第13話 azalea
屋根付きテントがいくつも立てられた駐車場は、肉の焼けるいい匂いが充満している。
本格的なバーベキューセットの上では、朝一番で届けられた新鮮な野菜と肉が次々と焼かれており、鉄板焼きや、煮込み料理も用意されていた。
テントの傍らで大量の氷で冷やされているのは、ビールや缶酎ハイやカクテルだ。
折り畳み式のテーブルセットがいくつも用意されているほかに、施設の影になる場所にはレジャーシートを広げた休憩スペースも用意されていた。
子供向けのプレイスペースは、空気で膨らませたボールプールや滑り台もあってかなり本格的だ。
思っていたよりも数倍規模の大きいバーベキューパーティーである。
12時スタートと聞いていたので、一時間ほど遅れて到着すると、すでにほろ酔いの太田が嬉しそうに手を振ってくれた。
彼女の同期の女の子たちとも初めて挨拶を交わすことが出来て、うち一人は女性にしては珍しい研究者で良い刺激を貰えた。
しばらくそこでお肉とお酒を楽しんでいたら、メインのテントから抜けて来た氷室が結を見つけて声を掛けてくれた。
やっぱり今日も赤松に使われていたようだ。
額にタオルを巻いている氷室を見るのは高校生の頃以来かもしれない。
「肉食べれた?」
「太田ちゃんたちが大量に取って来てくれた。いやーほんっとあの子たちよく食べるわ」
よく食べてよく飲んでよく笑う。
幸せでいる秘訣だと思う。
社内の誰かのコイバナでまるで自分のことように大盛り上がりしながら、大皿に盛られた串焼きを次々平らげて、アルコールの缶を次々空にして行く彼女たちのパワフルさは圧巻だ。
「消費量も凄いけど、用意されてる量がまた凄いからさ。材料不足の心配だけはないんだよなぁ・・・・・・あっつ・・・」
「何時から焼いてたの?一応お水とお茶は確保しといたけど、どっちがいい?」
ペットボトルを両手に持って尋ねると、氷室がミネラルウォーターに向かって手を伸ばした。
「助かるわ。水頂戴。挨拶始まる前から。子供らが騒ぐ前に肉用意しとかないと、大人たちがゆっくり出来ないからさ」
まずは子供たちの空腹を満たして、プレイスペースに向かわせた後で大人たちの宴会がスタートするのが常らしい。
受け取ったペットボトルを一気に半分ほど空けた氷室は、乱暴に額の汗をぬぐった。
こっちの氷室のほうが結にとっては馴染み深い。
スーツ姿の氷室よりも、ずっと彼を身近に感じる。
と、真ん中のテントで肉を焼いている赤松が、小さく手を振ってこちらを見てきた。
軽く会釈して手を振り返した後も、どうしてか彼女の視線は離れない。
「ねえ、赤松さんがめっちゃこっち見てるけど、いいの?」
もしや氷室の仕事はまだ終わってないのではないか。
「いいよ。抜けるって話してあるから」
「そうなの・・・?ねえ、先に私も赤松さんのところ行った方がいい?」
相変わらず離れない視線が気になってしょうがない。
赤松のもとに向かおうか迷う結の手を氷室が軽く引っ張って来た。
「どうせ一通り挨拶するから後でいいよ。あの人が俺ら見てるのは別の理由」
「え、なに、なんか言ったの?」
「えー別に・・・・・・仲いいなって言われたから、知り合いなんでっつっといた。気になったらあの人とことん訊いてくるからその方がいいだろ?」
「あ・・・・・・うん。そういうこと」
今日の目的はお肉でもお酒でもなく、他部署の人と挨拶をすることである。
顔の広い氷室がわざわざ紹介してくれるというのだから、時間を無駄には出来ない。
「席固定じゃないけど、大体同じ部署の人が集まってるから、あっちががん研究の
なるほど、言われてみればテーブルごとにグループが出来ていた。
レジャーシートの方には女子社員とプレイスペースで遊ぶにはまだ早い小さい子供たちが集まている。
一人で挑むのはかなり無謀だったので、氷室がいてくれて何よりだ。
「ほんと至れり尽くせりのフォローだわ」
「折原よりずっとこっち長いからな。じゃあ、がん研究の
早速先導してくれる氷室と一緒に挨拶回りに向かう。
開発セクションの社員とはほとんどが初対面で、管理部門の女子社員も、初めましての人が多かった。
メディカルセンターではリモートワークを積極的に取り入れているので、子供が小さい人ほど在宅勤務を増やしがちなので、施設内で顔を合わせる機会はごくごく少ない。
普段メールでしかやり取りをしない人たちと顔を合わせて挨拶をすると、不思議と親近感が湧くもので、氷室が一緒に居てくれたおかげもあって会話に困る事は一度もなかった。
こうなることを予想して太田たちと一緒の時には飲まないようにしていたので、乾杯を繰り返して無事に挨拶回りを終えた後も、ふらふらになることは無かった。
「はーいお疲れ様ー折原ちゃーん!」
真ん中のテント前まで辿り着いた結に、串焼きではなくて冷たい炭酸水を差し出したのは赤松だ。
前髪をちょんまげ結びにしてエプロンを巻いた姿はまるで屋台の店主である。
「ありがとうございます!わ、冷えてる・・・赤松さんずーっと焼いてたんですか?」
「んー食べながらねー。どう?無事に挨拶回り終わった?」
「はい。氷室くんのおかげで上手くやれました。さすがイノベーションチーム」
振り返ると、氷室がまんざらでもなさそうな笑みを浮かべている。
「折原ちゃん送るからって一滴も飲まずにせっせと肉焼いてくれたからさぁ、労ってやってよー」
その言葉で思い出した。
氷室が結を送るつもりにしてくれていた事を。
「あ、ごめん!言えばよかった。大丈夫、電車で帰るから!氷室くんも飲んで、飲んで!」
自分のために禁酒させるのは忍びないと、側にあった缶ビールに手を伸ばせば。
「いやいいよ。どうせ車持って来てるし、最初からそのつもりだったから。送らせて」
冷静に返されて、一人で酔っぱらってしまったことが申し訳なくなる。
「遠慮しなくていいし。まだ飲めるだろ?」
「その格好の氷室くんと一緒にいて、一人だけ飲むのって、なんか違和感しかないよ」
「え?なんで」
「夏場、練習中よくそうやってタオル巻いてたでしょ?」
Tシャツの袖を肩まで捲っていた事まで鮮明に思い出してしまって、視線を逸らす。
「覚えてるんだ?」
にやっと笑った顔が楽しそうなのが悔しくて、掴んだ缶ビールを勢いよく開けた。
「・・・・・・覚えてるよ!」
簡単に忘れられるわけがないのだ。
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