第17話 burgundy

追いかけて、追いかけて、追いかけ続けて終わった恋が、今頃になって告白という形で返って来た。


もっと彼から愛されたいと願い続けていたあの日の自分に、いまの自分は勝利したことになるんだろうか?


氷室からの告白は、気まぐれでも勢いでもなかった。


それはなかったことに出来ない熱量を持って結の心まで届いた。


そしてその熱は、何日経っても変わっていない。




いつもより早めのお昼を摂りにカフェテリアに向かうと、テーブル席はほとんど空席状態だった。


ざわめきで埋め尽くされているカフェテリアしか知らない結は、広々としたカフェテリアを初めてゆっくりと見学することが出来た。


スキルアップ研修の申し込み締め切りが過ぎたばかりなので、午後から二人で集計を取って申請作業を行わなければならない。


管理部門向けのスキルアップ研修はカリキュラムも豊富で、費用も会社持ちのためかなり人気がある。


研修が始まるとレポートや課題提出のフォローを行うのも結たちの仕事だった。


研修のスタート時期と勤怠の締め日が重なると残業が確定になるので、出来るだけ早めの処理を心がけていた。


「折原さんって向こうでは営業支援と、支店事務してたんですよね?」


「そうよー」


「じゃあ管理部門のスキルアップ研修って初めてなんですか?」


「営業支援の時は管理部門と営業部門の研修両方取ってたから、初めてじゃない。けど、久しぶり過ぎて忘れてることのほうが多いわ、きっと」


「毎年カリキュラムも変わってますしねー。項目多すぎて何取ればいいのかさっぱりわかんなくって、一年目は課長に選んで貰いましたもん」


「あ、でもそれ正解よ。研修レポートって査定にも引っかかって来るから。迷ったら相談してね」


「はーい。研究部門の講演会の審査依頼も来てましたし、午後やること多いですねー」


「ここから月末までにどれだけ捌けるかだよねぇ・・・」


研究部門の研修については、各セクションから講演会等の申し込み申請を受けてそれを審査受理する方法を取っていた。


「最近、氷室さんフロア来てませんね?忙しいんですか?」


オニオンスープを一口飲んだ太田がちらっとこちらを見てきた。


温かい天ぷらそばを啜って、平然と返す。


「石川出張って聞いてるけど?」


「へえー・・・聞いてるんですねぇ」


「た、立ち話のついでにね」


立ち話は嘘だった。


あの告白以降、氷室は自分のスケジュールをちょこちょこ結に連絡してくるのだ。


ちなみに三日間の石川出張を終えて今日の午後メディカルセンターに戻ってくる予定だった。


「いい感じでしたもんねー、氷室さんと折原さん。もうとっくに付き合ってるのかと思ってましたー」


「付き合ってません。仲は確かに悪くないけど、私こっちに他に知り合いいないから・・・特別氷室くんとだけ仲良くしてるわけじゃ・・・」


「え、でも氷室さんは折原さんと仲良くしたがってましたよね?最初っから」


きらんと目を輝かせた太田が、アツアツのえびグラタンを頬張る。


たしかに先に距離を詰めて来たのは氷室のほうだった。


が、最初のあれは間違いなく罪悪感からくるもので、恋愛感情ではなかったはずだ。


いったいいつから氷室の視線が熱を帯びるようになっていたんだろう。


どんな眼差しを向けられても、イコール謝罪としか受け止めて来ていなかったので申し訳ない。


何より、氷室がもう一度自分を好きになるわけがないと思っていたのだ。


「・・・・・・・・・あのね、太田ちゃん、大人には色々あるのよ」


入社三年目の彼女には理解できない深い事情があるのだと真顔で諭せば、利口な後輩はそれ以上突っ込んでは来なかった。







・・・・・・







化粧室に向かう太田と別れてハーフコートに向かったのは気持ちがモヤモヤしていたから。


ようやくお昼を回ったところで、憎らしいほどに燦燦と太陽が照りつけてくる。


日焼けは気になるけれど、日差しは嫌いではない。


それは多分、高校時代嫌というほど外コートで練習をしていたから。


強力な日焼け止めが今日も肌を守ってくれるだろうと信じつつ、氷室が置いて行ったバスケットボールを手に取る。


ボールが無かったときはずっと未完成な気がしていたこの空間も、これで完璧なハーフコートになった。


ゴール下で軽くドリブルを突いて、そのままシュートを打つ。


リングの縁に一瞬阻まれたボールが、弾んでボードに当たってネットをくぐり抜けた。


落ちて来たところを拾ってまた同じようにシュートを打つ。


やっぱり昔よりもずっと重たい。


「折原」


三度目のシュートを打ったところで、ハーフコートの外から声が掛かった。


「氷室くん!お、おかえり。あ、ボールありがとう」


これまでのように笑顔を浮かべることが出来ないのは、告白の余波が抜けていないことと、自分が答えを出せていないせいだ。


「うん、ただいま。いーよ、好きに使って。あのさ折原」


「っはい!?」


改まった態度で名前をよばれると固まってしまうのはあの頃のまま。


「そんな硬くなんないでよ・・・・・・言っときたいことあって」


「え!?」


あの告白だけでもあっぷあっぷしているというのに、まだ何か氷室から聞くべき事柄があるのか。


明らかに険しい表情をしていたんだろう。


氷室が宥めるように結の肩を叩いてきた。


「大したことじゃないから」


「あ、そう・・・・・・なんだ、なに?」


「出張行く前日に、経理の女子から告られた」


「へあ!?」


いや、それはどう考えても大したことだ。


経理って誰、どの子!?


必死に社員名簿を記憶の中で捲るが、如何せん名前と顔が一致しない人の方が多いのですぐに答えは出て来ない。


ぎょっとなった結の両の目を覗き込んで、氷室が続ける。


「ちゃんと断った。好きな子いるって言ったし。そんだけなんだけど」


それだけではないと思うが、ちゃんとした答えを出せていない結に、具体的な言葉を紡ぐことは出来ない。


結局曖昧な返事だけを返すことになる。


好きな子、というパワーワードに心臓が壊れそうになった。


「・・・・・・ああ・・・はい・・・うん」


「他所から変な風に話聞かれるのも困るし、誤解されるのも嫌だから、直接言っときたくて」


伝えれて良かったと安堵の表情を浮かべる氷室に、申し訳なさとときめが一気に押し寄せてくる。


「・・・・・・うん」


結が余計な心配をしないように彼はこうしてちゃんと話をしてくれたのだ。


「俺は誰に告白されてもブレないよ。あの頃の折原と一緒」


まるで昔の結を褒め称えるようなセリフに、思わず泣きそうになった。







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