室内のソファの上に用意されていたブランケットがあったことを思い出して、急いで取り戻って赤松の身体をくるみこむ。


ありがとう、と言ったゆみが、いつもかけているメタルフレームの眼鏡をそっと赤松の顔から外した。


眼鏡を静かにテーブルに乗せて、また赤松の背中の撫でる手のひらはどこまでも優しい。


彼女が赤松を本当に大切に思っていることが伝わってくる。


今日は色んな人のいろんな面を見てばかりだ。


「・・・・・・結構長い付き合いですけど、こんな風に酔っぱらう赤松さん初めて見ました・・・」


「あ、そうなの?じゃあちゃんと仕事場ではきりっとしてるんだ。部署の飲み会は航太くんが一緒だから安心なんだけど、花、油断するとすぐ飲みすぎるから心配で」


「へえ・・・・・・私、赤松さんのこと全然知らないな」


「警戒心強いから、なかなか心開いてくれないでしょ?いつもみんなで遊ぶってなったら、雪村くんと花と私たち夫婦だけだったのに、今日は珍しく後輩連れて行くって言ったからどんな人かなあって楽しみにしてたの。外での花ってそんな感じなのね。社会人頑張ってるんだなぁ・・・」


しみじみ呟いたゆみが、花のことよろしくね、とほろ酔いの顔で柔らかく笑った。


見ているこちらまでほこほこして来るような、温かい笑顔だった。


「折原・・・・・・あれ、赤松さんつぶれた?珍しいな」


片づけを終えて戻って来た素面の氷室が、テラスでくつろぐ三人の様子を確かめて目を丸くする。


「ね、意外だよね。私も驚いた」


「冷蔵庫のフルーツ適当に取っ来いって雪村さんが」


声を小さくした氷室が見て貰っていい?と尋ねてくる。


思えばここに来てから準備は男子、飲みは女子に別れていたのでまともに会話していない。


色々考えすぎて緊張していた結としては助かったのだけれど。


雪村と黄月はこれでやっと一息つけると、玄関前の景色の良い前庭で寛いでいるらしい。


氷室の言葉にゆみが静かに付け加えた。


「多分カットフルーツが入ってるはずだから好きなの持って行ってくれる?もうちょっとしたら花を起こして一緒に行くね」


「わかりました」


頷いて氷室と一緒に室内に戻って、綺麗に整えられたキッチンの備え付けの冷蔵庫を確認する。


ゆみの言葉通り、大皿にオレンジやマスカット、キウイやイチゴが綺麗に盛り付けられていた。


「結構な量だな・・・ああ、でも、折原果物好きだから入るか」


冷蔵庫からこちらを振り向いた氷室が眦を和ませる。


彼が昔の結の食べっぷりを思い出しているのだとすぐに分かった。


「え!?あ・・・うん・・・いや、昔ほど入んないよ!?」


さすがに三十路になれば食欲だって高校生の頃よりずっと落ちている。


「パフェのフルーツだけ先に食べて、いつもアイスと生クリーム残ってたよな」


二人が付き合ってから定番になったデートコースは、ファミレスかファーストフードでお昼を食べて、メインストリートをぶらぶらしてから海沿いのコートに向かうのが常だった。


ファミレスで結がデザートに選ぶのは決まってフルーツが載ったパフェで、それがいまだに彼の記憶に残っていたことが嬉しくてくすぐったい。


「・・・・・・ちゃんと完食してたでしょ」


「アイスは俺も手伝ったよ」


「うん・・・・・・そうだったね・・・」


だんだん膨らんできたお腹に、スプーンを動かす手が遅くなって行って、そのタイミングでいつも氷室がちょっと貰っていい?と声を掛けてくれていた。


そういうタイミングを逃さない人だった。


「好きなもの、変わってない?」


「うん。フルーツも好きだし・・・あ、氷室くん、早食い直った?」


あの頃、一緒に頂きますをしたらものの五分でお皿を空にしてしまう氷室を前に、あたふたして噎せそうになったのは甘酸っぱい記憶だ。


急がなくていいよ、と言った彼が、手持ち無沙汰になったのか頬杖をついてじっとこちらを見てくるたび、堪らないくらい緊張した。


「あー・・・それは直んないままだわ。仕事してるときは助かってるけど」


「ラーメン食べに行ったときとかほんと酷かったよね?三分でご馳走さましちゃってさ」


やっと麺を三口ほど食べたところで箸を置いてしまった氷室に唖然としたものだ。


「三分は言いすぎだろ。もうちょっとかかったよ」


「あれ以来、男の人とラーメン屋さん行ってないよ、申し訳なくて」


待たせるのも待たされるのも好きじゃない結に、ラーメン屋さんでのランチデートは無理だと悟った瞬間だった。


思い出して笑った結に、氷室が申し訳なさそうに苦笑をこぼした。


「え?そうなの?それはなんかごめんな・・・ゆっくり食える店もあるから、いつでも連れてく・・・あ、いいよ。重たいから俺が持つ」


フルーツの載った大皿を取ろうとした結を制して、氷室が後ろから手を伸ばして来た。


横に避けようとした結の背中に回された腕がさりげなく二人の距離を詰めてくる。


「あ、うん。ありがとう・・・えっと・・・退いてくれないと・・・私が邪魔に」


このままでは動けませんと言外に告げれば。


「邪魔にはなんない」


静かに答えた氷室が、そのまま大皿を持ち上げる。


「けど、動いたらこれ落とすかも」


「な・・・っ」


困るよな、と少しも悪びれずに笑った彼が肩口に顔を寄せてきた。


いまだかつてないほどの至近距離に彼の熱を感じて息が詰まる。


「行きしなの車で、折原あんまり緊張してなかったから・・・あの頃より柔らかい顔が見れて嬉しかった」


「う・・・うん・・・それは・・・あの、氷室くんがいっぱいしゃべってくれたからだと・・・」


「こうやってさ、これから昔の俺を上書きしていくから」


突然投げられた変化球に反応なんて出来ない。


「・・・・・・っ」


上手な切り替えしなんて思いつかない。


真っ白な頭に響くのは煩いくらい大騒ぎする心臓の鼓動だけ。


こんな距離、こんな声、全部知らない。


甘えるように髪に頬ずりした氷室がおもむろに顔を上げてこちらの表情を確かめてくる。


じいっと目を合わせた後で、彼がホッとしたように目を細めた。


「・・・良かった。怒ってないな」


するりと猫のようにしなやかに離れて行く彼の背中に抱き着きたいと思ってしまったのは、悔しいけれど嘘じゃない。

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