第23話 お茶でもどう?
それから俺たちは一時間半ほどカラオケで過ごして、外に出ると雨はすっかり上がっていた。
雨上がり特有の澄んだ空気の中、俺たちは電車を経由して戻り、この間みたいに透さんを自宅まで送らせてもらうことにした。
透さんは遠慮したけど、そこは押し通した。
「それじゃあ、甘えさせてもらうね?」
俺たちは透さんの家に向かって歩き出す。
「ふぅー……」
透さんは小さく息をつく。
「カラオケで、無理させちゃってごめん」
「え? あ、ううん、違うの。本当にまともにカラオケで歌うなんて久しぶりだったから、ちょっと疲れちゃっただけ」
一曲歌ったことで慣れたのか、透さんはそのあと、俺と交代で二曲ほど歌ってくれた。
「でもこれからはカラオケも遊ぶ時の選択肢に入りそうじゃない?」
「! それは無理! 絶対無理っ! 今回は特別……うん、特別……」
透さんは恥ずかしがるようにそう噛んで含めるように言った。
その様子が微笑ましくって俺は想わず吹きだしてしまう。
「りゅ、隆一君……っ」
「ごめん」
透さんの家で夕飯をごちそうになった時には不慣れだった道も少しは歩き慣れはじめていた。
だからこそ、別れの時間が刻一刻と近づいていることが分かってしまう。
透さんと一緒に歩く。雰囲気はすごくいい。
――学生の恋なんてその場のノリと勢いで九割方はうまくいくからなっ
和馬の言葉を、頭の中で反芻する。
肩を並べている透さんをチラ見した。
透さんはにこやかだ。
でもそれが恋愛感情によるものではなくて、友人としての親愛の情だという自覚はある。
多分ここで告白したら、透さんを困惑させてしまうだろう。
せっかくここまでいい関係を築けたのに、不用意な一言で全部壊れてしまうのはさすがに無理だ。
もっと機会を見るべきだろうか。もっと見計らうべきじゃないか。
でも二の足を踏んでいる間に、別の奴が告白して、うまくいったら?
胸の中で焦りとためらいを繰り返していると、
「――百面相」
透さんが俺の顔を眺めながら、にこっと微笑んだ。
「えっ?」
「さっきから隆一君の表情が落ち着かないなって。どうかした?」
「え、えーっと……繁華街での絶叫を思いだしてて」
はっとなった透さんは頬を染め、唇を尖らせた。
「隆一君って、案外、イジワルなんだ」
「いやあ、いい叫びっぷりだったなーって」
「や、やめてよっ! あの時は夢中だったし、私のせいで空気を悪くしたくなかったから……」
今はこの居心地のいい関係性を壊したくない。
はい、要するに俺は意気地無しです……。
と、向かい側から二人組の女子がこちらへ歩いてくる。二人はこのあたりの公立中学の制服姿で通学バックを背負い、そして、剣道の道具をもっている。
二人はにこやかに話しながら、俺たちの脇をすり抜けていく。
透さんは足を止め、二人組の背中を目で追いかけていることに気付いた。
透さん……?
その横顔は何かを懐かしむというより、痛みを感じているような切なげな表情をしていた。
透さんははっと我に返ったように俺を見る。
「あ、なんでもない。行こっ」
「? ああ、うん」
遠ざかっていく二人組を目の端で見ながら、俺たちは歩き出した。
※
透さんの自宅マンションに到着する。
「じゃあ、また明日、学校で」
「――隆一君、待って」
「?」
「……もし良かったらなんだけど……お茶でも飲んでいかない?」
「いいの?」
「うん。静も喜ぶと思うし。少しだけ」
「そう言ってくれるんだったら、御言葉に甘えさせてもらおうかな?」
「ありがと」
「それはこっちの言葉だって」
俺たちは小さく笑い合った。
扉を抜けて、ホテルのロビーみたいな玄関を横切ってエレベーターに乗り込み、10階の部屋へ。
「どうぞ」
「お邪魔します」
廊下の奥のリビングから明かりが漏れている。
「静、ただいま」
透さんを先頭にリビングに入った。
静ちゃんは三人がけのソファーに俯せで寝転がって、スマホをいじっていた。
「お姉ちゃん、おかえり! あ! おにーさんも、いらっしゃい!」
「こんにちは、静ちゃん」
「ついに!?」
静ちゃんは俺たちを見て、目を輝かせた。
「どっちから? ね、どっちから!?」
「ちょっと、静、いきなり何言って……」
「何って、告白!」
はい!?
