第24話 冬馬美希

 お決まりの帰りのホームルーム。

 担任が連絡事項を述べている。

 眠たくなるような話を右から左に聞き流して、俺はぬるい冷房を感じながら窓の外を眺めていた。

 教室の空気もだれ気味だ。

 しかしそんな中にあっても、透さんは涼しげな横顔に背筋をしっかり伸ばして、担任の言葉に耳を傾けている。

 暑さがますます本格的になっていても、透さんはパンツスタイルのまま。

 この間の休日のことを思い出しても、ついにやけてしまう。


「おい、エロい妄想してんなよ」

「してねえよっ」


 和馬からの茶々入れに思わず反応してしまうと、


「んー。どうした、何か意見か?」


 と、担任に目敏くとがめられてしまう。


「あ、いえ……何でもありません。どうぞ続けて下さい」


 教室にかすかな笑いが起こる。

 透さんと目が合う。透さんは小さく肩を揺らして笑っていた。

 うん、透さんにならどれだけ笑われてもいい! 大歓迎!


「では、連絡事項は以上。それじゃ、日直」


 日直が号令をかけ、挨拶をする。

 担任が教室を出ていく。

 クラスメートたちがおのおの立ち上がり、ある人は部活に、ある人は帰るために席を立つ。

 と、教室が妙な静けさに包まれた。

 担任と入れ違いに教室に入ってきた子のせいだ。

 クラス全員の視線がその子に向かう。

 肩にかかるくらいの茶色がかったセミロングに、二重の瞳はつぶら。その一方、引き結ばれた口元はかたくなさを意識させる。

 うちの制服じゃない。

 ブラウスに細かいチェック柄のネクタイ、そして深い緑のプリーツスカート。そして足下は来客用のビニールスリッパ。

 それに、運動部がよく持っている大きめのバックを斜めにかけている。

 あの子、どっかで見たことがあるような……?

 俺は記憶を探る。

 誰だっけ。

 その子は、つかつかと透さんの元へ歩み寄った。

 透さんの表情は強張っている。


「透。久しぶり」

「……そう、ね」


 その子の視線を正面から受け止めきれず、透子さんはなにかを恥じるように目を伏せてしまう。

 クラスがざわめき、俺を含めて誰もが透さんたちのやりとりを、固唾を呑んで見守っている。

 

 そこで思い出した。

 透さんの家で見た写真の子――剣道時代の透さんの親友、冬馬美希。

 冬馬さんは透さんをじっとにらみ付けた。


「目も、合わせないんだ」

「……ごめ――」


 パチン!


 乾いた音がしんっと静まりかえった教室に響いた。

 冬馬さんは踵を返すと、教室を出て行ってしまう。


「透、大丈夫!?」


 クラスの女子が、透さんの周りに集まった。

 女子達は「なにあの子」「ひどくない?」と透さんを気遣う声をかけるが。


「……私なら平気。大丈夫だから」


 透さんはうつむき気味に呟く。

 誰かがハンカチを差し出すが、「平気」と言って透さんは受け取らなかった。


「先生に言ったほうがいいんじゃない? 他校の生徒にあんなことされるなんて……」

「いいの。先生には言わないで。騒ぎを大きくしたくないから」


 透さんは叩かれた右頬を赤くさせたまま、「ごめん……」とカバンを手に、教室を足早に出ていく。

 女子たちは、そんな透さんを見送ることしかできない。


「やっぱ先生に言ったほうが」

「でも透は言わないでって言ってたし……」


 透さん!


「――うわ、女ってこえー。なぁ、隆一……っておい」


 俺はカバンを手に取って立ち上がる。

 和馬の声を背中で聞きながら教室を飛び出すと、透さんを追いかけた。

 一階へ下りていくと、下駄箱で靴に履き替えている透さんに追いつく。


「透さん……!」


 はっとしたように透さんが振り返る。

 透さんの目は真っ赤だった。それは決して頬の痛みのせいじゃない。もっと深い痛みをこらえている。透さんの表情を見て、そう感じた。


「隆一君……」

「透さん。さっきの……」

「ごめん……。今は……」


 透さんの声は静かだった。でもそれ以上、立ち入ることをはっきり拒絶していた。

 俺は言うべき言葉を見失い、その場に立ち尽くす。


 透さんは「ごめんね」と呟くように言うと、駆け足で昇降口を去っていく。

 俺は結局、見送ることしかできなかった。



 その日の夜。俺はベッドで横になりながら、もう何度目かも分からない寝返りを打った。

 考えるのは、やっぱり透さんのこと。

 昇降口で見た透さんの涙目。

 あの時、何か言えたんじゃないか。黙って行かせるんじゃなくって、せめて家まで付きそうこともできたんじゃないか。いや、でも透さんがそれを望まなかったんだから――。

 思考が頭の中をぐるぐると回り、結局、なにもできなかった自分の不甲斐なさに行き着く。

 そんなことをさっきから、何度も繰り返す。

 と、タイミングよくスマホが通話を知らせてきた。


「っ!」


 ほとんど反射的に透さんかもしれないと思って、飛びつくようにスマホに出た。


「もしもし、透さん――」

『おにーさん。あたしだけど』

「あ、静ちゃん……」

『お姉ちゃんのことで電話したんだけど……』


 静ちゃんの声は沈んでいた。


「透さん、大丈夫……?」

『大丈夫……じゃない……。家に帰ってきてから様子が変で、夜ご飯は作ってくれたんだけど、ちょっと気分が良くないから先に休むって。それからずっと部屋に閉じこもっちゃって……。呼びかけても反応ないし……。学校で何かあったのかなって。もしかしたら、おにーさんと喧嘩したかもって』

「実は……」


 俺は学校であったことを伝えた。


『そう、だったんだ……』

「透さんと冬馬さんって仲が良かったんだよね……?」

『うん。あたしの知る限り、だけど。でもお姉ちゃんが剣道を辞めてからはぜんぜん会ってなかったから……』

「……そっか。こんなこと俺が言うことじゃないのは分かってるんだけど……透さんのこと、お願いできる?」

『任せてっ。じゃあ、切るね。ごめんね。いきなり電話かけちゃって』

「透さんのこと、気になってたからちょうど良かった。連絡してきてくれて、ありがとう」


 通話を終えると、「ふぅーっ」と一息ついた。


 一体なにが起こってるんだよ。

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