第10話 pastel pink
これまで付き合って別れた人たち、すなわち元カレとは、残念ながら友達にはなれなかった。
顔も見たくないと思うようなこっぴどいフラれ方をしたわけでも、揉めたわけでもなかったけれど、何となく気まずさが勝ってしまって、そのままフェイドアウトした。
当然彼らとは職場は別だったし、その後の近況は共通の友人を通じてたまーに聞く程度。
だから、職場で再会した元カレとの距離感がさっぱりわからない。
勿論、初めて二人で飲みに行った夜にお互い謝罪を済ませて心機一転した。
したけれど、普通はもうちょっと距離を置くものではないだろうか。
だって、私たち付き合う前は友達ですらなかったんだから。
三年生が4人しかいなかった弱小女子バスケ部とは違い、男子バスケ部は大学バスケの強豪チームでの経験を持つコーチが率いており、部員数は女子バスケ部の3倍近くで、三年生だけで11人も部員がいたので、他の部活ほど男女間の交流は無かった。
県大会常連の男子バスケ部に譲る形で、体育館での練習予定は組まれていたし、外コートでの練習が多い女子バスケ部は楽しさ重視、初心者歓迎の部活だったので、練習時間もそう長くはなかった。
だから練習したい子は居残り練習をするのが常で、高校からバスケを始めた後輩のシュート練習に付き合っては、体育館をちらっと覗いて氷室の様子を伺ったりしたものだ。
偶然クラブハウスの前で会えばお疲れ、くらいは言い合うけれど、一度も同じクラスになったことのない結にとって氷室はどこまでも遠い存在だった。
だから、これから友達、と言われても正直困ってしまう。
そして、どんな態度が正解なのかいまだ答えの出ていない元カレ現友達?の氷室からこんなことを言われたら、本当にもうどうしてよいかわからない。
「俺さ、こないだ会った時からなんか違和感感じてたんだよな」
「へ、い、違和感!?」
社用車のキーを返却しに来た氷室が、キーボックスの前で固まったままの結を見下ろして思案顔になる。
高校生だった頃から10年以上経ったのだから、悲しいかな肌は衰えているはずだし、曲がり角を通り過ぎた女子の身体はどうしてもあちこちに肉がついてくるものだ。
二十代半ばの自分を知っている誰かならともかく、彼が記憶しているのは一番元気で若々しい頃の結なのだ。
比べられても困る。
あーやっぱり年取ったな、と思われるのは当然だし、高校生の頃から変わってないと言われるほうが可笑しいことも分かっている。
分かっているけれど、出来る事なら思われたくはない。
元カレ相手になに意地張ってんの、と情けなくなりつつ氷室からの返事を待てば。
伸びて来た指先が僅かに前髪を掠めた。
だから距離感!!!
ぎょっとなった結に向かって、氷室が合点がいったように微笑む。
「あ、分かった。前髪だわ」
「っっは、はい!?」
「ほら、折原、髪留めで前髪あげてただろ」
ぴんとおでこを弾かれて、思わず口をへの字に曲げた。
「~~っ練習中ね!」
「そう。ずっとそのイメージだったから、なんかこないだ会った時あれ?って思ったんだよな」
氷室とのデートコースが定着してから、結のポケットにはいつもイチゴの髪留めが入っていた。
それで前髪を押さえると、バスケスイッチがオンになるのだ。
長めの前髪が邪魔だったこともあって、髪留めは必需品だった。
彼の中で眠っていた高校生の頃の結が、ひょこっと顔を覗かせた気がして、ああ、まだあんたそこにいたの、とくすぐったい気持ちになる。
「もう前髪あげないの?」
「さすがに今したらやばいでしょ。家では前髪あげてることもあるけど」
ワンレンにはちょっと憧れるけれど、小顔効果を狙ってずっと前髪は下ろしたままだ。
昔は大人びて見えるほうが良かったはずなのに、いつの間にか若見えを意識する歳になっていた。
年齢を重ねてもそれが魅力的に見えるのは、ごく一部の素敵な女性だけである。
ごくごく普通の社会人の結は、一歳でも若く見られたい。
「そっか・・・・・・」
どこかしんみりとした空気を纏わせて頷いた氷室にすかさず突っ込む。
「なんで残念そうなのよ」
「え?いや、残念じゃねぇけど。昔の折原と今の折原を俺の中で摺り合わせてるとこ」
「昔の私はもう忘れてくれていいんだけどな!?」
どちらかというと恥ずかしい思い出のほうが多いので、自分一人の胸の内でこっそり大切にしておきたい。
それなのに。
「なんでだよ。二人の思い出だろ?」
あっさり言い返されて、本気で焦った。
それはそうなんだけれど、いまの氷室から言われると昔の数倍破壊力が凄まじい。
よくこんなイケメンと1年近くお付き合いできてたなと昔の自分の勇気を全力で賞賛したくなる。
「そ・・・・・・それは、あの・・・ありがとう・・・?」
「なんで迷いながら言うんだよ」
「昔とは勝手が違うのよ」
「勝手って?」
聞き流してくれればいいのにわざわざ食いついてきた氷室になんと言い返すべきか途方に暮れる。
あの頃の結は、氷室がすべてだった。
氷室が好きだと零したものはなんでも拾って共有したがった。
興味のない洋楽だって聞いたし、触ったことの無いプラモデルだって買ってみた。
ロボットアニメにだって手を出したし、とにかく彼が何を好きで何に興味を示すのかが知りたくてたまらなかった。
残念ながら同じものを好きになることは出来なかったけれど、みんなが知らない氷室のことを知っているという優越感は、何よりも結を幸せにしてくれた。
単純すぎる自己満足である。
結が氷室に好かれようと背伸びして飛び跳ねて必死になっていた様を、彼はどんな風に眺めていたのだろう。
氷室が抱えている思い出の中の何割くらい、可愛い自分を閉じ込められたのだろう。
って馬鹿か!今更過ぎる!
慌ててノスタルジックになった気持ちを現実に引っ張り戻す。
思い出補正が過ぎる。
「あれは高校生の時で、もう今は大人ってこと」
「昔と今とこれからの話全部出来るのって、なんか貴重だよな」
これも折原が異動してきたおかげだな、と鷹揚に笑う氷室に、小さく頷く。
「・・・・・・そう、だね」
今はともかく、これから、なんて、あるわけないのに。
彼が無意識に口にした一言が、小さな棘のように胸に刺さった。
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