第19話 strawberry-2
彼女が望む男女交際も真っ当な愛情の返し方もさっぱりわからないまま、それでも手探りで距離を縮め始めたばかりの二人の接点が、高校とバスケだけだったと悟ったのは大学に入ってから。
お互い別の大学に進学してそれぞれの生活リズムがあって、バイトも始めて、それまでのように結から頻繁に連絡が来る事が無くなった。
そこで初めて自分がずっと受け身なままで過ごして来たことに気づかされた。
向けられる愛情を受け止めることで精一杯で、思いを返そうとか、届けようとか、考える余裕すらなかった。
彼女が向ける視線を取りこぼさないように、相槌を忘れないように現状維持に必死の自分に初めて結が本音をぶちまけて、こんなの付き合ってるって言えない、と泣かれてやっと自分の欠点に気づいた。
けれど、広がった距離はどうすることも出来ずに、驚くくらいあっさりと結から別れ話を切り出されて、頷くよりほかになかった。
”氷室くんてさぁ、かっこいいんだけど、なんだろ・・・全部が足りないよね”
結と別れてから半年ちょっとしてから付き合ったバイト先の先輩に言われた一言で、結の言葉を思い出した。
自分がどれくらい彼女に甘えていて、甘え切っていて、結が欲しがるものを何一つ差し出せずにいたのか思い知らされた。
後悔は悔しいくらい糧になって、気持ちを言葉と態度にすることを覚えたら、一気に近づいて来る女子が二倍に増えた。
結が欲しがっていたのはこれだったのかと実感した。
最初のつまずきが嘘のように次からの交際は順調で円満。
恋愛を楽しむ余裕さえ生まれて、将来を見据えた付き合いもそろそろ、と考え始めた頃に、偶然社内で結と再会した。
あの頃より大人びてはいたものの、彼女の内面はなにも変わっていなかった。
氷室を見止めた途端、思い切り狼狽えて、それから無理に笑顔を作って挨拶を交わして、仕事は終わったとばかりにすぐにその場から逃げ出した彼女は、それから一度もこちらを振り向くことは無かった。
社内でもそれなりにモテてきた自覚はあったし、飲み会の誘いは絶えない。
あの頃と変わった自分を見たら彼女はもっと喜んでくれるかと思ったのに、真逆の反応が返って来て、それから彼女を目で追うようになった。
あの頃必死に追いかけてくれていた結に何一つ愛情を返せていなかったこと、それを今からでも謝りたいと伝えて食事に誘った。
結は困り顔で頷いて、元気そうで良かったと当たり障りのない笑顔を返した。
こちらの一挙手一投足を見逃すまいと全神経を向けてくれていた結の欠片がどこにも見当たらなくて、ああ俺はもう一度この子に愛されたいのかと気づいた。
それから時間を見つけては人事総務に顔を出し、勤怠表の変更メールは全て結の個人アドレスに送ってコミュニケーションを取りつつ彼女が現在も独身で、彼氏がいないことを確認した。
こちらから距離を詰めれば靡いてくれるのではと思ったけれど、これまでの彼女たちのようにはいかなかった。
こちらから向ける好意はすべて罪滅ぼしに変換されてしまうのだ。
何度目かの食事で、これ以上気を遣わないでねと言われて、彼女と自分との間にある温度差と懐かしさだけでは埋められない隔たりに愕然とした。
ただの同僚から一歩も前進出来ていなかったことにショックを受けて、今度こそ言葉と態度で彼女に愛情を示さなくてはならないのだと気づいた。
だからあの日、懇親会の準備を終えたばかりの結を連れ出して、もう一度付き合って欲しいと告白したのだ。
はっきりと言葉にすれば、彼女もこれまでの行動の意味に気づいてくれると思った。
あの時のように泣き笑いの笑顔を浮かべてくれることを期待した三秒後、表情を強張らせた結はそれは、ちょっと・・・と眉根を寄せた。
完全に想定外だった。
氷室の知る折原結は、氷室の言葉は全肯定で何を言っても嬉しそうに微笑んで、目を合わせれば照れたように真っ赤になって、手を繋げば小さく肩を震わせるような女の子だったのに。
『折原は、昔のことがあるから前向きになれないんだろうけど・・・絶対傷つけないし、ちゃんと気持ちは言葉で伝える。二度と後悔させないから』
『・・・・・・・・・私・・・もう空回りしたくないんだよね・・・氷室くん、あの頃と全然違うし・・・もっと自信がないっていうか・・・』
『いい加減な付き合いするつもりはないよ』
『・・・・・・でも』
『俺のこともう嫌いになった?』
『あの時だって嫌いで別れたわけじゃないよ・・・上手く行かないって分かったから別れようって言ったの』
どれだけ彼女が違うと言っても、昔のことは全部自分のせいだ。折原に甘えていたこちらが悪い。
あれで平気で彼氏面していたこと自体が信じられない。
『ちゃんと好きだったし、いまも好きだよ』
『・・・・・・え・・・っと・・・ありがとう・・・』
『昔傷付けたお詫びとか、罪滅ぼしじゃなくて、いまの折原を見て本気で好きになったから、俺のこと嫌いじゃないなら考えて』
『・・・・・・ほんとに・・・変わったね・・・・・・氷室くん』
どれだけ言葉足らずなまま結と向き合っていたのかを痛感させられる一言だった。
『10年経ったんだから、変わってなきゃ困るだろ。頼むから、今の俺の事ちゃんと見て答え出してよ』
どうにかして名誉挽回する機会が欲しい。
是が非でも。
『絶対にあの頃と同じことにはならないし、しない。だから、俺と付き合う事考えて』
こんなに言葉を尽くして誰かを口説いたのは初めてだった。
それでも、抉じ開けられた心の隙間はごく僅か。
つくづく過去の自分が恨めしい。
結の愛情の上に胡坐をかいてふんぞり返っていたせいで、現実はこんなにも苦い。
惚れた弱みもあるのだろうが、あの頃の結は、氷室の意見に異論を唱えた事なんて一度も無かった。
それだけ好かれたかったのだ。
だから、氷室が少し強く出れば彼女はいつだってすぐに折れた。
そして、恐らくそれは今も変わらない。
必死に彼女の心を引き留めようと視線を合わせれば、観念したように結が目を伏せて頷いた。
『考えるから・・・・・・えっと・・・時間を下さい』
高校最後の青春に甘やかな想い出を残してやれなかったことが悔やまれる。
どれだけ待たされても文句なんて言える訳も無い。
彼女からはっきりとした言葉を聞けない限りは、他の誰かになんて行けるはずもなかった。
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