第7話 sunrise pink

ピーッという甲高い電子音に入室を阻まれて、結はげんなりと肩を落とした。


「あれ?なんで?ちゃんと権限付与されてるはずなのに・・・・・・」


何が入っているのか不思議になるくらい重たい社内便の封筒を持つ腕がそろそろ限界を訴えてきそうだ。


社員証とセキュリティカードを持っていれば、研究所ラボの手前までは入れるはずなのに。


セクションごとに細かく分けられている入室制限については、メディカルセンターに異動してきてすぐに説明を受けた。


が、こちらに来てからひと月弱の間は、決算関係と新年度準備の仕事しかしておらず、人事総務のフロアに籠り切りで過ごしたので記憶が曖昧になっている。


本当は年度始めに合わせて、西園寺不動産からメディカルセンターに異動する予定だったのだが、産休取得予定だった人事総務の女子社員の体調が急変して、そのまま休暇に入ってしまい、決算準備もままならなくなったメディカルセンターの人事総務からの緊急要請を受けて、急遽異動時期を早めて着任が決定した結は、そこから怒涛のひと月弱をフロアに缶詰状態で過ごした。


ようやく新年度が始まって落ち着いて通常業務をこなし始めたばかりで、これから施設内のセクションや社員についても少しずつ覚えて行こうと思っていた矢先、年度末の疲れが出た後輩が体調を崩してしまった。


先輩社員が抜けた穴を必死に埋めようと頑張ってくれていたこともよくよく分かっていたので、いまは仕事のことは忘れてとにかくゆっくり休んでね、とメッセージを送っておいた。


西園寺不動産では営業支援部の経験もあるし、支店では事務仕事は一手に引き受けて来たので、同じシステムを使っているメディカルセンターでの業務で困る事はまずない。


支店時代は、何人もの新人事務員と新人営業マンを育てて来た結である。


手持ちの仕事をテキパキ片付けて後輩の仕事を捌いておくのも慣れたものだ。


とここまではよかった。


超基本的な社内便の配布に関しては、忙しい間は慣れた後輩が一手に引き受けてくれていて、入室制限ゾーンについては来週くらいから一緒に確認して回ろうという話になっていたのだ。


ところが、本日はその後輩が不在。


セキュリティカードへの権限付与は、セキュリティーチームの担当で、万一不備があった場合には再依頼をして権限を付けて貰わないといけない。


決算と年度始めのごたごたで権限チェックも後回しにしていたことが今更ながら悔やまれる。


面倒だけれどここは一度フロアに戻って課長に確認を取った方が良さそうだ。


もう一度のこの重たい社内便の封筒を持ってくるのは嫌だけれど、致し方無い。


諦めて踵を返したら、廊下の先で立ち止まってこちらを見ている男性社員と目が合った。


先日夕飯を一緒に食べに行ったばかりの氷室である。


「あ、やっぱり折原だった。どうした?なんか困ってる?」


結の顔を見るなりそう言い当てた氷室の観察眼の鋭さは今も昔も健在のようだ。


「え、分かるの!?」


「分かるよ。眉下がってる。なに?迷子?」


からかう口調でこちらまで歩いてきた氷室が、結が戻って来た奥のフロアを確かめた。


新薬開発研究所ラボか」


「これをね、届けたいんだけど、私のセキュリティカードだと弾かれちゃうみたいで・・・・・・研究所ラボの入口までは入れるって聞いた気がするんだけど・・・」


それすらも移動直後のことなので、定かではない。


困り顔になった結に、氷室が軽く手招きしてきた。


彼は手に薄型パソコンを抱えているので、会議に行くか会議が終わったところだったのだろう。


「ここさ、ウチの中でもかなりセキュリティー厳しい場所なんだよ。だから、管理部門の社員はまずここには入れないようになってんの。だから、この手前のゾーンでパネル操作して、研究員呼び出すのが普通」


こっちこっちと手前の廊下まで戻った氷室が、壁際に設置されているパネルを指さす。


「そうなんだ!?いつも社内便やってくれてる後輩の子がお休みで困ってたのよ・・・セキュリティカード翳してもピーピー鳴るばっかりだし」


「セキュリティカード翳したんだ?」


「うん」


「何回?」


「え?さ、三回は試したと思うけど・・・」


「マズいな」


結の返事に途端氷室が顔を顰めた。


「え、だ、だめなの!?」


急に真顔になった彼に不安を覚えて尋ね返せば。


「権限のないセキュリティカード何度も使うと警備システムが作動するようになってんだよ」


そのうち大きいブザーが鳴り響いて警備員が飛んでくるのだろうか。


「ええええええ!?嘘!」


異動早々やってしまったと顔面蒼白になる。


縋りつくように氷室の腕を掴んだら、こちらを見下ろしたまま彼がにやっと意地悪く微笑んだ。


「うん、嘘」


「っは!?」


「警備員飛んでこねぇよ。大丈夫」


「もももももう!本気で焦ったよ!!!!」


大声でわめいて、縋りついていた氷室の腕を遠慮なしの力加減で叩いた。


涙目の結を見下ろして氷室が苦笑いを零す。


こんな事ならあの日ご馳走になったお夕飯でもっと高いお酒を飲んでやれば良かった。


「ごめんごめん。本気で不安そうだったからついからかいたくなった・・・・・・ほら、これ見てみ。パネルタッチしたら、画面切り替わるから」


言葉通り、氷室が指を触れさせると会社案内が流れていた画面が切り替わってシステム画面になった。


「ここで、受付タップすると研究所ラボに繋がる・・・・・・」


『はーい。新薬研究所ラボでーす』


女性の声が聞こえて来た。


新薬開発研究所ラボは、メディカルセンターで一番有名なセクションにも拘わらず、研究所ラボの中で一番謎が多い部署だ。


所属課員はイノベーションチームと並んで精鋭ばかりだという話は異動直後から聞かされているが、実際に研究者と顔を合わせたことはまだ無かった。


「イノベーションの氷室です。社内便持ってきました」


イノベーションの氷室がわざわざ社内便を持ってくる状況がかなりおかしい。


案の定返って来た返事は驚きを含んだものだった。


『え?あ、はーい!すぐ行きまーす』


画面が再び社内案内に切り替わって、氷室がこちらを振り返る。


「な?」


「忙しいのにありがとうね!あと、こないだの美味しいご飯もありがとう!」


「顔は怒ってるけど?」


「怒ってません!」


「・・・・・・・・・なんかさ、折原って・・・」


まじまじとこちらを見下ろした氷室が急に思案顔になったので、慌てて身体を引いた。


元カレならではの距離感なのかもしれないが、やっぱり心臓に悪い。


「な、なに?」


「いや、いいわ。あと一人で平気?」


「あ、うん・・・・・・」


頷いた結を確かめて、氷室が手首に巻いた腕時計に視線を落とす。


意地悪はされたけれど、助かったし、時間を取らせちゃったなと思ったら、おもむろに伸びて来た手のひらが後ろ頭を軽く叩いてきた。








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