第8話 安達家で夕食を②
「――近藤君。待たせて、ごめんね」
「ううん、大丈夫」
「ご飯の量はこれくらいで平気?」
「十分」
「おかわりあるから、足りなかったら言ってね」
「ありがとう」
安達さんと静ちゃんと対面する格好でダイニングテーブルに着く。
夕飯はカレーの他に小鉢のサラダ、そしてわかめと豆腐の味噌汁。
「おお……!」
「ど、どうかした?」
「ゴメン。感動してつい……」
「大袈裟だよ。ただのカレーだよ?」
「それでも……」
人生初の女子からの手作りを食べられる幸せを噛みしめ、@いただいます」と食べはじめる。
「どう?」
「美味しいっ。安達さん、料理うまいんだっ」
「大げさ。カレールーを使ったら誰でもできるんだから」
「――二人とも。いい加減、呼び方変えたら?」
不意に静ちゃんが言った。
「呼び方?」
「安達さん、近藤さんって他人行儀すぎるもん」
「他人行儀って……。近藤君はクラスメートなんだから……」
「でも今は一緒に夕飯を食べてるんだよ? もう、ただのクラスメートじゃないよ。ていうか、お姉ちゃん、今まで高校の友だちを家に連れてきたことないじゃん」
「そうなの!?」
「機会がなかっただけだから」
「ほら、呼んでみてよっ」
俺と安達さんは顔を見合わせた。
緊張で口の中が乾く。
「……と、透……さん」
「りゅ、隆一、君……」
安達さん……透さんは頬をほんのりと赤らめ、目を反らす。その意外な反応にドキッとしてしまう。
「ひゅーひゅー。二人とも、お似合いだから、付き合っちゃえばぁ?」
透さんはますます赤面する。
「静、ふざけてないでさっさとご飯を食べて。残したら、明日の晩ご飯なしにするからね」「なにさぁ。ちょっとふざけただけじゃん」
「ふざけてもそういうことは言うべきじゃないでしょ。ね、近藤君」
あ……うん、と俺は曖昧に頷くことしか出来ない。
「そうかなぁ。でもおにーさんは嫌がってないみたいだけど? おにーさん、お姉ちゃんの
こと好きでしょ?」
「げほげほっ」
思わずむせてしまい、慌てて水をがぶ飲みする。
「近藤君、平気?」
「だ、大丈夫……」
それからカレーを完食したけど、動揺したせいで味がよく分からなかった。中学生相手に動揺させられるとか……。
※
食事を終えると、みんなでソファーでくつろぐ。
「おにーさん、これ、どうぞっ」
「ありがとう……って、プリン?」
「あたしとお姉ちゃんのお気に入りなんだ。限定品なのかスーパーでもあんまり見かけないんだけど」
「そんな貴重なのに、俺が食べていいの?」
「もちろんっ。お客さんだもん」
たしかにこのプリンはスーパーでよく見かけるプリンより、少し色合いが濃い。
スプーンですくって食べる。
「どう?」
「味が濃厚だね」
「でしょ! 他のプリンより少しお高めだけど、その分、プリン食べてるって気がするんだよねっ!」
「どうぞ、近藤君」
「ありがとう、安達さん」
安達さんが紅茶の入ったカップを渡してくれる。
「もし必要だったらレモンやクリームもあるから」
安達さんは定位置と思われる一人がけのソファーに座ると、両脚を抱えるような格好でプリンを食べはじめる。
普段の学校で見るスマートな彼女とはちょっと違う、素の安達さんの姿は新鮮で可愛い。
と、目が合った。鼓動が軽く跳ねる。
「……っ」
安達さんはほんのりと耳を赤らめながら、足を下ろす。そんないささやかな仕草にいたるまでドキッとした。
「紅茶、美味しいよ」
「あがとう。お気に入りの茶葉だから、そう言ってくれると嬉しい」
こんな家庭的な面まで持ち合わせているとか、安達さん、完全無欠すぎない?
