第38話 服装選びは慎重に
うーん……。私は姿見に自分の姿を映しながら、首をかしげた。
いつか静に似合ってるとか言われ、イメチェンだからと無理矢理買わされたブラウスにロングスカート。
足下には乱雑に服が散乱していた。
どうしてこんなにも服装で悩んでいるのか。それは――隆一君の家に行くから。
考えてみれば、いつも私が隆一君を家に招いてばかりで、その逆はなかった。
はじめての彼の家。たしかおうちの人は、うちと一緒で共働きなんだよね。
それはつまり二人きり、ということ。
普段は気に掛けるようなこともない服装一つとっても、どうしても気になってしまう。
別にオシャレに見られたいとかそういうんじゃない。そもそも今回の目的はあくまで、期末試験の勉強会なんだから。
パンツスタイル、スカートスタイル……夏だからバリエーションそのものは多くないけど、だからこそ、悩んでしまう。
スマホを見る。待ち合わせまで残り1時間半。かれこれ、一時間くらい着てはやっぱりダメだと脱いで、を繰り返している。
まだ慌てるような時刻じゃない。けど、いつまでものんびりもしてはいられない。
ああもう……。
私は我ながら自分の服のバリエーションの無さに、ため息をつかずにはいられない。
8割方、パンツとティーシャツ(もしくはタンクトップ)で、色気も何もない。
これまでお洒落とは無縁だった。
服はシンプルに。可愛い服なんて似合うはずもないし、そもそも着るなんて選択肢自体なかったわけで……。
それで周りの反応(静を除く)もぜんぜん悪くなかった。
今ほど、自分の男ぽいスタイルにうんざりしたことはない。
一瞬、静に相談しようかとも思ったけれど、こんなこと相談したら静のことだ。
面白がって何をやらかすかも分かったものではない。静はオシャレが好きだ。あきれるくらい。服屋に行くと、何時間だってえんえんと試着できる。その挙げ句、やっぱり買わないとか言ったりするし。
静にだけは頼れない。自分もついてくると言い出しかねない。静がついてくきたら勉強どころじゃなくなる。
二人きりでもないし――。
そう考えかけた自分に頬が熱くなる。鏡の中の私は耳まで真っ赤だ。
いやいや。二人きりとかはどうでもいいこと。隆一君の家に行くのはあくまで試験勉強の為なんだから。うん、それだけ。
「お姉ちゃん」
「っ!」
はっとして振り返れば、静がいた。静は足の踏み場もなく散乱している洋に目を丸くする。
「お姉ちゃん!? 何してんの!?」
「し、静、なに勝手に入ってきてるのよ……っ。ノックしなさいっていっつも言ってるでしょ」
叱りつけるけど、静は話なんて聞かない。いつものことだけど。
「あぁ! その服、着てくれてるんだ! なんで? あんなに似合わないから着たくないって言ってたのに」
「……そういう気分だったから。それだけ」
「えー。脱いじゃうの?」
「そうだよ。やっぱり似合わないって分かったし。だから出てって」
「そんなことないと思うけど。おにーさんが見たら、絶対に似合うって褒めてくれると思うよ?」
「どうしてここで隆一君のことが出……。っ!?」
私は内心の動揺のせいで服に足を滑らせて、尻もちをついてしまう。
「お姉ちゃん、平気!?」
「いっつ……。もう静が変なこと言うから……」
「変?」
「そ、そうよ」
私はお尻をさすって立ち上がり、スカートとブラウスを脱ぐと、いつも通りのシャツとジーンズに袖を通す。
そうだ。これが一番。変に気負ったりして、隆一君に気負ってるとか思われたら、それはそれで恥ずかしい……。
「あーっ!」
「静、うるさいって」
「分かった! おにーさんと出かけるんだ!」
静は目をキラキラさせる。我が妹ながら、この勘の鋭さは一体なんなんだろう……。
「違うって」
「でもいっつも出かける時に使ってるバックパックもあるし。お姉ちゃん、友だちと出かける時に、服でこんなに悩んだりしないじゃん」
「……そ、そんなことは」
「ない?」
「…………わ、わかんない」
そう答えるしかない。
「どこ行くの? 買い物?」
「うるさい。どこでもいいでしょ」
「じゃあ、あたしも連れていって」
