第44話 signal red-1

惑星を模した球体水槽の中では、鮮やかな青色のナンヨウハギや赤色のサクラダイ、黄色のチョウチョウウオが優雅に泳いでいる。


明かりの落とされた室内のあちこちに設置された球体水槽は、全方向から魚たちを観察することが出来るので、一か所に人が固まることがまずない。


全方位をミストとレーザーが織り成す光のベールが包み込んで、宇宙空間での無重力散歩を楽し員でいるような気分になる。


予約が取れないことで有名な大人気のアクアリウムのに入場チケットを手に入れた、と氷室から連絡を貰った時には、いくら協賛の西園寺グループ社員とはいえ行くのは数か月先になるだろうと思っていたのに、まさか話をした2週間後の週末に行ける事になるなんて。


日時指定の入場チケットは転売サイトでは結構な価格で取引されている。


土曜日の14時の予約となればそれはもう争奪戦に違いない。


氷室いわく、ちょっと色々コネを、と言っていたのでありとあらゆる人脈を駆使してこの時間帯を押さえてくれたのだろう。


西園寺グループとイノベーションチームの底力を見せつけられた気がする。


幾何学模様を描き出すレーザーは足元、壁、天井と全方向に広がっているので、一方向だけ見ているとあっという間に景色が変わってしまう。


「結、足元」


壁に映し出された幻想的なオーロラに見惚れていると、隣の氷室から小さな声で呼ばれた。


それと同時に軽く手を引かれて、促されるまま足元に視線を向ければ。


「わ!魚!」


霧のようなレーザーの合間を縫うように、小さな魚の映像が映し出されている。


結のつま先近くでゆらゆら揺れて、まるで挨拶をしているようだ。


映像とはいえ踏んでしまってはいけないと、片足を上げれば、残した左足の方に魚がやって来る。


「なにこれなにこれ!」


「面白いよな」


「足下ろすたび寄ってくる。すごっ」


その場足踏みを始めた結の手を引いて、氷室が黄色のキンギョハナダイが泳ぐ球体水槽の前から離れた。


足元にばかり気を取られていたので、今更ながら繋がれたままの指先に神経が集中してきて、緊張が走る。


入場ゲートをくぐった直後、当たり前のように指先を絡ませて来た氷室のナチュラルな仕草に心臓が跳ねたのが一回。


ほかの来場者の邪魔にならないように耳元で話しかけられて息が止まりかけたのが一回。


そして今、改めて定番のデートスポット且つ大人気のアクアリウムに、氷室と二人で来ている事実に胸がときめいて呼吸困難になりそうだ。


10年以上経って、その昔憧れていたようなデートが実現するなんて。


しかも、古くて小さい水族館じゃなくて、リニューアルしたばかりの超人気の最新スポットで。


「昔のしょぼかった水族館が嘘みたい」


「だよな。俺も同じこと思ったわ」


結の言葉に氷室が懐かしそうに微笑む。


県内唯一の水族館ではあったのだが、30年近く前に建てられたそれは建物自体老朽化が進んでおり、とてもじゃないがお洒落デートスポットとは呼べなかった。


小学校の遠足と中学校の校外学習で行った記憶があるが、どれもほとんど覚えていない。


それくらいパッとしない水族館だった。


「昔の水族館ってさぁ、ラッコショー以外目玉無かったもんね」


「そういや水族館デートしたいって言われた事無かったな。もしかして気ぃ使ってた?」


絡ませた指の腹で伺うように手の甲をノックされる。


本当に氷室は昔のことをよく覚えている。


たしかに、結は一度も水族館に行こうと氷室を誘ったことは無かった。


「気を使ったっていうか・・・映画館デートで失敗した後だったから、言いだし難くて・・・」


「あー・・・・・・それな。ごめ」


「予備校通いが忙しい受験生が山場の無い恋愛映画見たらそりゃ眠くなるよ」


あの頃は二人とも受験生で、特に氷室は予備校の中でも授業数の多いコースを取っていて寝不足もあったはずだ。


今でもどうして初っ端のデートで純愛ストーリー映画なんて選んだんだろうと不思議でしょうがない。


どうせなら痛快アクションやスペクタクル大作を選べばよかったのに。


大慌てで氷室の言葉を遮った結に、彼が眉を下げる。


「でも隣で爆睡されたらショックだろ」


「ショックだったけど、実は私も前半ちょっとウトウトしたのよね・・・だから、氷室くんのこと責められないなと思った。私より志望校レベル高くてほんとに受験勉強大変なことも知ってたのに」


今の成績ならよほどの事が無い限りA判定は覆りませんよ、という中間レベルの私立の女子大志望だった結とは異なり、氷室は県内の有名大学を志望していた。


公務員や有名企業への就職率も高い大手の大学は当然倍率も高く、結のように念の為予備校に通っている受験生とはスケジュールが全く異なっていた。


その合間を縫って、気分転換のデートに誘いだしておきながら結局自分の憧れを一方的に押し付けたのだから、反省すべき点は結にだって沢山ある。


「あれからテレビであの映画流れるたび反省したわ」


「あ、それ分かる。私もおんなじ、でもあれから彼氏とは映画行かないようにしたから、いい教訓にはなったよ。やっぱり映画は趣味の合う者同士で見るのがいいよね」


「え、じゃあお前が一緒に映画行ったのって俺だけ?」


「うん。そう。後にも先にも氷室くんだけ!」

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