第46話 cherry red
「ビーフ・ウェリントン絶品だったなぁ・・・」
カウベルを鳴らしてビストロのドアを開けて外に出ると、綺麗な星空が見えた。
この辺りは都会に比べて空気が澄んでいるので、どこでも綺麗な星空が見られるのだが、美味しい料理でお腹をいっぱいにしてから見上げるそれは、普段の何倍も綺麗に見えた。
思わず深呼吸してしまう。
吸い込んだ冷たい夜の空気さえ美味しく感じられそうだ。
「な?間違いなかっただろ?」
後から店を出てきた氷室が、先に階段を降りる結の隣に並んで手を繋いできた。
握り返す力加減に迷っている間に、強く握り込まれてしまう。
手探りの結の心境なんて彼にはお見通しのようだ。
「よく見つけたねこんな美味しいお店」
「土地開発の霙依さんに教えて貰った。あの人結構グルメなんだよ」
第二オメガ
西園寺土地開発では次期部長候補と言われているらしい彼のプライベートは雪村同様謎だらけだとか。
「グルメなイケメンって・・・・・・また社内の女子が騒ぐねぇ」
繋いでいた手を軽く揺らして他人事のように嘯けば。
「結も騒ぐ?」
からかうような視線と共に質問が飛んできた。
「騒ぎませんよ。私もう・・・・・・・・・彼氏持ちだし」
非の打ち所がない素敵な彼氏様がいるのに、余所見なんてするわけがない。
結の答えに満足げに頷いた氷室がしみじみと呟く。
「一途だもんな」
「~~っソウデスネ」
そりゃあもう全力で胸を張れるくらい一途でしたよ。
鬱陶しいほどに。
氷室に向かってひたすら猪突猛進で挑み続けた昔の自分が顔を出してくるから、慌てて眠ってて!と押し込める。
「・・・・・・飲んでないのに顔赤くない?」
「それわざと!?」
顔が赤くなるようなことを言っておいて突っ込まないで欲しい。
「素直で可愛いなと思って。結昔っからすぐ思ったこと顔に出すよな。ほんと素直で可愛い」
噛み締めるみたいに二回も言ってくれなくていい。
視線を合わせてきた氷室を無言で睨みつける。
目力が弱いのは百も承知だ。
だって昔から言うじゃないか、惚れた方の負けって。
その昔最初に氷室を見つけて追いかけたのが結だから、きっとこの力関係はこの先も変わらない。
「・・・・・・」
多分、結婚してからも。
け、結婚!?
不意に頭を過った氷室の結婚を前提に発言に、ぶわっと耳まで熱くなった。
あれは氷室なりの誠意の表れで、お互いの年齢を考えれば当然そういう未来も視野に入ってくるわけで、何もおかしなことはないはず。
はずなのに、あの一瞬結は、高校生の氷室に将来を約束されたような気持ちになった。
つまるところさっぱり現実味が湧かなかったのだ。
さすがにお付き合い期間がひと月以上になって、彼氏彼女にも慣れて来たので、ある程度現実味を帯びてはきたけれど。
「俺のことは気にせずに飲めばよかったのに」
「車出して貰ってばっかなのに、そういうわけにいかないでしょ」
仕事帰りの食事デートは大抵が氷室の車移動になる。
駅前にも居酒屋はあるが、大抵メディカルセンターの誰かがいるのであまり行きたくはないし、デート向けでもない。
毎回雰囲気の良いお店を見繕ってくれる氷室に甘えてばかりなのに、一人だけお酒を飲むのは気が引ける。
「俺は酔ってくれても構わないんだけど?」
「いや、飲んでも酔うほど飲まないけどね」
「もしかして俺のこと警戒してる?」
警戒心ゼロかと訊かれればそうではない。
が、これまでの氷室との歴史を考えると、酔った結とどうこうなるつもりがないことはちゃんと分かっていた。
どれだけ歳を重ねても、氷室は根が真面目なままだ。
「信用してる。けど、飲むなら一緒に飲みたいし・・・・・・一人で酔って粗相しても困るし」
「俺にならどれだけ迷惑かけてもいいけど」
当たり前のように言われて、有り難いな、と思う反面どれだけ飲むと思われているのか心配になってくる。
「迷惑かける前提なの!?そんな羽目の外し方したことないわ!」
以前の会社でも、最後まで通常モードで生き残れる数少ないメンバーだったし、酔いつぶれて帰れなくなったことがない。
外でのお酒はたしなむ程度、というのが飲み始めた頃からずっと身についていた。
周りが酔うと面倒なタイプばかりだったせいかもしれない。
「じゃあ羽目外したくなったら教えて。連れて帰るから」
「外さないってば」
苦笑いを返せば、氷室が繋いだ手を自分のほうへ軽く引っ張って来た。
傾いた身体を抱き止められて、見えて来た氷室の愛車の手前で立ち止まる。
「うん、だから、羽目外した結が見たいんだよ」
「・・・・・・・・・幻滅されたら困るよ」
たぶん、この答えは氷室が求めているものではない。
が、ほかに上手な切り替えしが浮かばない。
「しないって」
小さく笑った氷室が覗き込むように顔を近づけてくる。
キスの予感に素直に目を閉じそうになって、ここがお店の目の前の駐車場である事を思い出した。
「あの・・・外・・・・・・」
「誰かいる?」
「え?」
視線を揺らした彼に釣られるように背後を振り返ろうと顔を巡らせれば、大きな手のひらで項を包み込んで引き戻されてしまった。
頬を撫でる手のひらの熱におずおずと目を伏せる。
予告のように瞼の上にキスが落ちた。
吐息が頬を擽ってそっと唇が重なる。
優しく表面を擽られて、目の前のスーツに手を伸ばした。
気持ちいいにはほんの少し足りない淡すぎるキス。
すぐに離れた氷室が、探るようにこちらを見つめてくる。
「続きは車の中でしていい?」
甘やかすように後ろ頭を撫でられて、飲んでいないにも拘わらず勝手に思考が緩み始める。
ちゃんと、キスして、と思ったことがバレていたのだろうか。
「・・・うん」
恥ずかしさを押し殺して頷けば、視線の先で氷室が不敵に笑った。
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