第54話 告白
俺はまともに透さんの顔を見られないまま、「すいません」「通ります」と拝殿に向かって並ぶ人たちに声をかけて、参道を外れた。
「ふぅ。やっぱりすごい人だね」
「そうね」
透さんも一息つけたのか、少し目尻を緩めて頷く。
「お腹は?」
「ぺこぺこ」
「だよね。考えてみれば、今日は昼休憩もなかったわけだし……」
というわけで、俺たちは出店を回る。
参道もすごい人だったから出店のお客さんもすごかった。
できるかぎりお祭りを楽しみたいということで、とりあえずすぐに調達できそうな出店を回った。結果。
「うーん、これは見事な茶色づくし……」
焼き鳥、イカ焼き、そして唯一行列で妥協しなかったのが焼きそば。
「ふふ。あ、でも焼きそばの生姜と青のりのおかげで、ぎりぎり茶色一色は免れたね」
気付くと、夕日は西の水平線に沈み、空は深い藍色に染まっていた。
さっきまではそれほど気にしていなかった提灯の明かりが夜気の中で、幻想的に映えていた。
「どっか食べられそうな場所は……」
といっても、だいたいのスペースはすでに先客がいる。
「隆一君。一度、境内から出る?」
「そうしよっか」
ビニール袋ごしに出来立ての食べ物の熱を感じつつ、人の流れに逆らうようにして鳥居を抜ける。
「じゃあ、とりあえずあっちに」
俺たちはあてどもなく歩く。出来る限り人のいない場所を求めて。
しばらく緩やかな上り坂を歩くと、途中、児童公園を見つけた。
サビの浮いた滑り台と、ゾウとウマを象ったものにスプリングのついた遊具、色の剥げたベンチ。
「じゃあ、ここで」
俺たちはベンチに座ると早速、食事を開始する。
太鼓や拍子木、横笛――祭りの喧噪が、ここからだとびっくりするくらい遠い。別の世界に迷い込んだみたいにひっそりと静かだ。
「いい景色……」
日が沈んでも真夏の熱気はそう簡単に緩んではくれないけど、高台のせいだろうか、海から吹きつける風が気持ちいい。
「んー! うまいっ!」
「ふふ、同感」
「家で食う焼きそばって物臭の時のメニューだけど縁日で食べると特別なものに感じない? イカ焼きなんか、普段食べようとも思わないもんなぁ」
「そうね」
透さんは一緒になって微笑んでくれる。でもすぐにその笑みは引っ込んでしまう。まるで笑ってはいけないところで笑ってしまったような……。
「透さん?」
透さんは立ち上がった。
「……やっぱり、みんなのところに戻ろう。きっと心配してる」
「透さん、待って」
スマホを取り出すその手を、俺は思わず掴んだ。
そんな強引なこと、するべきじゃないと分かっているけど、止められなかった。
「俺、何かした?」
「……違う」
透さんは首を横に振った。
「それじゃあ、どうして」
透さんは下唇を噛んで、なにかをこらえるような表情をする。
透さんは答えてはくれないまま、ただ首を横に振るだけ。
これまでの俺だったら、そこで挫けて手を離していたと思う。
でも今この瞬間だけは離してはいけないと思った。この手を離してしたら、透さんがどこかにいってしまいそうな気がした。
馬鹿げた妄想だけど、本気でそう思った。
「透さん。俺、透さんと、もっと話したい。普通に笑いたい。でもここ最近、それができなくなってる……て感じる」
「……わ、私だって、」
「それじゃあ、俺を見て。理由があるなら、話して。俺はがさつだから、気に触るようなことをしたなら謝るから……。このまま何も話してくれないまま、二人きりでいるのが気まずいまま、旅行を終えたくない」
「どうして……」
「どうして?」
何を言われたのか、俺は一瞬分からなかった。
「どうしてそんなに優しく、するの……」
透さんの声はかすかに鼻にかかっていた。感情をこらえるように押し殺すように、その声はかすかに震えていた。