「もーっ。二人とも、呼び方が元に戻ってるじゃん!」
「……透さん、ありがとう」
「言い直さなくてもいいよ。静は思いつきで言ってるだけだから、無視して」
透さんが苦笑いを浮かべる。
「そうだ、ついっさき、そこの写真を見てたんだけど、安達さんって子どもの頃から色々とやってたんだ。ピアノとか、ミニバスとか」
「まぁ……」
安達さんは苦笑いする。
「お姉ちゃんってほんと飽き性なんだよ? ピアノもコンクールで賞をもらった直後にやめちゃうし、ミニバスだって大会で優勝した途端、やめちゃうし」
「へえ」
飽き性という言葉は、なんだか安達さんには縁遠そうけど。
「飽き性なんじゃなくて、嫌になったの。親はもったいないって引き留めるんだけどね」
「本当に贅沢だよねーっ。お父さんもお母さんもいまだにお姉ちゃんの子どもの頃の習い事の写真を自慢げに飾っちゃってさ。おにーさん。あたしの写真の少なさ見た!? ほんっっっっっと、お父さんとお母さんは、あたしを忘れるんだから。長女びいきはんたーいっ!」
静ちゃんはぷんすか怒って、不満そうに頬を膨らませる。なんとなく食べものを口いっぱいに詰め込んだリスを思わせる。
「そんなことないでしょ。静だって、ピアノもミニバスもやったじゃない。なのに、全部一年も経たずにやめちゃって」
「だって、ぜんぜんうまくならないんだもん! でね、失敗するたびに、お前の姉ちゃんはうまいのに、お前はぜんぜんだなって言われるし!」
「剣道もそんな感じでやめちゃったの?」
「まあね」
「えー、違うよ。剣道が一番長続きしたじゃん。小三から中学卒業までだもん。お姉ちゃん、剣道は下手っぴだったんだよね」
「余計なこと言わないでいいから」
「安達さんにも苦手なことがあったんだ」
「剣道はじめてた当時、ぜんぜんうまくいかないってよく愚痴ってたの。でもあの時のお姉ちゃん、ぜんぜん辛そうじゃなかったよね。ピアノやミニバスの時は行きたくないって駄々こねてたりしてたのに」
「ど、どうしてそんな余計なことばっかり覚えてるのよ……っ」
安達さんは俺を気にしつつ、恥ずかしそうに唇を尖らせた。
「えへへ~。あたし、小さい頃から記憶力はあったから! でもお姉ちゃんは結局、先に剣道をはじめてた人たちよりずーっと強くなったんだよね! 美希ちゃん以外は」
「美希ちゃん? もしかして写真に一緒に写っていた子?」
「そう。美希ちゃんは、お姉ちゃんの親友なんだ!」
冬馬美希。それがあの子の名前なのか。
「美希は幼稚園から剣道場に通ってて、同い年なんだけど剣道の腕はぜんぜん違ったから」
「でもすごく仲が良くってね。二人は親友で、ライバルだったんだ。なんだかマンガみたいな関係だよねっ!」
「冬馬さんはうちの学校に?」
「……美希とは学区が違ったから。それに、うちの高校はそんなに剣道が強くないから。美希は剣道の強い学校に進学したみたい」
安達さんは、熱のこもった静ちゃんとはだいぶ温度差がある。
「今も交流があるの?」
「ないわ。中学三年で高校受験がはじまると同時に、私が道場をやめちゃってからは会ってないの」
「お姉ちゃんってばひどいんだよ。道場をやめてから、美希ちゃんといきなり会わなくなっちゃうし。美希さんはうちまで来たのに……」
「静、余計なこと言わないで。――お互い、高校受験で擦れ違っちゃって……それだけ」
「本当にもったいないよねー。お姉ちゃん、高校でも剣道をやればいいのに」
「静を一人にさせられないじゃない。また発作を起こしたらどうするつもり?」
「もう、またそれなんだから。最後に発作を起こしたのは中学一年の頃だし、先生にも大丈夫って言われてるもん」
「じゃあ夕飯は誰が作るの? 静が作ってくれるの?」
「あたしが作って上げるっ」
「できないことを言わないの。もう……」
「お姉ちゃんの料理の手伝いとかしてるんだから、簡単なものだったら作れるのに」
