第4話 baby pink-2
昔を思い出すように氷室が穏やかに目を伏せた。
あの頃も大人びている男の子だな、と思っていたのに、それがいまや完全に大人になってさらにカッコ良くなっているなんて本当に神様が憎い。
こうなることが分かっていたら、あの時必死で彼に縋って・・・・・・・・・いや、無理だったな。
どう考えても当時の二人の間にあった温度差は埋められそうになかった。
「折原がいつも緊張してたって分かってたよ。俺もさ、女子と付き合うとか初めてだったし、引退するまでずっとバスケばっかしてたからリアルな恋愛はさっぱりで・・・・・・優しくしてやれなくてごめんな」
彼がこんな風に謝るのはもう何度目だろう。
後悔している事はもう十分すぎるほど伝わって来たし、こうして当時の気持ちを結に教えてくれたことだけで胸はいっぱいだ。
そして彼が過去を語れば語るほど、あの頃のどうしようもない自分が甦って来て恥ずかしくなる。
まさに恋に恋する女の子だった。
「・・・うん・・・だから、もうそういう謝罪は・・・」
お互い大学に入って、高校時代のように会えなくなって、それでも冷めないと思っていた熱が急に下がり始めたのは、周りの友達カップルと自分たちの温度差に気づいたからだ。
電話をするのはいつだって結からで、近況報告以外に彼が話してくれることはほとんどない。
メールの返事も素っ気なくて、でもそういうもんだと思っていた結は、数分おきに返信が届いて、毎日のように電話を架け合って、同じバイト先に意気揚々と向かう友達を目の当たりにして、これは双方向恋愛じゃない、と気づいた。
そしてそれは、氷室も同じだったのだ。
だから、拗れること無く別れた。
彼が最後に言ったごめん、の言葉はぐさりと胸に刺さって、そしてそれは教訓にもなった。
あれ以来、結は自分から好きになった相手と付き合ったことが無い。
追いかけることに疲れ果ててしまったからだ。
ありのままの自分を好きだと言ってくれる相手に笑顔を返す恋愛は甘くて心地よかった。
本当はこんな風に氷室と過ごしたかったのにと何度も思った。
けれど、それは今じゃない。
一方的に愛情を押し付けた恋愛ごっこを振り返ることなくここまでやって来たのに、なんで恋の神様は急に手のひらを返すのか。
彼がせめてあの頃のまま、不器用なままでいてくれたら良かったのに。
そうしたら、あの告白にもあっさり頷いてしまえたのに。
社会人の氷室を知ってしまったいまは怖気ずくばかりだ。
こんなかっこよくなった彼と付き合って上手く行くわけがない。
また舞い上がって空回って虚しくなって疲弊して終わるだけ。
30を迎えた今、ここでまた躓きたくは無かった。
それでも、あの頃胸に芽生えたキラキラの恋は眩しすぎて簡単には消えてくれなくて、デートと呼べるのかどうかも怪しいような初々しい二人の日々が、胸を焦がして来るからいけない。
今度は上手く行くんじゃないかと、勝手な期待を寄せて来るのだ。
「だから、今度は全力で大事にする。あの頃折原が俺に向けてくれた以上の愛情を必ず返すよ」
18歳の氷室なら口が裂けても言わないような台詞だ。
それを真顔の至近距離で、結にだけ聞こえる声音で伝えて来る彼の全てが憎らしい。
ドキンと跳ねた心臓を慌てて押さえたら、氷室が嬉しそうに目を伏せた。
「・・・・・・返事待ってって言ってんのになんでそこで押してくんの!?」
「効果的だって分かってるから。俺、これでも一応一年程度は折原の彼氏だったし」
「・・・そ、そうだけど」
「もう一度彼氏にして欲しいと思ってるから」
自分の気持ちを真っすぐに伝えてくれるのはあの頃のまま。
そして言葉はあの頃の数倍雄弁になった。
イケメンがコミュニケーションスキルを大幅アップさせて来たら、一般人が適うわけがない。
「わ、分かった、分かったから」
お願いだから接近戦はやめて、と慌てて後ろ手をついた。
ほどよくぬくもったアスファルトに触れた手のひらが汗ばんでいる。
今でさえこれだけ緊張しているのに、大人になった氷室と付き合うことになったらそれこそ心臓が持たないに違いない。
「俺に言いたくて言えなかったこと、いっぱいあるだろ?不満があるなら先に教えてよ。直すし、無理なら妥協点探すからさ」
第二案まで提案してくるところがさすが次期課長候補だ。
「氷室くんこそ・・・わ、私に不満あったでしょ?一方的だったし・・・最後のほうとか色々好き勝手言っちゃったし・・・」
他の友達は彼氏から連絡もデートのお誘いも、好きって言葉も貰ってる。
いつも受け身で何も言ってくれないから、氷室くんの気持ちが分からないし、こんなんじゃ付き合ってるって言えない。
形だけの彼氏なんて欲しくない。
わんわん泣いて愚痴を全部ぶちまけて、それでも彼は何も言わなかった。
泣いている結をおずおずと抱きしめて、ごめんと呟いた声が途方に暮れていて、この状況でも好きだと言ってくれない彼に、ああ、もう無理だと覚悟を決めた。
今なら思う。
恋愛そっちのけでバスケ三昧の青春を過ごして来た自分が、漫画やドラマの理想だけを詰め込んで男女交際に挑むなんて、自殺行為だ。
あの頃の氷室の性格を考えたら、せめてお友達やバスケ仲間からスタートして、距離が縮まった後で告白するべきだった。
付き合ったらきっとこうしてくれるに違いない、を全部押し付けられた高校生の氷室はそりゃあ途方に暮れた事だろう。
「いっつも俺のどこがそんなにいいんだろう、って思ってた。口下手だったし・・・でも、あの時折原に言われてから、ちゃんと言葉にして伝えようって思うようになったよ。おかげでバスケ繋がりじゃない友達も増えたし・・・」
「・・・・・・モテたでしょうね」
「・・・でも俺一途だよ」
「そこは否定しないんだ」
「どっかから話聞かれたらどのみちバレるだろ。俺、上手く話せなかったけど、折原に嘘吐いた事はいっぺんも無いよ。だから今のも嘘じゃない」
「・・・・・・」
「あ、いまのはちょっと揺れた?」
にやっと笑った氷室が立ち上がって、結に向かって手を差し出す。
海沿いのコートでバスケをした後、休憩終わりに彼はいつもこうして手を差し出してくれた。
言葉足らずで決して笑顔も多くは無い彼は、けれどやっぱり優しかったのだ。
胸がキュンとしたことには気づかない振りをしてその手を掴む。
引っ張り上げる力は、あの頃よりもずっと強い。
再会してから今日までの数か月間でどんどん増えていった新しい氷室との思い出がそろそろ胸から溢れ出しそうだ。
揺れたのは今じゃない、ほんとはずっと、揺れていた。
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