第28話 屋上
昼休みが終わり、五時限目を知らせるチャイムが鳴る。
と、一部の女子がざわつく。聞き耳を立てると、「透がいない」とそんな声が聞こえた。
透さんの席を見ると、たしかにそこだけぽっかりと空いているし、机の上には次の授業の準備さえない。
そうこうしているうちに五時限目の古文の教師が入って来て、日直が号令をかけた。
授業がはじまってから10分が経過するが、透さんが戻って来る気配はない。
女子の一部もそれを気にしてか、ちらちらと廊下を気にしている。
俺はノートを取るのもとりあえず、机の下で透さんにメッセージを送る。もうすでに女子たちがやってるだろうけど。
しかしそれからさらに10分が経過しても透さんは戻ってこないし、メッセージへの返信もない。
……仕方ない。
「――先生!」
俺は手を挙げて立ち上がった。
「ん? どうした?」
「すいません。腹の調子が悪くって……トイレ行ってきてもいいですか?」
教室のところどころ(特に男子)から失笑が漏れた。
教師は「早く行ってきなさい」と言ってくれる。
「ありがとうございます」
俺はそそくさと廊下に出て、階段にさしかかったところで一足跳びに階段を駆け上がった。
授業中の校舎はしんっと静まりかえった、非日常の空間。
そこに俺の足音がやけに大きく響き渡った。
透さんがどこにいるのか、思い当たるところは一つだけ。
そこにいなかったら万事休すだけど――。
俺は屋上に続く扉の前に立つとドアノブを握り、透さんがやっていたように何度かノブを回した。すると、確かな手応えがあった。
ノブを握ったまま力を加えると、扉が開く。
後ろ手で扉を閉め、屋上を見回す。
いた!
給水塔の日陰ポイントに、透さんがいた。
透さんは両脚を投げ出す格好で座っている。膝の上にカラの弁当箱を乗せ、給水塔のコンクリート基礎にもたれかかって目を閉じている。
華奢な両肩が規則正しく上下していた。
さすがは透さん。眠っている姿もイケメン。……って、今はそれどころじゃなくって。
「……透さん」
驚かせないようそっと声をかけるが、反応はない。
「透さん」
もう一度声をかけるが、変わらない。
ここにいることが分かったから、教室に戻ってもいいかなと思う一方で、離れ難さを感じてしまう。
それはきっと、昨日のことがあったから。
事故とはいえ、互いの息遣いを感じるほどに近づいたこと。
あの時、インターホンが鳴らなかったらどうなっていたんだろう。
その時、風が吹き抜ける。その拍子に、弁当の箸が転がりコンクリートの地面に落ちて、カランと音をたてた。
と、長い睫毛が小刻みに揺れ、まぶたがゆっくり開かれる。
「……んっ」
透さんの寝ぼけ眼に、俺が映り込んだ。
え、えーっと……?
「りゅ、いち……く、ん……?」
少し呂律の回っていない声で、名前を呼ばれる。
「え、隆一君、ど、どうしたの?」
透さんは間の抜けた声を出す。
「それはこっちのセリフだよ。もう授業ははじまってる。いつまでも戻ってこないから探しに来たんだ。メッセージ送ったけど既読も何もつかないし」
「え、嘘!?」
透さんはポケットからスマホを取り出すと操作する。どうやら電源を落としていたみたいだ。
「すごいメッセージの数……」
透さんはスマホ画面を見ている。
「気分が悪い?」
「ううん、ちょっと疲れちゃって」
「……やっぱり噂の?」
「噂は覚悟していたけど、やっぱりチラチラ注目されるのは気持ちいいものじゃないよね」
透さんは苦笑いを浮かべ、そうぽつりと呟いた。
「根も葉もない噂を勝手に広げる野次馬連中ってどうしようもないよな」
「……実はそれだけじゃないの。一番は、うちのクラスの女子」
「うち?」
クラスの女子はみんな、透さんをいたわっているように見えたけど。
「みんな、噂をしている人がいると注意してくれたりするの。でもね、クラスの子たちから、ビンタされたのは本当は何でなんだろうって好奇心を隠しきれないみたいでさ。正直、それが一番、こたえちゃって……。同じクラスだから逃げられないし。他のクラスの人たちなら無視して通りすぎてもいいけど、同じクラスの子たちを避けるのも限界があるし」
