第9話 mallow

「折原さーん、いいですよ!そっち私持ちますよー!」


外出から戻ったところで、警備員室のある裏口からこちらに向かって歩いてくる結と後輩の女子社員の姿を見つけた。


腕に抱えているのは社内便の袋だ。


午前と午後の二回西園寺グループ間で定期便の配送が行われており、それを管理しているのが人事総務だった。


とにかく機密情報が多いメディカルセンターは、社内便の受け渡しについてもタブレットで管理しておりデスク上放置は厳禁となっている。


後輩よりも明らかに沢山の社内便の袋を抱えた結の歩くスピードは少しも緩まない。


「いいのいいの。誰が持ったって荷物は荷物でしょー」


「エレベーター点検中だし階段二往復もさせられませんよー!」


「馬鹿ねぇ。エレベーター点検中だから二人で行くんでしょ?ほらー行くよー」


あっけらかんと言って内階段に向かうその後ろ姿はどこまでも溌溂としている。


ふとそれが高校時代の彼女の後ろ姿と重なって見えた。


昔から彼女は面倒見が良かった。


後輩達からも慕われていたし、居残り練習で後輩にシュートフォームを教えているところを何度も見かけたことがあった。


そういう結のいい所ばかりを再会してからこちらしょっちゅう思い出すのだ。


どれも高校生の頃の自分がぼんやりと見過ごしてしまっていたことばかり。


それでも記憶に残っているということは、何かしら惹かれるところがあったからだろうに、つくづくそういうことに疎かったんだなと、自分の愚鈍さが憎くなる。


明るくて面倒見がよくて気が利いて、どう考えても理想の彼女だったはずだ。


あの頃の結は誰が見ても疑いようのないくらい氷室のことを好きでいてくれた。


ちゃんと繋いでおけばよかった。


ちゃんと応えておけばよかった。


込み上げてくるのはどれも苦い後悔の感情ばかりだ。


彼女は昔となにも変わっていない。


氷室を好きでなくなったこと以外は。








・・・・・・








「結せんぱーい!いいですって!置いといてください!うちらでボール片付けますから!」


部活終了時刻の19時を回って、外コートの端で使ったボールを集めている後輩たちの輪に当たり前のように加わっている制服姿の結を見かけたのは秋の終わりの事。


受験対策の模擬試験を終えて、休む暇なく予備校へ向かう同級生の流れから外れて立ち止まったのは、彼女の名前が聞こえて来たから。


お互い予備校があるので、最近は電話はほとんどせずにメッセージのやり取りが主になっていた。


話題を提供しなくていいメッセージのやり取りは、電話の数倍気が楽だった。


「いいのいいのー。お邪魔してるのはこっちなんだから、後片付けくらい手伝わないとー」


「お邪魔じゃないですよ!先輩がたまに顔出してくれるのめっちゃ嬉しいし励みになりますもん!」


「そうですよー!」


「みんな優しいなぁーもう!受験勉強なんかやめて毎日部活来たくなっちゃうじゃーん!」


手にしたボールをすっかり日の暮れた夜空に向かってほうり投げた結の言葉に、ああ、それは同感だなとぼんやり思う。


彼女はおそらく予備校までの時間潰しに部活を覗いたんだろう。


「それは駄目ですー!私も来年先輩たちとおんなじ大学行くの目標にしてるんですから!それで、もっかい一緒にバスケしましょうね!」


女子バスケ部の三年生は半分以上が同じ大学を目指していると聞いていた。


バスケサークルでみんなでまたゲームをするのが目標だということも。


こちらから訊かずとも結は自分のことは何でも包み隠さず伝えてくれる。


昨夜母親と口喧嘩をしたこと、今日のお弁当の中身、いま好きなサスペンスドラマの考察。


知らず知らずのうちに彼女の情報で自分の頭の一部は埋め尽くされていた。


「そうだねぇー。みんなでまたバスケしたいよねぇー!いよっし!なんかやる気湧いてきたわ!・・・・・・あ!」


そのままゴロンと外コートに寝転がった結が、立ち止まって自分たちを見ている氷室に気づいて声を上げる。


今日は会う約束をしていなかった。


「氷室くん!」


弾かれるように起き上がった結が、ボールを後輩に押し付けて、ごめんね!ごめんね!と何度も手を合わせてスカートの埃を払っている。


「わーいいなー!結先輩、彼氏さんお迎えですかー?」


「氷室さんやっぱカッコいいですねー!」


「羨ましいー!!」


照れたように笑った結がこちらに駆け寄って来て、至近距離で見上げてきた。


期待と高揚感でいっぱいの両の目には、反応に困った情けない男子高校生が映っている。


「氷室くん、模擬試験受けてたんだ!?」


「あー・・・うん。そっちは?」


「私は先週予備校で受けたからこっちはパスした。試験ばっかりで頭パンクしそうだったから!」


「そっか。今日予備校?」


「うん。これから。氷室くんも?」


「うん・・・・・・駅まで、一緒に行く?」


この流れでじゃあまた、というのもおかしな感じがして、そう提案すれば、結がぱあっと表情を明るくした。


ぴょんぴょん飛び跳ねて全力で喜びをアピールされて、たじろぐ。


「っっっ行く!あ、カバンおきっぱだ!ちょ、ちょっと待ってて!すぐ、すぐ取ってくるから!」


一目散に駆け出した結の背中に慌てて声を掛ける。


「時間あるし急いでないからいいよ」


「でも、駅で喋りたいから!」


なんともいじらしい返事と共に、後輩たちのひやかしの声が飛んできて、氷室は真っ赤になって俯いた。


本当に、彼女の愛情はどこまでも真っ直ぐだったのだ。







・・・・・・・・







「どうした?そんな悔しそうな顔して」


外で一服してから戻って来た上司の雪村が、隣に並んで氷室の顔を不思議そうに眺めて来た。


喫煙者の彼は施設内の喫煙所よりも外で煙草を吸うことが多い。


一人で過ごせる秘密の場所がどうやらあるらしい。


「・・・・・・悔しそうな顔してます?」


頬に手を当てて尋ね返せば、雪村が今日の商談悪くなかったよとフォローしてきた。


「ああ、すみません・・・・・・そっちじゃなくて・・・」


内階段に入っていく二人の後ろ姿を同じように眺めて、雪村が訳知り顔で頷いた。


「ふーん・・・・・・・・・ああ、人事総務の折原さんか。そういや彼女お前の同級生だったな。決算間際の急な異動でも混乱が起きなかったのはベテラン事務員の彼女のおかげだって黄月が褒めてたよ」


当時人事総務に在席していた女子社員が予定していた産休を前に体調を崩してそのまま休暇に入ってしまい、人手不足を補うために急遽異動時期を早めて結がメディカルセンターに呼ばれたらしい。


彼女の西園寺不動産での仕事ぶりをグループ間会議で耳にしたばかりだったので大抜擢にも頷ける。


「・・・・・・ほんとにいい子なんですよ」


惜しいことをしたな、と改めて思った。


「・・・いい子はすぐに売り切れるよな」


ごもっともな雪村の意見に、空っぽの手のひらを見下ろして、強く握り込む。


今度こそちゃんと手に入れたいなと、改めて思った。

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