「ダメ」
「じゃあ、どこに行くか教えてよぉ。水くさいじゃん! おにーさんにLINEしたっていいんだよぉ?」
まったく……。この野次馬ぶりは誰に似たんだか。
「悪いけど、静が考えてるような楽しい場所じゃないから。ただの勉強会」
「図書館?」
「…………まあ」
「もー。お姉ちゃんって嘘がへたすぎ。え、あ……」
察しのいい(良すぎる?)妹は、私の横顔から何かをくみ取ったらしく、みるみるその表情が緩んでいった。
「え、まさか、おにーさんの家!? おうちデートだ……!」
「で、デートじゃないって……っ」
動揺のあまり、私はスマホを床に落としてしまう。
「ああもう……」
私はスマホを拾い上げ、画面が無事だったことにほっと胸をなで下ろす。
「隆一君が期末試験困ってるみたいだから、その手助けがしたくって……だから、一緒に勉強するだけ。どこにも遊びになんて行かないから」
「でもそれならうちでだって出来るじゃん」
「……うるさい妹がいるから」
「ぶぅ」
「それに、隆一君からいつもうちばっかり使って申し訳ないからって言われたの。そんなこと言われて、無理矢理にでもうちでっていうのも変でしょ。だから」
「だから、気合いいれてファッション頑張ろうとしたんだ」
「違う。もう、しつこいよ」
ジト目で見ても、妹はにへへと笑う。
「でもこの様子じゃ、決まらなかったんだ」
「そういうわけじゃ……」
「――世話が焼けるんだからぁ」
「ちょっと、何してるの」
静は乱雑に散らかされた服を1枚1枚見ては、より分けるように脇に放る。
「なにしてるのよ」
「お姉ちゃん、そんなコンビニに行く格好で、とか、さすがにないから」
「コ!? ……そ、それは言い過ぎ、でしょ……」
正直、このシャツもジーンズもどっちも、お気に入りなんだから。ジーンズとか結構高かったし……。
「アイスを買いに行くんだったらいいけどさぁ。おにーさんを失望させちゃダメ!」
「し、失望って……大袈裟。勉強会だって行ってるでしょ」
「大袈裟じゃないよ。休日だよ? お姉ちゃんが自分の家に来るんだよ? 待ち合わせ場所はどこ?」
「……駅前だけど」
「やってきたのがシャツにジーンズの、いっっっっっっっっっっっつもの代わり映えしないお姉ちゃんが来たら、おにーさん、きっとすっごーくガッカリするよ? いいの? ガッカリさせていいの!?」
「それは……」
静からの指摘に、思わず口ごもってしまう。
いいのか、とそんなストレートに聞かれたら、それでもいいでしょ、とはなんだか言いにくくて。
だって、実際悩んでるからこそ、私だって自分の服を部屋の床にぶちまけることになってしまったんだし……。
「ちょっと待ってて」
静は部屋を飛び出す。
ひとまず私は足下に散らかしたままの服を集め、膝の上で折りたたむ。何着目かのシャツをたたんだところで、
「お待たせ!」
静が部屋に飛び込んでくる。手にはブランドゴロの入った紙袋。
「これ、着て!」
「それ何?」
「あたしの服。この間、友だちと買ったんだ」
「待って。それを着るの? 妹の服を?」
「だって今からじゃ服を買う時間なんてないじゃん。お姉ちゃんの服はどれもこれも似た感じだし」
「……静が選んだ服もあるんだけど」
「でもそれを着たくないんでしょ?」
「着たくないわけじゃないよ」
可愛すぎる。そんなものは、やっぱり似合わないから。もっと女の子らしい子が着るものだ。私が着たらそれこそ、女装だ。
いつか『キュートだよ、静さん!』のコラボカフェに行く時は変装のために着たけど、あれだってかなり勇気を出した。……たしかに隆一君は似合ってるって言ってはくれた。くれたけど、あれはあくまで静と出かけるための服装だったし。
多分だけど、隆一君と一緒に出かけると分かっていたら絶対、あんな格好はしなかったと思う。できないって言ったほうが近いかもしれないけど。
「あー、ハイハイ」
「……何も言ってないんだけど」
「お姉ちゃん、百面相してたから丸わかり。もういいから、着てよ。ねっ? 絶対、おかしくないし」
「サイズは?」
「お姉ちゃん、奇跡のスタイルの持ち主なんだから着られるって!」
