第23話 coral pink-2

「・・・・・・だからさ、そういうのやめない!?」


ここぞとばかりに攻めの手を緩めない氷室を睨みつける。


「折原が付き合うって返事くれるまでやめない」


息を吐くように言われた言葉の意味に、心臓がばくばくと大騒ぎを始める。


「ちょ・・・だ、だから・・・・・・大人になったし・・・・・・あの頃とは違うし、上手く行かないと思うって言ってる・・・もっとほら・・・今の氷室くんに似合う人がほかに・・・」


余るほど沢山いる、と言いかけた結の指先を氷室が軽く握り込んできた。


「それでも俺はお前がいいよ」


「・・・・・・・・・」


付き合って欲しいと言われたのは数週間前の話なのに、今の方がドキッとした。


この先の未来を提案されるよりも、今の等身大の結が良いという一言は痛いくらい胸に刺さった。


目を丸くした結に呆れた顔になった氷室が苦い顔でぼやいた。


「だから、なんでそこでびっくりすんの・・・俺前も言っただろ」


「・・・・・・だって・・・・・・・・・こんなはっきり・・・」


あの頃一番聞きたかった言葉のひとつがこれだ。


結は最初から氷室だけを見つめて、氷室だけを選んで来た。


結の告白から始まった交際ではあったけれど、同じ時間を過ごしていくうちに、氷室にとっての結も同じような存在になれたらと、夢を抱いていたのだ。


当然当時の彼は、結が憧れる言葉の一つも届けてはくれなくて、けれど、繋いだ手を別れ際まで解く事だけはしなかったから、それが彼の愛情表現のすべてだと思っていた。


久しぶりに胸の奥がキュンキュンする。


こんな風に誰かから真っすぐに愛情を向けられるのは久しぶりで、それがあの頃追いかけていた相手だから、喜びも感動もひとしおだ。


気を抜けば泣いてしまいそうで、必死に唇を噛み締める。


「言わないと伝わらないって教えてくれたの折原だろ。だから、ちゃんと言うから。とりあえず、避けまくるのは無しで、あと、これよろしく」


差し出された社用車の使用履歴のファイルを受け取ってこくんと頷く。


「あのさ、嬉しいなら、付き合うって言ってよ」


「!?」


自分のいまの表情がどうなっているのかさっぱり分からない。


けれど、胸が高鳴ったことはばっちり彼に見抜かれてしまった。


「な、なんで!?」


「俺もそれなりに折原のこと見てたから」


「・・・・・・・・・」


結が見上げると秒で逸らすことが常だったあの頃の彼の視線が、いつ降り注いでいたのかは分からない。


けれど、恋に不慣れな彼なりに、結の表情の変化をきちんと見て取ってくれていたのだと思うと、どうしようもなく胸が震えた。


「・・・・・・あ、泣く?」


慌てたように手を伸ばして来た氷室の手が頬に触れる直前に首を横に振った。


思い切り流されている自覚があった。


「だから、なんで・・・・・・」


そうやって簡単に手を伸ばしたり慰めたり、あの頃してくれなかったことを今更みたいにしてくれるの。


「もっぺん言う?」


表情の変化ですぐに気づくのだと言外に告げられて、穴を掘って埋まりたくなる。


先々こういうことがあるたび先読みした彼に先手を打たれるのかと思うと堪らない。


無意識にでもそんな未来を思い描いた自分が恥ずかしくなった。


「言わなくていいっ」


強い声で突っぱねて頬を押さえた結に、肩を竦めた氷室が一つ頷いた。


「あ、そう・・・あとさ、今度、雪村さんたちとグランピング行くんだけど、折原も来ない?」


いきなりの話題転換に一瞬理解が追いつかない。


グランピング?


「・・・・・・イノベーションチームの集まり、私関係ないし・・・雪村さんともそんな喋ったことないし」


「赤松さんも来るから」


赤松と結はそれなりに交流があることを氷室も知っているようだ。


「・・・・・・ああ・・・それで」


赤松は雪村に嫌われている、とはっきり言っていたにもかかわらず、やっぱり休日もつるんでいるのだから、やっぱりあの二人はよく分からない。


「俺が、折原連れて行きたいって言ったら、雪村さんも赤松さんもいいってさ」


「な・・・」


その言い方だとまるでダブルデートのようじゃないか。


氷室は赤松に、結に告白した事を伝えたようだが、雪村は何も知らないはずである。


自分の部下が社内の女の子を一緒に連れて行きたいと言ったら、それはもうそういうことだと思うのが普通だ。


「理由は言わなくても分かるよな?」


氷室はとっくにそのつもりで雪村の提案に乗っかったんだろう。


結だってあれから別の人と恋をしたし、片思いだってして、それなりに経験を積んできた。


けれど、それをどれだけ縒り合わせてみたって氷室には歯が立たない。


一番心が柔らかい時に夢中になった相手は、こうも記憶から消えてくれないものなのか。


最初から彼にはゴールが見えているとしか思えない。


「ほんとに氷室くん性格悪くなったね」


恨めしい気持ちで氷室を睨みつければ、握った手を解いた氷室が、ぽんと手の甲を叩いてきた。


「俺の必死さを褒めてくれよ。雪村さんが、西園寺の保養所押さえてくれるって。景色も綺麗らしいから、たまには外で会おう。な?」


「私が嫌だって言ったら氷室くんどうすんの・・・?」


「んー?そんときは、折原が喜びそうな別のプラン考えるよ」


待てど暮らせど来ないデートのお誘いにしびれを切らして自ら計画を練って氷室を誘うのは、結の役目だった。


二人で楽しめる場所を必死になって探して、恋愛映画のチョイスでは失敗して、運動公園のアスレチックでは大盛り上がりした。


どれも良い想い出だ。


そして、いまは、大人になった氷室が結を喜ばせようと必死に頭を悩ませている。


あの頃思い描いていたこんな風になったらいいな、が次々と目の前に差し出される現実は、本物なんだろうか。


「・・・・・・・・・行く。行きたい」


零れた言葉はあの頃の自分が零した声なのか、それとも大人になった自分が零した声なのか。


結の返事に、氷室が柔らかく相好を崩した。


彼が緊張していたのだと初めて気づいた。


ポーカーフェイスを装ってこちらを伺っていた彼の心をいま揺さぶっているのは他ならぬ結自身なのだ。


いまだにそれが信じられない。


「うん。連れてく」


眦を和ませた彼の気易すぎる雰囲気にこれはいかんと気を引き締めた。


「あ、赤松さんがいるし!雪村さんとも・・・・・・な、仲良くなりたいから・・・」


決して氷室に惹かれて行くわけではないと、必死に言い訳を口にすれば。


「その前に俺と仲良くなろうな」


途端顔をしかめた氷室が有無を言わさずもう一度結の手を握りしめた。

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