第57話 ruby-2
下心がないと言えば嘘になるが、さすがに酔っぱらった彼女を押し倒すわけにはいかない。
ベッドの端に腰を下ろして、横になった彼女の下ろし髪をそっと撫でた。
最近彼女はいつも髪を下ろしている。
たぶん、氷室が下ろし髪が好きだと言った日から。
こういう些細なことですら嬉しくなるのだから、彼女がこの部屋で寝起きするようになったらどうなってしまうのだろう。
「結、枕元に水置いとくから。目ぇ醒めたら飲んで。明日の朝ちょっと早めに家まで送っていく。俺はリビングで寝るからなんかあった呼んで・・・」
とろんとした眼差しのまま、氷室の言葉に耳を傾けていた結が、こくんと頷いた。
どうにも緩みまくった彼女の雰囲気と表情とシチュエーションが色んな意味でこの後の展開を期待させて来る。
そういえば、一番ピークで色々盛んだった男子高校生の頃、こういう結とのシチュエーションを思い浮かべては一人でしたなと思いだして苦笑いが零れた。
まさかここまで引きずるとは思っていなかったけれど。
伝えるべきことは全部言ったなと確認して、危機感ゼロの彼女の側から早々に離脱しようと立ち上がった瞬間、結が手を伸ばして来た。
「ん?なんかある?」
すでに何度か部屋に来たことのある彼女なので、キッチンやトイレの場所は分かっているはずだ。
心細いと言われたら隣に居てやることは出来るが、その後の自分についてまでは保証できそうにない。
「・・・・・・・・・行かないで」
どっちに意味だろうと一瞬迷った。
都合よく受け取っていいものか、それとも言葉通りの意味なのか。
迷ったことを悟った結が、氷室の手を強く握りしめてきて、彼女の意図するところが分かった。
それでもやっぱり最後まで迷った。
さんざん拗らせた自覚はある。
彼女から手を伸ばしてくるまでは大人しく待とうと決めたのは、結の心が固まるまで待つ義務があると思ったから。
及第点未満だった出来損ないの初カレを脱却するまでは、その先にはいけないと自分を戒めている部分もあった。
「・・・結、お前酔ってるだろ」
「だ・・・・・・って・・・・・・酔わないと・・・勇気出ないんだもん・・・・・・氷室くん、け、結婚前提とか言ったくせに・・・あれから何度かそういう感じになっても・・・結局なんにもして来ないし・・・・・・私もいつまでも昔の事引きずっちゃうし・・・・・・前に進めないし・・・だから・・・・・・」
許されるなら付き合って早々にしたかったのが本音だ。
なんせ10年以上ぶりに再会した元カノである。
もっと言うなら、一番そういう妄想をした相手だ。
結局最後まで手を出せなかったけれど。
記憶の片隅に残っている願望を片っ端から実現させていきたい、とは言える訳もない。
「勢いで言ってない?それ、俺は真に受けていいの?」
酔った勢いの勇気に乗っかって良いものかと、彼女の手を反対の手で包み込む。
ほどよい酩酊感と火照りが残る指先は、どうしようもなく柔らかくて温かかった。
これで拒めというほうが無理だ。
「・・・・・・ひ、氷室くん・・・・・・シたくない・・・?」
涙交じりの両目で見上げて来られた瞬間、理性の天秤が綺麗に砕けた。
もう酔ってても何でもいい。
この手を一瞬だって解きたくはない。
「・・・・・・死ぬほどしたいよ。でも、この先のことも考えてるから慎重になるし、急かすようなことはしたくない。でも、結の勇気をそのままにもしたくない」
ほんのりと染まった頬にキスを落として、抱きしめる直前で腕を留めた。
シーツに縫い留めてしまったら、多分もう彼女の意志は再確認してやれそうにない。
「・・・・・・ほんとにいいの?」
目を伏せて頷いた結が、肩に額をぶつけてきた。
わずかに掛かった重みを抱きとめて、そのまま背中を支えて体勢を入れ替える。
あっさりシーツに転がることになった結が、一瞬目を丸くした。
「・・・・・・・・・俺、めちゃくちゃ我慢したんだけど、分かってる?」
さっきは迷ったスカートのホックを早々に外してしまえば、結が慌てたように手で押さえてきた。
その手を捕まえて手首の内側に強く吸いつく。
氷室の纏う気配が変化したことに気づいた結が、視線を揺らした。
待ってと言われたくなくて、唇を塞ぐ。
ワインの風味がほのかに残る口内を一巡りして、舌先を擦り合わせたら腕の中で彼女が小さく震えた。
いま何時だったっけと思い出しながら、まろやかな腰のラインを撫で下ろす。
肩に縋りついてきた結の耳たぶに甘噛みを落とせば、甘い声が響いた。
「・・・・・・っん」
あの頃一度も聞けなかった濡れた響きに否応なしに劣情が駆り立てられる。
それなりにプランも考えていたハズのなのに、ここに来てすべてが完全に消し飛んでいた。
「・・・・・・遅刻させないようにするから、ごめんな。寝不足は諦めて」
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