「だめ、だよ」
「透さん、何を言って……なにが、ダメなんだよ……」
「隆一君と何気なく話すことが楽しい、でも私はそれだけじゃ足りないって……思っちゃう」
透さんの肩が小刻みに震える。いや、今触れている手も、震えて……。
「透さん……?」
「だって、隆一君には好きな人がいるんでしょ。だから、朝沙子の告白も断ったんでしょ。私じゃ、その人に勝てない……なのに、隆一君が優しくしてくれて、微笑んでくれて……そんなことされたら苦しいだけ……」
透さんは静かに、想いをつぶやく。苦しそうに。その表情を悲しそうに歪めて。
「もしかして急に素っ気なくなったり、目を反らしていたのは、そのせいなの?」
「ダサいよね。なんか、子どもみたいな真似しちゃってさ……」
透さんは自嘲気味に笑った。
そんな表情は透さんには似合わない。させたくない。させてはいけない。
「ごめん」
「謝らないで。謝って欲しくって言った訳じゃない、から……」
「そうだね。――透さん、俺を見て」
「…………」
「透さんの目を見て、伝えたいことがあるんだ」
俺は辛抱強く待った。
透さんは恐る恐るという風に振り返った。
俺の優柔不断さが透さんにこんな顔をさせてしまったんだ。好きな人なのに、悲しい顔なんてさせたくないって思ってたのに。
「たしかに俺には好きな人がいる……」
「やめて。聞きたくない……。お願い、隆一君……」
「俺、透さんのことが好きなんだっ」
「……っ」
告げた瞬間、首筋から頬へと火照りが伝染していく。
自分の言葉を反芻する。透さんの手をつかんだ手に力をこめる。
言わなくてはいけないこと。伝えなきゃいけないこと。それを伝えたいただ一人の人のために。
「俺は透さんのことが好きなんだ。だから……俺と付き合って欲しい」
頭の中で何度となくシミュレーションはしてきたけど、でも、実際は頭の中で思い描いたのとは全く違う。
声はかすかに震えているし、上擦ってもいた。
はっきり言って、格好良さも、スマートさも何もない。でもそんなことに構っていられない。
口火を切ると、感情は次から次へとあふれてくる。
「もっと早く言うべきだった。でも俺がヘタレだったから……静ちゃんとのことをきっかけに、透さんのことを知って、決して長い時間をすごしたわけじゃないけど、透さんのことを知るたびに、好きになった」
家に呼ばれて食事をごちそうしてもらって。透さんに秘密の場所を教えてもらって。そして透さんの冬馬さんへの想いを知って。
かっこいいだけじゃない透さんを知って。好きだという想いはどんどん強くなっていった。
「わ、私、は……」
顔を伏せた透さん。身体の震えがゆっくりとだけど、収まっていく。
恐る恐ると顔を上げた透さんの目は真っ赤で。
透さんは目をごしごしと腕で吹く。
「あ、透さん……」
俺は慌てて腕を止めた。
「そんなに擦ると、傷ついちゃうから」
「……あ、ありがと」
透さんにハンカチを渡すと、押し当てるようにして目尻の涙を拭う。
透さんは深呼吸をする。
「嬉しい」
そうして、小さくこぼれるようにそう言ってくれる。
「本当に、私でいいの?」
「透さんだから、いいんだ」
透さんは小さく頷く。
「よろしくお願いします……って、告白ってこういう風に受けるものなの、かな……」
透さんは右手の人差し指で頬を掻くと、まだ潤んだままの瞳を細め、照れ笑い見せてくれる。
「どうだろ。俺、告白したのはじめてだから」
俺たちはどちらからともなく吹き出す。
「ふふっ」
「ははっ」
と、俺は思い至ってスマホを見る。時刻は7時10分。
「新宮君から連絡?」
「いや。時間を確認しただけ。これから付き合って欲しい場所があるんだ。いいかな?」
「もちろん」
