第39話 lacquer red-2

「で、でも、もうちょっとお手柔らかにお願いします」

 

「付き合ってること隠す必要なくない?」


「隠さないけど、公にもしたくないの」


「なんで?」


「私が刺されたらどうすんの!?」


「・・・・・・結、何言ってんの」


心底呆れた口調が返って来て、これだからこの男はと地団駄踏みたくなった。


「あのね、氷室くん、すごい人気なんだよ。たぶん気づいてないだろうけど」


「雪村さんとセットで動くからどうしても目立つんだよ」


「そうじゃなくて、いや、そうなんだけどね、とにかくそんな人の彼女っていうのは・・・」


「荷が重い?命の危険を感じるほどに?」


「・・・・・・む、胸を張って威張れるほどの自信はない」


「お前の不安はともかく、俺は余所見しないよ。いまもしてないだろ」


「・・・・・・・・・」


繋いだ手に込められた力が、彼の本気を伝えてくる。


昔付き合っていた頃だって、氷室は一度も余所見しなかった。


大学で可愛い女の子と一緒のバスケサークルに入っても、バイト先で可愛い女の子の後輩が出来ても。


それはもう義理堅く結に一途だった。


けれど、それを改めてこうして言葉にされると、ジーンと胸が苦しくなる。


「感動するなら、公にしてよ」


「・・・き、機会があれば」


「それ、待ってたら一生来ない気がするんだけどな。俺は、訊かれたら付き合ってること言うよ?」


「それはもちろん!」


結に彼氏がいるのか尋ねてくる男性は皆無だろうが、氷室に、彼女の有無を尋ねてくる女性はきっとひっきりなしに現れるに違いない。


訊かれた時にはもちろん事実をありのまま告げて貰いたい。


彼女の詳細情報は出来れば伏せたままで。


「そこで頷くなら、もうちょっと彼女面して」


「・・・・・・善処します」


どこまでも頑なな結に、しぶしぶ折れた氷室が、捕まえていた指先を解いた。


通知を告げるスマホを取り出して確かめながら、氷室が俺もちょっと遅くなるかもと零した。


「イノベーションチームって暇な時ないよねぇ」


「動いてる案件がいくつもあるから。俺より忙しいのは雪村さんだけどな。あの人ほんといつん寝てんだろうと思う・・・・・・人事総務って月初忙しいんだよな?」


「うんそう。勤怠の締めがあるからね」


全体の勤怠表が上がって来てから諸々の処理が始まるので、営業事務とは異なって月末は比較的穏やかなのが、人事総務の特徴だ。


その点イノベーションチームは、年中無休でセミナー開催の手配をしたり、病院や介護施設の誘致を行ったりしているので、具体的な繁忙期が存在しない。


が、イノベーションチームがのんびりしているところは見た事が無かった。


最近はとくに第二オメガ療養所コクーンの建設プロジェクトでさらに多忙を極めている。


「じゃあ、仕事帰りどっか行くならそれ以外だな。こないだ言ってたゆっくり食えるラーメンは今度連れてく。ほかにリクエストある?」


5分でごちそうさまでしたを出来てしまう氷室とラーメンを味わうのはもう一生無理だと思っていたのに。


うわあ、高校生の頃の私が聞いたら飛び跳ねるなこれは。


「え、訊いてくれるの!?」


「・・・・・・ほんとその反応見てると、昔の俺の至らなさを痛感するよ」


天井を仰いだ氷室が、どこでもどうぞと零した。


彼なりにあの頃の教訓を活かして、結のためにあれこれ考えてくれているのは、ありがたいし、くすぐったい。


さっきのちょっとわざとらしすぎる距離感も、もう許せてしまう。


「たぶん行きたいとこ色々あるんだけど、私もほら、デートらしいデート全然してないしネタ切れしちゃってる。あ、でも、アートアクアリウムは行ってみたい」


オープンからずっと話題になっている新しい水族館は、人気のデートスポットだ。


デートスポット、と言われると、独り身女子は足が遠のいてしまうもので、いつか行けるといいな、と憧れていた場所でもあった。


「ん。うち協賛だから、チケット取れるはず。調べとくな。県内に別の保養所もあるから、日帰り温泉もそのうち行こう。泊りは、折原がもうちょっと俺に慣れてからで」


ちゃんと結の緊張具合を把握してくれている彼の言葉にきゅんとする。


指の背で頬を優しく撫でられて、目を伏せた。


「・・・うん、行く、行きたい。なんか、色々ありがと」


「・・・・・・まだ何もしてないけどな」


「そういう姿勢を見せてくれることが嬉しいよ」


「うん・・・・・・あ、そうだ、あとさ、結」


職場では今まで通り名字で呼んで欲しいとお願いしたら、氷室は一瞬苦い顔になって、まあいいよと請け負ってくれた。


が、いまはもう目を瞑ることにする。


だってとにかく純粋に嬉しいから。


氷室と、ちゃんと恋愛できている自分が、物凄く嬉しい。


大丈夫だという自信が一つ心の中に生まれた。


「うん、なに?」


真顔になった結を見下ろして、氷室が短く告げた。


「結婚を前提にして俺と付き合ってください」


「・・・・・・・・・・・・はい?」


パチパチと目を瞬かせて、告げられた言葉の意味を反芻する結の頬をもう一度するりと撫でてから、氷室が離れた。


「俺は、そういうつもりでいるから。それだけ覚えといて、よろしく」


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