第39話 勉強会

『――っていうことだから、おにーさん、絶対、お姉ちゃんのファッション、褒めてあげてよね!』


 静ちゃんからの実況中継(?)を受け取り、俺はドキドキしてしまう。

 待ち合わせの時刻まであと、20分。

 俺はイメージトレーニングしようと目を閉じる。

 可愛いね、その服、似合ってるよ……。

 口の中でぽつぽつと呟く。


「――隆一君!」

「っ!」


 声のするほうを見れば、透さんが軽快なフットワークで人混みを縫うようにこちらに向かって駆けてくる。

 おお! 透さん、いつもと雰囲気がぜんぜん違う!

 シンプルな装いはそのままに、大人びたファッションは、透さんによく似合っている。こんなの事前に教えてもらわなくっても、褒め言葉しか浮かびようがない。

 むしろ、今の俺の服装――シャツにジーンズという静ちゃんが言うところのいわゆるコンビニコーデで来てしまったのが恥ずかしいし、申し訳ない。

 透さんはうっすらと額に汗を光らせ、大きく肩で息をする。頬が赤らんで上気していた。


「はぁはぁ……ごめん……はぁ、はぁ……待たせちゃった?」

「平気。でも走ってこなくても大丈夫だったのに」

「ちょっと準備にモタついちゃってたから。この炎天下の中、待たせるのはさすがに申し訳なかったから……」

「と、透さんっ」

「?」

「ふ、服、いつもと雰囲気、違うね……」

「そ、そう?」

「よ、よく似合ってるよ……っ」

「……ありがと」


 透さんははにかんで、笑ってくれる。


「それじゃ、行こっか」

「ええ」


 透さんのリアクションに気恥ずかしくなった俺は、先を促した。



 駅から徒歩二十分。透さんの住んでいる新興住宅街とは違って、古くからの一戸建てが多い住宅街の一角に俺の住んでるマンションはある。

 透さんの家と比べると、恥ずかしくなるほど年季が入ったマンション。当然、オートロックじゃないし。


「きょ、今日も暑いよね」


 エレベーターで俺の家の511号室を目指す途中に俺は口を開く。


「そうね。勉強日和、とはいかないけど」

「確かに」

「今日、ご両親はいらっしゃるの?」

「まさか。二人とも仕事人間だから、働いてる」

「うちも。大変よね、大人って」

「ほんと。この間、久しぶりに母親と話して、期末試験の話題になっんだけど、そうしたら無理するなって。ぐうたらできるうちにしときなさいって言われたんだよ」


 透さんはくすっと笑った。


「勉強しなさい、じゃなくって?」

「そ。ぐうたらしてても罪悪感を持たないでいられるのは学生だけの特権だって。大人になったら嫌でも働かなきゃいけなくなるって。期末試験の話題が出たのに、親としてさすがにそれはどうなんだって、さすがに笑っちゃってさ」

「確かに。変わった考え方ね」

「透さんのご両親はどう?」

「うちも隆一君のところと似たり寄ったり。とは言ってもぐうたらとかはさすがに言われないけど、基本放任だから。信用してくれてるってことなんだろうけど」

「親御さんの気持ちは分かるかな」

「そうなの?」

「透さん、めちゃくちゃしっかりしてるし、透さんに任せれば大抵のことはうまくいきそうだなって」

「そんなことないって。隆一君だって知ってるでしょ。私が隠してるだけで、実は情けないってこと」


 きっとそれは子どもの頃のことだろう。

 そのせいで、親友である冬馬さんと一時的にではあるけど、関係を絶っていたくらいだ。

 でもだからといって情けないとは思わない。子どもの時は誰だって考えなくてもいいことまで考えて、そして臆病になってしまうことはよくあることだ。学校っていう限られた世界しか知らないからこそ、傷つきたくなくて過剰な反応をしてしまったりもするんだから。

 それは情けないとは違う。絶対に。


「情けなくないよ」

「……本当?」


 透さんはその澄んだ瞳で、俺を伺うように見てくる。


「本当」

「隆一君にそう言ってもらえると、うん……ちょっとは自信がもてそう」

「ちょっとじゃなくって、思いっきり自信を持っていいよ」

「くす。分かったわ」


 俺たちは笑みを交わす。

 エレベーターが目的の階に到着し、扉が開く。長く伸びた廊下を進み、511号室で足を止める。カギを空け、扉を開ける。うっすら籠もった空気が室内から漏れてくる。


「どうぞ」

「お邪魔します」


 もわっとした嫌な空気を振り払うように廊下を進み、リビングへ。

 すぐにエアコンを付ける。


「勉強はどこでする? 隆一君の部屋?」

「あー……俺の部屋は汚いから、ここで」

「分かった」


 透さんはバックパックから参考書や教科書を取り出す。

 俺はキッチンに入ると、冷蔵庫を開ける。


「透さん、飲み物は何がいい? お茶かジュースか……」

「それじゃ、お茶をもらえる?」

「温かいのがいい?」

「冷たいので大丈夫」


 製氷機からすくった氷をコップへ入れ、お茶を注ぐ。崩れた氷がカラン、と涼やかな音をたてた。

 ……いつもと逆の構図だな、と頭の片隅で思う。

 これまでは透さんにもてなされる側だけど、今日はもてなす(大袈裟かもしれないけど)側だ。


「どうぞ」

「ありがと」

「……って、何してるの?」

「あ、ごめん。人ん家をじろじろ見ちゃって」

「いや、ぜんぜん。ていうか、そんなこと言ったら、俺だって……透さんの小さな頃の写真、見たわけだし」


 と、透さんは勝ち誇ったような笑顔で、写真立てを手にする。


「これ」

「あー……それね」


 それは小学生の頃、両親とテーマパークに行った時の家族写真だ。何が恥ずかしいってテーマパークのキャラになりきった格好をしていたのだ。


「これ、いつくらい?」

「小学校高学年くらい?」

「今の隆一君の面影あるね。今よりも可愛いけど」

「それ、褒めてる?」

「もちろん」

「男が可愛いって言われてもなぁ」

「じゃあ、イケメンがいい?」

「いや……」

「なら、可愛い。今でも似合いそう」

「今はそこ行っても絶対、つけたりしないけど」

「似合うと思うよ。ふふ」

「今の笑顔、絶対そうは思ってないよね?」

「そんなことないってたら。ふふ。まあ、スマホで是非撮らせて欲しい、かな?」

「……はいはい、好きなだけ笑ってくれ」

「すねないで。冗談だから。あ、似合うってところは本当だけど」


 俺は肩をすくめる。


「隆一君。それじゃ、そろそろはじめよっか」

「待って、ノート取ってくる」


 俺は自分の部屋に入ると、教科書とノートを取ってリビングへとって返す。

 テーブルを挟んで向き合うように座る。

 透さんはオーバーサイズのシャツの袖をまくりあげる。柔らかな二の腕が覗いた。

 その色白の肌に目がいきかけて、慌てて引き戻す。

 透さんはいつも使っているだろう、ライム色のシャーペンをカチカチとノックして芯を出す。


「それじゃあ、まずは何からにする?」

「じゃあ、英語からでいい?」

「了解」

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