透さんは爽やかに笑ってくれる。
和馬からの忠告通り、場所はしっかり頭に入れてある。
神社の方へ少し戻ってから、森の中へ続く砂利道を進んでいく。
木々の向こうで提灯の滲むような光がのぞき、祭り囃子、人の喧噪がぬるい風にのってくる。
道は結構、急だ。
道無き道ではないけど、アスファルトでしっかり舗装されている訳でもない。
「この先に何かあるの?」
「うん……」
頷いたはいいものの、俺もこの先に何があるのか実は知らない。
とりあえず8時までに到着することだけを念頭に歩く。
汗が噴き出す。
やがて坂道が途切れ、道はなだらかに、そしてちょっとした広場に出る。
時刻は8時10分前。息を切らせ振り返る。
「透さん、平気?」
そこには、けろっとした顔の透さん。まざまざと体力の格の違いを見せつけられた。
「私は大丈夫。隆一君はダメそうだけど」
「あはは……面目ない」
「これ、使って」
透さんが格子模様の厚手のハンカチを見せてくれる。それはいつか、カラオケの時、雨宿りの時に使わせてくれたタオルハンカチ。
「あ、それ、カラオケの……」
「覚えてたんだ」
「忘れられないよ。透さんの歌が聴けた記念日だから」
「……もう、そこは思い出さなくていいから。はい、使って。私もさっき使わせてもらったんだから」
「じゃ、じゃあ、遠慮なく。絶対に洗って返すから」
「私もそうするから」
いい香りを意識しながら、首筋や額の汗を拭う。
「それで、ここは?」
そこは神社の裏手。
眼下に、提灯の明かりで彩られた参道を見下ろせる。そして海を一望できる。
昼間だったらもっと綺麗だろう。
「8時まで待って」
「8時?」
「もうすぐだから……」
そして8時を迎えた瞬間、ヒュー、と空を切る音とともに、ドンッと周りを圧倒するような音が空気をピリピリと震わせ、彩り豊かな大輪の花が夜空を覆った。
「花火……」
透さんが笑顔で空を見る。
スタートの一発を皮切りに、打ち上げ花火が夜空を七色に塗り潰す。
赤や青、黄色や紫、金に白――。
色だけじゃない。大輪の花に、アサガオのような形、土星を思わせるものまで様々。
美しい形が尾を曳き、一瞬あとには崩れていく――その一瞬まで息を呑むほど綺麗だ。
花火を観るのはもちろん初めてではない。
けど、友だちじゃない、カノジョと観る花火は人生初。
透さんは無邪気な表情で、花火に見とれ、そんな透さんに俺は見とれた。
「綺麗」
「うん……」
「あ、そうだ」
スマホを取り出すと、透さんは打ち上がる花火の一部始終をカメラに収めていく。
「透さんも移ったほうがいいよ」
「でも」
「ほら、そこに立って。せっかくの記念なんだから」
「あ……じゃあ、お願いできる?」
真夏の夜空を染め上げる花火を背景にした、すらりとしたスタイルのイケメンの取り合わせは昼間の女性客ではないけど、見入ってしまうのは当然。
「透さん、ちゃんとこっち見てくれないと」
「え、ええ……こう?」
「うん、いい感じ」
何枚か構図を変えつつ撮影する。
「これで、どう?」
スマホの画面を見せる。
「ありがとう。隆一君は……」
「俺はいいよ、さすがに」
「そうだよね。男の人はさすがに自撮りはそうそうしないもんね」
透さんは笑ってくれる。その表情を観られるだけで、胸がいっぽいだった。
旅行最期の夜にこんな想い出ができて最高だ――そう思ったんだけど……気付くと、透さんは小さくため息をつく。さっきまで嬉しそうだった花火を観る横顔が、どこか切なげなものに変わっていった。
でもそれはこれまでの目をそらすとか、気まずそうな雰囲気とはまたちょっと違っていて……。
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