「とにかく剣道はやりたくないの」
「ふうん……。あ、そうだ、おにーさん! お姉ちゃんが剣道で取ったトロフィー見たい?」
「うん、もし良かったら」
「……近藤君、無理は……」
「そんなことないよ。安達さんが中学時代、どれだけ剣道で勝ってたのか知りたいし」
安達さんは苦笑いのような、物寂しげな表情を浮かべた。
困らせちゃったかな。
「……強いと言っても、全国レベルじゃないから」
「でも病気じゃなかったら、全国大会で出場できてたじゃん! その時は美希さんが全国大会に行ったんだよ。優勝はできなかったけど、すごく格好よかったんだから!」
「とにかく強かったってことだね」
「そうそう。お姉ちゃん。そんなにトロフィー見せたくないんだったら、あのコレクションにする?」
「し、静……っ!?」
これまでと透さんの反応が明らかに変わって、取り乱したように声を上げた。
コレクションってなんだろう……。
「冗談冗談。おにーさん、待っててねっ」
静ちゃんが姿を消すと、
「あの子ったら……」
と、安達さんがため息をこぼす。
「静ちゃん、本当にお姉さん子なんだね」
「もっと落ち着いてくれると嬉しいんだけど……」
「そのうち落ち着くよ。俺も中学時代はよく親から落ち着きがないって言われてたし」
「そうだといいんだけど」
「安達さんは中学時代、どうだった? 落ち着いてた?」
「落ち着いてるっていうより、大人しかったかな?」
「本当に?」
「先生には他の人たちと交流を持つように、ってよく言われてたから」
「意外」
「そう?」
「だって今の安達さん、常に誰かと一緒にいるから」
「それは私がでかくて、目立つからじゃない? ほら、女の子って小さい方が可愛いから。私と一緒にいるとそれだけ、小さく見えるとかそういうことよ」
うーん。それは絶対、違うと思うんだけど。
そこに騒がしい足音が近づいてくる。
「お待たせー! 何の話してたの?」
静ちゃんは大きな段ボールを抱えていた。
「明日の数学のこと。先生が厳しいから嫌だねって」
「あたしも数学苦手ー。ベクトルなんて分からなくたってぜんぜんやっていけるのにぃ。――これね。お姉ちゃんのトロフィー」
段ボールの中には雑然とトロフィーが入れられていた。
「もったいないよね。せっかくのトロフィーなのに、雑に入れちゃって。お母さんがトロフィーを飾ったら、お姉ちゃん、すぐに片付けちゃうし」
「今はやっていない競技のトロフィーなんてどうでも……」
俺はちらっと透さんを見る。
謙遜しているんじゃなくって、本心からそう言っているみたいだった。
「見てみて」
静ちゃんに手招きされて、トロフィーを一つ一つ見る。地区大会だったり、県大会だったり。
「すごい。こんなにトロフィーを取ったんだ」
確かにこれだけの成績を上げられるのなら、高校も剣道をやればいいのにと静ちゃんが悔しがる気持ちも分かる。
透さんは体格にも恵まれてるわけだし。
「お姉ちゃんも久しぶりに見たら? あの時の情熱が蘇るかもよ?」
「興味ないよ」
透さんはぴしゃりと言うと、スマホをいじる。
「ね、おにーさん。お姉ちゃんって剣道をやったら、もっと人気が出ると思わない?」
安達さんが道着姿で剣道をしている姿を想像してみる。
バッチリ絵になる。
「……確かに」
「いえーい! 二対一!」
安達さんが表情を曇らせて、スマホから顔を上げた。
「だから? そもそも剣道は克己心と精神修養の場なんだから、そんな浮ついた気持ちでやるものじゃないんだから。――近藤君も静の口車にのせられないで」
「……ご、ごめん」
思わず謝ってしまう。
「もー、おにーさーんっ」
安達姉妹の板挟みにあい、かなり困った。
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