「えー、違ったの? 二人の雰囲気、すごく良かったんだけどなぁ」
透さんは耳を赤くする。
「いきなりわけのわからないこと言わないで。りゅ、隆一君が困ってるじゃない……!」
「えー。そうかなぁ? 困ってるのは、お姉ちゃんだけじゃない?」
透さんはうっすら頬を決めたまま、咳払いをする。
「そんなことより、もっと先に言うことがあるんじゃないの」
「えー? なにー? おかえりってちゃんと言ったよ?」
「今日のことっ。どうして私たちを鉢合わせるような嘘をついたのっ!?」
「あー」
「ちゃんと説明して。どうしてこんなことをしたの?」
「お姉ちゃんのこと、おにーさんに知って欲しかったから」
「なんで、隆一君が私のことを知る必要があるのよ」
「お姉ちゃんの素の顔を知ってる人が同級生にいたほうが、お姉ちゃんも気が楽かなって思ったの」
「……全然、意味わかんない……」
透さんは頭を抱えてしまう。
「透さん。今日はすごく楽しかったから。結果オーライじゃない?」
「そうそう♪ おにーさん、いいこと言うーっ!」
「隆一君、甘やかさないで。静はすぐ調子にのるんだから」
「あはは、ごめん」
「隆一君、適当に座って。今、お茶を淹れるから。紅茶でいい?」
「お任せで」
「分かった」
透さんはキッチンに立つ。
と、静ちゃんが耳元で囁く。
「おにーさん。お姉ちゃん、あのマンガのこと、めっちゃ語ってた?」
「うん。正直、圧倒された」
「……幻滅した?」
静ちゃんは探るように俺を見てくる。静ちゃんは同年代の子たちよりも幼い印象がありながら、こうして時折、大人びた仕草をしたりする。
そこには透さんへの愛情があるのがすごく伝わってくる。まあ、今回のやり方はかなりまずかったと思うけど。
「まさか。俺も読んでみようって思って電子書籍をこっそり注文したから」
「なんでこっそり?」
「全部読んでから、透さんをびっくりさせようかなって」
「ふふ。おにーさんって、思った以上に子どもだね♪ でもそういうところも好きっ!」
「あ、ありがとう?」
「――おまたせ」
透さんがお茶を持って来てくれる。
「お姉ちゃん、あたしの分は?」
「キッチンにあるから自分で持って来なさい」
「えーっ」
「冗談よ。はい」
「ありがと、お姉ちゃん大好き!」
俺は紅茶に口をつけた。紅茶なんて透さんに出してもらってまともに飲むような人間だけど、いい香りだってことくらいは分かる。
透さんもティーカップを手にしながら、ソファーの肘置きに腰かける。
「お姉ちゃん、今日の収穫は?」
「隆一君のおかげで、シークレットのコースターが手に入ったの」
「本当!? やったね! シークレット当てたいって毎日、言い続けてたもんねっ!」
「そ、そんなには言ってない……っ」
「言ってたよ。昨日なんて当たりますようにってすっごく祈ってたし!」
「祈ってない。だ、だまされないでね、隆一君っ」
透さんは俺のことを気にして、唇を尖らせる。
相変わらず賑やかな姉妹のやりとりを、俺は微笑ましい気持ちで眺めた。
「それで、コラボカフェの料理はどうだった? 美味しかった?」
「これ見て」
透さんは静ちゃんに撮影した料理や店内の様子を見せる。
「へえ! お店の内装、すごく凝ってるね!」
「でしょ? これを見られただけでも行った甲斐があったから。でも内装だけじゃなくって料理も最高だったんだから」
「あ! このカツ丼、クオリティ、たかーいっ!」
透さんと目が合う。透さんは少し申し訳なさそうな顔をする。