「透さん……」
「私ってひどいよね。みんな、心配してくれてるのに」
「いいんじゃないかな」
「え?」
「別にひどくないよ。不快に感じたら不快に感じる、でいいと思う。それを透さんが悔やむ必要なんかない。透さんは優しすぎるけど、そう感じた自分を否定したら余計疲れるだけだから。もっと自分の心に正直でいいよ」
「本当に、そう思う?」
「うん。『もう、私は女だっての!』って叫んだじゃん、この間」
「ちょ……!」
透さんは頬を赤くする。
「叫んだあと、透さん、めちゃくちゃスッキリしてたから、変に周りに合わせるより、健康的だと思う」
「ふふ。そっか……。そう言ってもらえると気分がラクになれるような気がする」
透さんは手早く弁当を包み直すと、立ち上がった。
「じゃ、教室に戻ろ」
「透さんは先に行ってて」
「え、でも授業は……? あ、私をダシにして授業をサボるつもり? それは感心しないな」
「違うって。俺、トイレに行くって教室を抜け出してきたから、それなのに透さんと一緒に戻るのはおかしいだろ?」
「あー……」
「俺は5分後くらいに戻るから」
「でも隆一君がわざわざ探しに来てくれたんでしょ? なのに……」
「気にしなくていいから。それに、メシ食った後の古文とか地獄でしかなかったし」
「了解。それじゃ、また教室でね」
「うん」
「……また、借り作っちゃった」
「迷惑でも借りでもなんでもないからさ」
「……ありがと」
駆け足で校舎へ戻る透さんを見送った。
俺はふぅ、と息を吐き出して、軽く伸びをする。
空には初夏の高い青空が広がっている。
たしかにここなら、熟睡間違いなし。
それからテキトーに時間を潰して、透さんに伝えた通り、5分ほど経ってから教室に戻る。
「遅れてすみません……」
申し訳ない雰囲気を全開にしつつ、教室に入って行く。
透さんは席についていた。
「おい、近藤。大丈夫だったか?」
そう古文教師から聞かれた。
「え?」
「新宮から聞いたぞ。気分が悪くて保健室で休んだんだろ」
ちらっと和馬を見る。和馬はそしらぬ顔でノートにペンを走らせていた。
「あ、も、もう平気です。ご心配をおかけしました」
「そうか。何ともないならいいが。――授業再開するぞ」
そして授業が終わるなり、俺は和馬に声をかける。
「あれ、どういうことだよ」
「どーせ安達を探しに行ってたんだろ。だからお前が教室を出たあと、すぐに俺もトイレに立ったんだよ。で、お前の気分が悪そうだったから保健室に送って行ったって、教室に戻った時に言って、時間稼ぎしてやったんだ」
「マジか……。サンキュ」
「いいさ。親友として当然だからな」
和馬は爽やかに笑った。
「それにしてもなぁ」
「なんだよ」
「お前がまさか、安達のことをなぁ」
「だ、だからなんだよ……っ」
「好き、なんだろ」
「! それは……」
「違うのか?」
「ち……がく、ない……けど、このことは透さんには……っ」
「安心しろ。親友の恋だからな応援することはあっても邪魔はしないって」
「――近藤君」
はっとして顔を上げると、金沢さんだった。
「今、大丈夫?」
「平気」
「この間の件……冬馬さんの連絡先」
金沢さんは、透さんのことを気にしつつ言う。
「あ、やってくれたんだ。ありがとうっ」
「それで、待ち合わせ場所はどこにしたらいいのか聞こうと思って」
「駅前のコーヒーショップに」
「分かった」
金沢さんはスマホを操作してメッセージを打ち込む。返信はすぐに来たらしく画面を見せてくれた。
――了解です。それじゃあ、4時半頃に。
「ありがとう、金沢さん」
「ううん。あの……」
「金沢さんに迷惑がかからないようにするから」
「ううん、それは心配してなくって……頑張ってね」
「ありがとう」
金沢さんは一仕事終えてほっとした表情で席に戻っていく。
「カノジョの為か。熱い男だなぁ。俺もついていってやろうか?」
「いいよ。一人で何とかしてみせる」
がんばれ、と和馬は笑った。
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