第14話 camellia

「折原さーん!内線、イノベーションチームの氷室さんからですー!」


キャビネットの前でファイルの整理をしている結に向かって、後輩が呼びかけてくる。


氷室とは、一先ず過去は水に流して、改めて友達付き合いをしようということになったわけだが、実際のところ彼と結は付き合い始めるまで挨拶を交わす程度の知人でしかなった。


だから、気安い友達関係というのは大人になってからが初めて。


氷室は人事総務のフロアに顔を出すたび結の席に来てあれこれと話しかけてくれるけれど、戸惑いがないわけではない。


だってあの頃よりもずっと距離感が近いのだ。


初めて二人で飲みに行ってから、距離が縮んだと思ったけれど、この間のバーベキューパーティーでさらにその距離は縮んでいる。


離れていた10数年の時間で、彼が女性との距離の詰め方や話し方を学んできたことはよくよく理解できたが、高校時代の氷室からアップデートが終わっていない結は、優しい笑顔を向けられるたびドキドキしたりひやひやしたりする。


「はーい!」


ファイルをキャビネットに戻して小走りで自席に戻ると、後輩が探るような視線を向けて来た。


「最近よく電話架かってきますよねー?」


「高校の同級生なのよ彼。だから色々言い易いみたい」


別に隠すことでもないので正直に話せば、途端後輩が大声を上げた。


「え!?同級生なんですか!?それで仲良かったんだ!」


それには答えずに受話器を持ち上げて光っている番号をプッシュする。


「はい。もしもしお電話代わりました。お疲れ様」


『お疲れ。ごめん急に。社用車追加手配して欲しくて』


氷室からこういうお願いをされることも増えた。


片田舎に建つメディカルセンターは、駅からも微妙に距離が離れており、営業周りには社用車が欠かせない。


複数台の社用車を所有管理しているのが人事総務部で、研究所ラボの講演会やセミナーが詰まっている時には社用車がすべて出払ってしまうこともある。


広々とした駐車スペースを保有するメディカルセンターなので、自家用車で出勤する者も少なくない。


「いいよー。急ぎなの?」


まあこのタイミングで連絡を入れてくるのだから急ぎなのだろうと予想しつつ尋ねれば、案の定そうだった。


『この後出かけたいんだけど、雪村さんがいつもの乗ってっちゃっててさ。俺の車いま車検中だから』


そういえば彼は基本車通勤をしていると言っていた。


結と付き合っている頃教習所に通い始めたことを思い出す。


社用車の管理画面を開いて、空いている車を確かめた。


ちょうど二時間ほど前に一台戻って来たところだったのだ。


「あ、そうなんだ?大変だね。ちょっと待ってねー・・・・・・うん。空いてるのあるから大丈夫。急ぎならキー持って行こうか?」


『いや。出かける前にそっち寄る。無理ばっか言ってごめんな。今度なんか奢る』


これはここ最近の氷室の口癖である。


こまめに結を誘いだしてくれるのは有難いが、昔話もそろそろ底を尽きそうだ。


しかも決まってちょっとお洒落なお店に連れて行かれて、絶対に財布を出させてもらえない。


氷室に優しくされればされるほど、あの頃の事を謝られている気持ちになってしまって、こちらのほうが申し訳ない気持ちになるのだ。


男女交際は二人でするものだから、どちらかが一方的に悪いことは絶対にない。


結は気持ちを押し付けすぎて、氷室は気持ちを言えなさ過ぎた。


それだけのことだ。


「ありがたいけど忙しいでしょ?」


『出先で良さそうな店見つけたんだよ。一人だと入りにくいから』


「氷室くんが呼べばいくらだって一緒に行きたい子が寄ってくるわよ」


廊下で氷室と立ち話をしていると、必ずと言っていいほど女子社員たちの視線が集中してくるのだ。


先輩社員の赤松や菊池によれば、氷室が社内で女性社員と和気あいあいと話しているところなんて、滅多に見られないらしい。


つねに外出しているか、打ち合わせで会議室に籠っているかのどちらかなのだ。


『折原が一番誘いやすいんだよ。月初の締め終わった後でどう?』


またしても先手を打たれて断るタイミングを逃してしまう。


「んー・・・それ何系?」


『店の雰囲気からして多分イタリアン。折原、パスタ好きだっただろ?』


学生時代のデートと言えば、決まってファミレスかファストフードで、結はしょっちゅうクリームパスタを頼んでいた。


あの頃の彼の言葉数は今の半分以下だったのに、氷室は結の好物をちゃんと覚えてくれていたのだ。


胸の奥にふわっと優しい風が吹き込む。


「・・・いいねぇ」


今度こそご飯代は私が出そうと心に決めて返事をすれば。


『よし。じゃあ決まりな』


嬉しそうな返事が返って来て、いやいやいやと、浮上しかけた気持ちを押し込める。


これがいまの氷室のデフォルトで、決して結を特別扱いしているわけではない。


もしも特別扱いしているのだとしたら、それは彼の中に残っている罪悪感からだ。


だから、自惚れてはいけない。


じゃあ後で、と言って電話が切れる。


「仲いいんですねー氷室さんと!しょっちゅうフロア来られてますもんねぇ」


明らかに二人の関係を怪しんでいる声で言われて、その手には乗りませんよと笑顔を返す。


氷室のためにも妙な誤解を生むわけには行かない。


「うん、でも仕事だからね」


「折原さんが来てからですよ?それまでは依頼もメールとかだったし、車のキーもわざわざ取りに来たりしなかったし」


「無理言ったから気を遣ってるのよ」


「そうですかねぇ・・・」


いまだ納得しきれない表情で後輩がパソコンに向きなおったところで、出かける準備を終えた氷室がフロアに入って来た。


見ると、カフェテリアのコーヒーショップの紙コップを持っている。


車の中で飲むつもりなのだろうと声を掛ければ。


「はい。これ、差し入れ」


結の机にトールサイズのカップが置かれて目を丸くすることになった。


「え、私!?」


「最近頼み事しまくってるから、ごめんな。助かってる。キー貰える?」


ぽんと気安く肩を叩かれて、あ、とかうん、とかよく分からない返事を返した結に、氷室が眉を下げて小さく笑った。

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