第43話 garnet
「氷室くん居てくれてほんっとに助かったー」
駐車場に向かいながら、結は目の前を歩く背の高い恋人の後ろ姿を見上げた。
後ろ姿からかっこいいってどうなってんのよこの人・・・
昔からかっこよかったし、かっこいい大人になるポテンシャルをどこまでも秘めているとは思っていたけれど、まさかここまで理想的な大人の男になっているなんて。
本当に高校時代の私、見る目あったわ・・・
途端、結の視線に気づいたのか氷室がこちらを振り返って来た。
熱視線を送り過ぎただろうか。
「こんなことくらいで良ければいつでもどーぞ?」
後ろ手に伸ばされた手のひらに少し迷ってから指を乗せる。
さっきエントランスを出る時も同じようにされたけれど、会社を出るまではと首を横に振って拒絶したばかりだ。
ここもメディカルセンターの敷地内ではあるけれど、駐車場は誰もいないので良しとする。
「私より忙しい人を足には使えないよ。それより仕事大丈夫?」
結の指先を握り込んだ氷室がつないだ手を軽く揺らした。
「残りの仕事は持ち帰るからいいよ。俺もたまには早く帰りたいし」
「送って貰う事になってほんとごめん!遠回りなのに!」
メディカルセンターから徒歩10分ほどのマンションに住んでいる氷室が、二駅向こうの結の自宅まで彼女を送り届けるのは明らかな遠回りになる。
「いや違うって、そういう意味じゃねぇし・・・ごめん、言い方悪かった。結の家まで送るのは大した距離じゃないし、手間でもないし、一緒にいる時間が出来て嬉しいから。そこは誤解すんなよ」
親切丁寧な説明が返って来て恐縮してしまう。
再会してからの氷室は、ちゃんと思ったことをすべて結に打ち明けてくれる。
時にはその内容がちょっと赤裸々過ぎていて困ってしまうのだが、昔みたいに、何考えてるんだろ?と不安に思わなくて済むのはやっぱり嬉しい。
氷室が自分のことを結に理解して貰いたいという気持ちがひしひしと伝わって来る。
全力で彼の手を握り返してお礼を口にする。
「あ、はい、うん、助かります」
定時を過ぎて一時間半ほど経った頃、やっと勤怠の締め処理が無事に終わって、最終チェックを終えて課長に報告を上げて、帰宅準備に取り掛かった矢先、氷室から内線電話が架かって来た。
残業はいつもの事なのだが、この時間にわざわざ内線電話を架けてくることが珍しい。
大抵フロアに直接顔を出すからだ。
『お疲れ様。どしたの、氷室くん』
『やっぱりまだいた。ネットニュース見た?在来線停まってるけど』
『へ!?』
言われて慌ててネットを開けば、沿線火災で上下線とも運転見合わせと書かれていた。
片田舎の地方都市は、タクシーの台数も多くは無い。
この様子だと今頃駅は人でごった返しているだろう。
『ど、どうしよ・・・』
残業の後二駅歩く気力は残っていない。
電車が動くまで会社で時間を潰すべきかと本気で悩み始めた結に向かって、氷室が呆れた声で言い返す。
『悩むとこか?10分待てる?送ってくから』
『え、いいの!?』
その申し出は願ったり叶ったりなのだが、多忙な氷室の仕事の手を止めてしまうのは申し訳ない。
『こんな時に俺を頼らないでどうすんだよ』
『よろしくお願いします!』
こうして、氷室の車で送り届けてもらうことになったのだが。
「いまが月初じゃ無かったら、ご飯食べてってとか言いたいんだけど・・・」
部屋はここ3日ほど掃除していないし、洗濯物も溜め込んだまま、夕飯は作る気力が起きなくてレトルトでやりくりしているので、冷蔵庫の中はすっからかん。
とても彼氏をお招きしておもてなしできる状態ではない。
「あ、それちょっと期待した」
茶化すような視線が降って来て罪悪感でいっぱいになる。
「うっ、ごめん」
「・・・いいよ。俺もこのままのこのこ部屋上がったら、色々したくなりそうだし」
交際中の彼氏から言われた台詞としては、ごくごく当たり前のことなのに、返す言葉を失くしてしまう。
「~~っ」
「困るなよ」
苦笑いを零した氷室がつないだ手を強く握りしめてくる。
ここで結が狼狽えれば氷室はたぶん結以上に色々悩むことになるだろう。
「へ、部屋がね、ほんとに片付いてなくって・・・・・・だから、あの、それさえ・・・なければ・・・」
初めて彼氏を迎える彼女部屋として及第点を出せるところまで現状復帰出来たら、その時は。
あなたとその先のコトもしてみたいです。
言外に告げたYESのサインに慌てて胸を押さえる。
「それさえなければ、俺と色々してもいいんだ?」
一瞬だけ上目遣いに彼の表情を確かめてから、こくんと頷いた。
「・・・・・・・・・うん」
結とて三十路すぎのいい大人である。
恋人と朝まで一緒に過ごしたい夜だってある。
人肌が恋しくなる瞬間だってある。
氷室のなかでは未だに結は女子高生のままなのかもしれないけれど、大人の結には色んな欲望がちゃんと芽生えているのだ。
氷室が時折悪戯に伸ばしてくる指先に翻弄されながらその先を想像しないなんて無理なのだ。
だって誰かと抱き合う心地よさをもう知っているんだから。
一気に火照った頬を見られたくなくて思い切り俯く。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
頭上の氷室は微動だにせず立ち止まったまま黙り込んでしまった。
さすがに不安になって彼を見上げる。
こんなに動揺しまくった氷室の顔を見るのは初めてかもしれない。
「な、何か言ってよ!?」
結の突っ込みに我に返った氷室が、呆然とこちらを見下ろして来た。
「・・・予想と違う答えが来たから・・・・・・びっくりした。てっきり躱してくると思ってたのに」
「私だって、色々・・・考えてるし、じゅ、準備とか・・・その・・・」
これは絶対余計だった、間違いなく墓穴を掘った。
慌てて口をつぐんだ結の顔を覗き込んで、氷室が囁く。
「部屋片付いてなくてもいいから、入れてくれない?」
「だ、駄目!」
全力の目力を持って言い返せば、氷室がつむじにキスを落とした。
「・・・・・・・・・わーかったよ」
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