第40話 冷やし中華

 正直、我ながらここまで集中できた自分を褒めて欲しいというくらい集中した。

 英語と数学の二教科、勉強会と言いつつ、透さんから一方的に教わるばかりだったんだけど。

 12時くらいにはじめて、気付けば、午後3時を回っていた。


「はぁぁぁぁ~~~……」


 ノートに突っ伏す俺を前に、透さんはくすりと微笑む。


「おつかれさま」

「教えてもらってばっかりで透さん、ぜんぜん勉強できなかったよね。ごめん……」

「そんなことない。人に教えられるってことは私もそこを理解してないと無理でしょ。だから復習っていうか、自分の理解が甘いなってところも分かったから」

「そう言ってもらえると、多少は気が楽になる」

「隆一君、気にしすぎよ」

「それにしても、透さんって教え方うまいよね。静ちゃんにも勉強を教えたりしてるの?」

「まあね。でもあの子、すぐによそ見したり、スマホいじったりしてさ、集中力がなくって困ってる」

「静ちゃんらしい。本人に聞かれたらすごく怒りそうだけど」

「そうね。唇を尖らせて」


 俺たちは笑いあった。

 と、ぐ、ぐぅぅ……と盛大に腹の虫がなってしまう。


「うっ」


 透さんが目を細めて微笑んでいた。


「ぶっ通しで勉強してたからお腹すくよね。材料はある? もし良かったら何か作るけど」

「いや、それはさすがに申し訳ないから」

「遠慮しないで」


 ぐぅ。

 俺のより控え目な、可愛らしい音が聞こえる。

 透さんはうっすらと頬を染め、照れ隠しみたいに笑い、お腹を押さえた。


「……私も、実はね」

「じゃあ、何か取る? ピザでも」

「それはさすがに申し訳ないし」

「でもそれくらいの金は親がおいてってくれてるから」

「それは隆一君の為でしょ。私が甘えるわけにはいかない」


 変なところ生真面目だな。透さんらしいけどさ。


「ちょっと待ってて」


 俺はキッチンに入って冷蔵庫を開けるが、めぼしいものは何もない。


「材料がなんもない」

「スーパーは近所にある? 場所を教えてくれれば買ってくるけど」

「いや、それこそ俺が行ってくるよ」

「でも隆一君、疲れてるでしょ」

「それは透さんだって同じだろ。甘えられないって。だいたい俺が招いた側なんだから……」

「何か食べたいものはある?」

「透さんが作ってくれるなら、何でも……」

「それが一番困るんだけどね」


 透さんは苦笑する。


「うーん……」

「じゃあ、やっぱり私が行かなきゃ。材料を見ながらメニューを考えるから」

「それじゃ、二人で。俺、荷物持ちするからさ」


 分かった、と透さんは頷いてくれた。




 というわけで、二人でスーパーに出かける。


「うわ、あぢぃー……」


 冷房の効いた家から一歩外に出ると、殺人的な直射日光にさらされる。これでまだ7月で、夏の本番はまだまだこれからだというんだから憂鬱だ。それになによりこのあたりは、日陰がほとんどない。アスファルトの照り返しもあいまって、早くも気持ちは回れ右をしたくて仕方なかった。

 一方、透さんはハンカチで首の汗を拭いつつ、日射しに目を細める感じが、憂いを含んでいるようで、妙な色気があった。


「今年の夏は猛暑だって天気サイトにはあったけど、この陽気じゃ確かにそれっぽそう」

「猛暑かぁ……。今すぐプールに飛び込みたい」

「それ、賛成」

「それにしても、こんな時期に期末試験やるって、うちの学校もキツい……。夏の暑さがヤバいから、夏休みがあるんじゃなかったっけ?」

「でも試験を乗り越えれば夏休みだから、がんばろ」

「だね。それを支えに……」

「脱、補習」

「うぐ。透さん、きついこと言うなー」

「ごめん」


 くすくす笑う透さんと話しているうちにスーパーに到着する。

 エアコンの効いた店内に、癒やされた。

 カゴを乗せたカートを俺が押し、透さんは少し先を歩き、思案顔で優しコーナーを見て回る。


「そろそろ何が食べたいかは思いついた? 何でもいい、以外でね」


 透さんが俺を振り返りながら言った。


「暑いから、ひんやりしたもんは?」

「ひんやり……そうめん?」

「いいね、そうめん」

「隆一君、ここ最近なに食べた?」

「何って……ここんところ揚げ物が多いかな。楽なんだよ。出来合いの総菜をチンして」

「野菜は? ちゃんと取ってる?」

「あー……そういや、ちゃんとは食べてないなぁ。餃子に入ってる刻んだ野菜はカウントしていい?」

「ダメ」

「じゃあ、全然」

「なら、そうめんより冷やし中華がいいかも。――冷やし中華は食べられる?」

「もちろん好きだけど……どうしてそうめんじゃなくって?」

「そうめんはあっさりしてていいけど、栄養のバランスを考えるとね。野菜を薬味にするにしても限度があるし。でも冷やし中華なら野菜もたっぷり取れるでしょ」

「そ、そこまで考えて……」

「高校生のくせに所帯じみてるでしょ。朝沙子が野菜嫌いだから、野菜もちゃんと取らなきゃダメだって何度かお弁当を作っていったことがあるんだけど、その時に朝沙子ってば私が子持ちの主婦みたいとか言うのよ。ひどいでしょ?」


 ……そんな特別でもなんでもない世間話をしながら、スーパーを歩き回っていると、なんか俺たち、付き合ってるみたいだよな――そんなことを頭の片隅で思ってしまう。

 いつかスーパーで出会った時には静ちゃんがいた。でも今日は静ちゃんはいない。二人きり、だ。二人きり……。さんざん二人きりで勉強しておいてなんだけど、今さら、それを強く意識してしまう。


「隆一君? どうかした?」

「あ、いや、何でもない! じゃあ、冷やし中華で!」



「はぁ、生き返る……」


 家に帰り着くなり、俺は冷房のついた部屋に思わず声をあげてしまう。


「隆一君、おつかれさま。それじゃ、ちゃっちゃと作っちゃうから休んでて」

「それはさすがに! 俺も手伝うから……」

「大丈夫。それに、一人でやったほうが早いだろうし。それじゃ、台所借りるね」

「エプロンがどこかにあったはずだけど」

「平気。気にしないで」


 透さんは少し逡巡するような間をおいたかと思うと、羽織っていたオーバーサイズのシャツを脱ぐと、ダイニングテーブルの椅子の背もたれに引っかける。


「あ……」


 思わず声が漏れてしまう。


「……どうかした?」

「いや、なんでもない。じゃ、御言葉に甘えて……」


 透さんは大きく肩が露わになったブラウスを着ていた。シャツを羽織っていたからずっと気付かなかった。

 肩を出した服とか別に街中でも見かけるし、特別めずらしいデザインじゃない。

 でも透さんが着ていると、どうしても目がそっちに向かってしまう。

 透さんもああいう服、着るんだ……。似合ってはいるけど、いるんだけど……。

 今の俺にとってはかなりの刺激だ。

 透さんは慣れた手つきで購入した材料を刻み、何事もないように料理をしている。


 そうだ、こういう時にこそさっき透さんから教わった勉強の復習だ。そうしよう!

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