ぐいっと紙袋を突きつけられ、思わず受け取る。
スマホをチラ見。待ち合わせまで残り50分。
紙袋から服を取り出して、シャツを脱ぎ、服に袖を通す。
「どう? きつくない?」
「……んー……まあ、ちょっと肩のあたり、きついけど……着られなくは……ない、かな」
服を着て、軽く手櫛で髪をすいて、鏡の前に立った。
「もー! ほんっっっっっっっっっっと不公平だよぉ!」
「な、なによ、いきなり……」
静の嘆きにぎょっとしてしまう。
「何でもなーい! あたしが着たら、ぜんぜん似合わないって言われたけどぉ、捨てなくて良かったぁって思ってるのーっ!」
「じゃあ、どうして買ったの?」
「試着した時はすっごく可愛かったんだもーん!」
姿見の前に立つ。静はウンウンと頷く。
「似合うよ、お姉ちゃん。おにーさん、きっと喜んでくれるよ!」
「……ちょ、ちょっと待って」
私はあることに気づいた。
「? どうしたの?」
「か、肩……」
「肩?」
「肩が、丸出しなんだけど」
「オープンショルダーだもん……って、なに、脱ごうとしてるの!?」
「む、無理よ、これ……」
「無理じゃないよ。夏だよ? 長袖でも着るつもり?」
「じゃなくって……肩出すとか」
「昭和生まれのおばあさんじゃないんだからさぁ」
服を脱ごうとするのを、静に止められる。
「変じゃないって……っ」
「そういうことじゃなくって……!」
「じゃあ、何?」
そう、問われて、私は言葉に詰まる。
じゃあ、何――――なんだろう……。男の人の前で、肌をさらすのはやっぱり抵抗がある。いくら隆一君だとしても。イヤっていうより、恥ずかしい。
「お姉ちゃん、すごく似合ってるよ」
「スースーするんだけど……」
「涼しいってことじゃん!」
「でも肩が出過ぎ……」
「もー! 世話が焼けるんだからぁ。じゃあ、ハイこれ!」
オーバーサイズのシャツをかけられる。
「これだったらいいでしょ。肩、隠れるし。ただのブラウスに見えるしっ。必要な時には脱げるし!」
「……あ、う、うん」
「これで、下はサロペットで」
というわけで、着せ替え人形よろしく私は妹に言われるがままのコーディネートになる。
「変、じゃない?」
「コンビニコーデより、絶対にいいと思う!」
ことファッションに関してはぜんぜん自信のない私は、ファッション好きな妹から太鼓判を押されてもいまいちピンとこない。けどもう時間もない。
こんな炎天下の中、万が一遅刻して余計に待たせることだけはありえないから。
「じゃあ、これで行くけど」
「絶対、おにーさん喜んでくれるよっ」
「……だったらいいけど」
「にひひ。やっぱお姉ちゃん、喜んで欲しいんじゃん!」
「! い、今のはちがっ……」
耳が火照る。私は口を開いて、それから反論の声は出ない。
だから、私は無言でスマホをポケットにねじこみ、参考書とか教科書を詰め込んだ、ずっしりのしかかるバックパックを肩にさげる。
「と、とにかく行ってくるからっ」
「うん!」
「えっと、夕飯までには戻るつもりではいるけど、お腹すいたら先に食べてて。昨日作っておいたビーフシチューをタッパに入れて冷凍してあるから。それを解凍して。ご飯は冷凍してあるのを上から順番に取ること。お味噌汁はインスタントがあるし、サラダは冷蔵庫に野菜があるけど……絶対サラダを作ろうとはしないで。あんな危なかったしい包丁の持ち方してると、そのうち本当に大けがするんだから……」
「分かったから。早く行って」
「じゃ、行ってきます……っ!」
※
お姉ちゃんが慌ただしく家を出て行く。
あたしはベランダに出ると、「いってらっしゃーい!」と建物を出てきたタイミングのお姉ちゃんに手を振る。お姉ちゃんはずり落ちそうになるバックパックを支え、右手だけ挙げて走って行く。
「もー。世話がやけるんだから」
あたしはしみじみそう呟いて、一連のことをおにーさんに実況中継で伝えてあげる。
これだけしてあげたんだから、おにーさんだって、お姉ちゃんの気持ちに気付くはず……だよね?
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