第11話 peach pink
「うちの会社福利厚生は最高だし、雇用条件も抜群だけど、近くにお店が少ないのだけが難点ですよねー」
カフェテリアの美味しいランチでお腹を満たして、午後の仕事に戻るべくフロアに向かいながら後輩が惜しいなぁとぼやいた。
これはもう地方都市あるあるなのだろう。
メディカルセンターは駅から若干距離があって、しかもその駅自体各駅停車しか止まらない為、駅前にもこれといった商業施設はなく、コンビニがあるだけ。
「それはねぇ、ものすごーくわかるわー」
「折原さんなんて、前の職場支店だからめちゃめちゃ便利良かったでしょ?」
「うん。徒歩五分以内に駅、コンビニ3軒、銀行、薬局完備だったな」
ちょっと歩けば大通りだったので、昼休みやお使いのついでにウィンドウショッピングも出来たし、お洒落なカフェでランチをしたり、オープンしたばかりの定食屋にみんなでお昼を食べに行ったこともある。
「それ!そういうの、ここじゃ無理なんですよねー」
ファーストフードのお店すら車で15分ほど走ったところにしかないし、ファミレスもまたしかり。
そのため、カフェテリアのランチは和洋中取り揃えられていて飽きない工夫がされているのだが、パティスリーやブーランジェリーの菓子パンや洋菓子にはなかなかご縁が無い。
バリスタ常駐のコーヒーショップのフラペチーノを一周した後は、コンビニの新発売のお菓子を買ってから出勤するくらいしかおやつのレパートリーがないのだ。
二十代のうちにそういう楽しさを味わいつくした結としては、こういう静かな環境も悪くないなと思えるが、まだまだSNS映えを意識したい後輩からしてみれば、色々と物足りないだろう。
「そうねぇー・・・あ、そうだ。来月のファミリーイベントで配るお菓子見に行った時に、どっかお洒落なカフェでお茶しようか!?」
従業員とその家族を招いて行われるバーベキューパーティーは、メディカルセンターの風物詩の一つらしい。
開設してから毎年行われており、毎回事業部長である西園寺から大量の差し入れが届けられることで有名だ。
ほとんどの社員が徒歩圏内に住んでいるため、アルコールも大量に用意される。
子供向けのプレイスペースも確保されるため、家族揃って楽しめると大人気らしい。
参加した子供たちには、お菓子の詰め合わせがプレゼントされるので、その選定も人事総務の仕事だった。
「いいですね!?良さそうなお店チェックしときます!」
嬉しそうに微笑んだ後輩が早速スマホを取り出して店舗検索を始める。
たしかに、異動して来てからカフェでお茶はしたことがなかった。
バリスタの淹れてくれるコーヒーはコンビニで買うお手軽なカフェオレの数倍美味しい。
けれど、代わり映えしないカフェテリアの片隅で飲むよりも、お洒落な雰囲気のカフェで飲むほうがもっとずっと美味しく感じるものだ。
新年度の決起集会兼歓迎会をして貰ってから、一度も後輩を誘って飲みに行ったことがなかった。
徒歩圏内の会社の独身寮で暮らしている後輩を、二駅先の繁華街まで連れ出すのは気が引けてしまったのだ。
異動前と変わらず同じマンションで暮らしている結は電車通勤だが、メディカルセンターで電車通勤をしている者はごく僅かである。
「あ、こことかパフェが美味しそう!見てみてくださいっ」
「んー・・・どれどれ・・・うわ、でっかくない!?」
イチゴたっぷりのパフェが人気メニューのカフェが映し出されたスマホ画面を見入っていると、背後から名前を呼ばれた。
「折原ー」
振り向くまでもない、氷室だ。
「わ!氷室さんだ!!最近ほんとよく声掛けられますね、折原さんっ!」
ニヤニヤ笑った後輩が先戻ってまーすと言ってフロアに向かって歩き出す。
こちらを振り向いた結に向かって、氷室が嬉しそうに手にしている紙袋を揺らして見せた。
「ちょうどよかった。いまからそっちのフロア行こうと思ってたんだよ」
出先から戻ったばかりらしい氷室は、珍しくジャケットを脱いで腕に持っていた。
今日はかなり陽射しが強くて、採光の良い廊下は冷房が効いていても窓際は暑いくらいだ。
「お帰り。何か買ったの?なにそれ?」
見たことの無い茶色の紙袋を見て怪訝な顔をする結に、氷室は何も言わずに手にしていたそれを差し出した。
「ん。やるよ」
「え?私に?」
「あんまり暑いから、アイスコーヒー買おうと思って寄り道したんだけどさ・・・」
「わ・・・!シェイク!?」
紙袋の中にはプラスチックのカップが入っていて、取り出すとよく冷えたパステルピンクのシェイクが波打っていた。
「見つけた瞬間、折原のこと思い出してさ。買ってきた」
「なんで私!?」
「え、なんでだろ。イチゴシェイクだったからかな?フルーツ好きだっただろ」
氷室の中では相変わらずイチゴの髪留めの結が深く根付いているようだ。
イチゴの髪留め→イチゴシェイクというなんとも安直な連想ゲームに笑ってしまう。
そういえば、付き合っていた頃ファストフードを食べる時は、甘いシェイクを一緒に頼んでいたので、そのせいもあるのかもしれない。
「す、好きだったけど・・・・・・美味しくいただくけど・・・・・・もしかしてなんか頼み事でもある?」
「いや、べつに。え、なに、無理難題の交換条件でこれ買ってきたと思ってる?」
「・・・・・・ちょっとだけ」
「ちげぇわ。普通に折原のこと思い出したから、お土産」
私のことを、普通に?思い出したから?
え、なにそれ、なにそれ、なにそれ。
氷室が言った言葉に深い意味なんてあるわけないのに、一気に心は騒ぎ始める。
「・・・・・・・・・ありがとう」
シェイク一つで狼狽えて顔を赤くするなんて、氷室を今も意識していますと言っているようなもんだ。
あの日終わった恋は、いくつかの後悔と反省を残して行った。
けれど、それはこの間ちゃんと二人の間で解決して、終わったことだ。
終わったことなのに、心がざわつくのは、なんで?
必死に平常心を保ちつつ笑顔を返せば、視線を合わせた氷室が相好を崩した。
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