「あ、ごめん。二人で盛り上がっちゃって」
「いいよ。ぜんぜん。二人って本当に仲がいいんだなって思って見てたから」
「隆一君って一人っ子なんだっけ」
「うん」
「妹とかいたら、いいお兄さんやれそう」
「そうかな」
「そうだよ。静も懐いてるしね」
「えへへ、何ならあたしが妹になってあげてもいーけどー?」
「それは隆一君が迷惑だからやめて」
「もー、どーいう意味ー?」
静ちゃんは頬を膨らませて、いじける。でもすぐに気持ちを切り替えた。
「それで? 他にはどこ行ったの?」
「え?」
「だってコラボカフェだけだったら、こんなに遅くならないでしょ。他にも寄ったんでしょ?」
「ま、まあ……」
「あ! やっぱ何かあったんだ! 妹に秘密とかずるーい!」
「なにがずるいのかまったく分からないんだけど」
「教えてよー。おにーさん、教えてっ」
「大したことないよ。ボーリングしたり、カラオケ行ったり……」
「カラオケに行ったの!? 本当!? お姉ちゃん、カラオケ嫌いなのに」
「ただの雨宿りのついでって感じだから」
「お姉ちゃんの歌、聞いた?」
「……うん」
「お姉ちゃんの歌、どうだった?」
「綺麗だった。嫌がることないのにって思ったし」
「だよねー。でもお姉ちゃん、すっごーく自分の声、コンプレックスみたいでー」
「……隆一君、なんでもかんでも話しすぎ」
「あ、ごめん」
透さんに軽くにらまれてしまう。
「ほらぁ。あたしの言ったとおりでしょ。お姉ちゃん、もっと歌えばいいのに」
「嫌」
透さんははっきり言う。その表情は、いじけた子どもを連想させた。
「ほんっとお姉ちゃんってば、変なところ頑固なんだから」
「頑固でいいよ」
「もー。お姉様ぁ、いじけないでよぉ」
「……猫なで声、ださないで」
「えへへ」
「ああもう、甘えないでったら」
透さんの膝にだきつく静ちゃん。透さんはなんだかんだ言いながら、「分かったから」と静ちゃんの相手をしているから世話好きだ。
俺はこらえきれず、声をあげて笑ってしまう。透さんと静ちゃんがそろって、俺を見る。
「ご、ごめん。二人のやりとりおかしくって。それが素の透さんなんだ」
透さんは気まずげな表情で、頬を染めた。
「ち、ちが……」
「そうだよー。お姉ちゃんってイケメンとか大人って言われてるけど、案外、子どもなんだよねえ」
「静にだけは、子どもって言われたくないんだけど」
「ね?」
「うんうん」
「隆一君、納得しないで……っ」
透さんが思いっきり溜め息をつく。
「あんま静に、悪乗りさせないでね」
「悪乗りじゃないよー。ね、おにーさん」
「だね」
「はいはい。私が悪者ね。分かった。――隆一君、お茶のおかわりは?」
もらおうかなと思いつつ、スマホを見る。
「あ……。透さん、そろそろ帰るよ」
もう十時を過ぎていた。
「えー。もう? 今来たばっかりじゃん!」
「ごめん、静ちゃん。また来るから」
「むぅ」
「静。明日、学校なんだから」
「分かってる。おにーさん、約束だよっ」
「うん、また呼んでくれるなら」
ふふっと、透さんが笑う。
「それじゃ、今度また夕飯をごちそうするから。だって隆一君のおかげでシークレットのコースターが手に入ったんだから。これはかなり大きい」
「……じゃあ、そのうちに」
「約束ね。社交辞令抜きで」
「抜きで。――透さん」
「ん?」
「のど、しっかり休ませて」
「! も、もう隆一君……!」
透さんは恥ずかしそうに目を反らす。
「えー? カラオケで歌いすぎたってことー?」
「それもあるかな?」
「それも?」
静ちゃんが俺たちを交互に見る。俺たちはそろって肩をすくめた。
「あ、今、目で合図したでしょ。やらしー!」
「何もやらしくないから」
「じゃあ、行くよ。静ちゃん、ばいばい」
「ばいばーいっ♪」
俺は透さんと静ちゃんのやりとりにくすっとしながら、安達家を後にした。
マンションを出て、夜道を自宅に向かって歩いていると、スマホがメッセージの着信を知らせた。
透さんからだ。
『隆一君、今日はいろいろと付き合ってくれてありがとう!』
『お安いご用。またいつでも付き合うよ』
『……その折はよろしくお願いします』
頭をぺこっと下げる猫のスタンプが送られてくる。
俺も、『OK』サインのスタンプを返信しておく。
胸にほっこりしたものを感じる。こんな他愛ないやりとりにも、浮かれてしまうなんて。
と、あることに気づく。何も設定されてなかったはずの透さんのアイコンが変わっていたのだ。
これはまさか……間宮さんちのカツ丼……。
そんなに透さん、あのカツ丼が気に入ったのかぁ。
※
私は自分の部屋に入ると、大きく伸びをする。
隆一君とまさかコラボカフェに行くとは思わなかったけど、今日は充実した一日だった。
こんだけ笑ったのも久しぶり。
くたくただけど、心地いい疲労感だ。
いつもは家と学校の往復だし、学校を離れて話す相手は静だけ。もちろんLINEで通話したりすることはあるけど、でも、今日みたいに一日中誰かと一緒に――それもクラスの異性といるなんて、初めての経験。
そしてその経験は悪くないどころか、とても楽しいもの。カラオケでの恥ずかしい記憶は封印したいけど、それでも、こうして思い返すと悪くなかったかも。
これも隆一君効果なのかな?
隆一君とも話したけど、一年の頃はほとんど話をしなかった人とたった一年経っただけで、休日を一緒に過ごすことになるなんて、本当に不思議。
こういうのが縁っていうのかな。
私は机の隅に置かれていた、宝箱を手元に引き寄せる。小学生の頃、縁日で親に無理してねだって買ってもらったものだ。あの頃はすごく綺麗な宝石箱だと思ったけど、成長してから見ると、チープさのほうが目立つ。それでも私にとって、これは宝石箱。物語のお姫様が宝石や首飾りを入れたりするような。
実際、この宝石箱には子どもの頃から大切なものを入れていた。
祖父母の家に遊びに行った時に河原で見つけた綺麗な石、子どもの頃に大切にしていたオモチャのアクセサリー、金色の折り紙で作った不格好なツル……。
箱を開け、今日手に入れたシークレットコースターをしまう。
同時に、箱の中にあったプリクラが何枚か目に入った。
一緒に写っているのは美希。今よりも幼い自分が、初めてのプリクラで緊張に顔をこわばらせていた。
別のプリクラには、慣れてきたのは笑顔の私と美希。
そのプリクラには美希の丸い文字で『BFF』と書かれている。
この言葉ってたしか、美希が映画で見て、いい言葉だって教えてくれたんだっけ。
BEST FRIEND FOREVER――。
この時はBFFっていう言葉が私たちの中でブームになって、やたらと連呼してたと思う。
あの時のことを思い出すと、胸の奥がひりっと痛んだ。
プリクラを宝石箱に戻すと、そっとフタを閉めた。
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