第7話 安達家で夕食を①
「――腹、減ったぁ」
学校から帰ってきてゴロゴロしてたらいつの間にか寝てしまって、目が覚めたらそろそろ六時。なんて無駄な時間の使い方をしてるんだと自己嫌悪を覚えつつ、のっそりと起き上がる。 冷蔵庫を覗くが、めぼしいものは何もなかった。
「スーパーに買い出しに行くかぁ……」
この季節、外がまだ明るいのがありがたい。
冬なんてあっという間に日が落ちてしまうから、目が覚めて外が真っ暗だった時の時間を無駄にした感じが、夏は軽減される分まだマシ。いい季節だ。初夏なのに蒸し暑いのを除けば、だけど。
腹の虫の騒がしさにうんざりしつつ、制服から私服に着替えて外に出る。
昨日はコンビニ弁当だったから、今日は焼きそばにするか。
俺は歩き慣れた道を進み、商店街のスーパーへ。
まずは野菜。キャベツとにんじん、あとタマネギもついでにいれるか。
そんなことを考えながら野菜に手を伸ばすと、すぐそばから綺麗な手がたまねぎを取ろうとする。あ、と思った時には指先が触れあい、同時に引っ込める。
「す、すいません」「私のほうこそ、ごめんなさい」
同時に謝り、それから聞き覚えのある声だと気付いて顔を上げると、
「安達さん?」「近藤君!?」
安達さんはシャツに、スキニージーンズ、足下はスニーカーというラフな格好で、右腕にカゴを持っていた。
てか、やっぱ透さんって腰の位置が高い。自分のと比べてへこむ。
「近藤君、どうしたの……って、スーパーなんだから、買い物だよね」
「そう。夕飯の買い出し。安達さんは……?」
「ああうん、うちも」
「……もしかして今日、カレー?」
「そう。近藤君のほうは……焼きそば?」
「正解」
学校外で、それも予期せぬ遭遇というのは嬉しい一方、気恥ずかしい。
透さんの私服を見るのって初めてだけど、イメージにぴったりなシンプルさだ。それでもキまってみえるのは、それだけスタイルがいいからだ。
「――お姉ちゃん! お姉ちゃんの好きなプリン見つけたよっ! あ、おにーさんっ!」
静ちゃんが駆け寄ってきた。
静ちゃんは安達さんとは裏腹に、ふんわりしたシルエットのブラウス、ミニスカートというフェミニンな服装。スカートにはフリフリがついていて、男の俺から見ても凝ったデザインだと分かる。足下はサンダルだ。
「静ちゃん、こんにちは」
「こんにちは! おにーさん、何買いに来たの?」
「焼きそばを作ろうと思って……」
「ふふ」
「え、なんかおかしい?」
「おにーさん、寝起きでしょ。寝癖ついてるよ♪」
「! あはは……。そう、実は学校から帰って寝ちゃって。で、腹が空いたから起きたんだ」
「いいこと思いついたっ! お姉ちゃん、おにーさんをうちに招待しようよっ!」
「なに言ってるの、静」
「だって、お礼をぜんぜんできてないしっ」
「いや、さすがにそれは悪いよ」
「でもおにーさんのおうちも共働きで、一人で夕飯なんでしょ。一人で食べるご飯は味気なくない?」
「静、そんな思いつきを言ったら近藤君に迷惑でしょ」
「じゃあ、お姉ちゃん。おにーさんにお礼しなくていいの? 妹を、ナンパから助けてくれた大恩人なんだよ?」
「静ちゃん、無理は……」
「――もし、近藤君さえ良かったら……」
「え? 安達さん?」
「安心して。カレーひとつでお礼を済ませようとは思ってないから。それとは別件で。静もこう言ってるから、もし近藤君さえ良ければ……」
「いや、そういうことは心配してるわけじゃないんだけど」
「おにーさん、お願い。ね? みんなで食べたほうが楽しいからっ!」
「……そこまで言ってくれるなら」
「やった♪」
「じゃあ、材料費は俺が出すから」
「それは駄目。お金なら持ってるし」
「いや、料理を作ってもらうんだから、それくらいさせて欲しいんだ」
「お姉ちゃん。おにーさんがこう言ってくれてるんだから……」
「静は黙ってて」
「もうっ」
「それじゃあ、半分だけ」
「分かった」
ということでそれから一緒に買い物をして会計を済ませ、荷物持ちの係になって、安達さんたちと帰ることに。
それにしても安達さんの家に行くことになるなんて、とんでもないことになったな……。
もちろん嬉しい。浮かれているのを自覚せずにはいられなかった。
安達さんの自宅は俺の家とは正反対。駅を挟んだ西側の住宅地だ。
こっちは俺の住んでいる住宅地よりも新興で、真新しくて小綺麗なマンションが多い。
安達さんと肩を並べて歩く。静ちゃんは鼻歌を歌いながら、少し先を歩いていた。
「近藤君、大丈夫? 重たくない?」
「帰宅部だって、これくらい持てるから」
「ふふ」
おどけると安達さんは口元を綻ばせて笑ってくれる。
学校で見せるようなどこかかしこまったものとは違う自然な笑顔に、つい見とれてしまう。
前を行く静ちゃんがくるっと振り返った。
「お姉ちゃん、私に感謝してよね。私が今日の買い物を忘れたから、こーしておにーさんと会えたんだから」
「忘れないほうがいいに決まってるでしょ。反省しなさい」
「だってー、学校から帰ってちょっと眠ってから行こうと思ったんだもん」
「結局、私が帰ってくるまで寝てたじゃない」
「ぶぅ」
「ぶぅ、じゃないでしょ」
「痛ぁい! デコピンするとかひどーい!」
「そんな強くやってないでしょ。大げさなんだから。ごめんね、近藤君。騒がしい子で」
「いや、にぎやかでいいと思う。俺一人っ子だから、兄弟のいる家が羨ましかったからさ」
「おにーさん、優しいっ♪ あたしのこと、本当の妹みたいに思ってくれちゃっていいからね♪」
「うわ! ちょ、ちょっと静ちゃん!?」
いきなり腕に飛びつかれ、危うくバランスを崩しかけてしまう。
「静、調子にのらないの」
「はぁい」
「――あ、ここがうち」
住宅街に入ってしばらく進んだところで、安達さんたちは立ち止まった。
そこは築年数が浅そうなお洒落マンション。一階の玄関ロビーに貼られた床が大理石なのも高級感がある。
オートロックを解除して中へ。そしてエレベーターに乗り込んだ。
エレベーターの階数表示から、このマンションが十五階建てだと分かる。
安達さんは『10』のボタンを押す。
10階に到着してエレベーターを降りてすぐ、1003号の扉に立つ。表札には、『ADACHI』の表札。
「どうぞ」
「お、お邪魔します……」
かなり緊張しながら家に入る。
玄関で靴を脱ぐと、透さんがスリッパを用意してくれる。
スリッパをはいて、静ちゃんを先頭に奧のリビングへ入る。
室内はベージュなどの暖色系のシックな家具でまとめられ、落ち着いていた。
「材料はどうしたらいい?」
「カウンターに置いて」
「了解」
「おにーさん、立ってないで座ったら?」
静ちゃんが、手持ちぶさたで立ち尽くしている俺に声をかけてくる。
「あー……でも」
「近藤君、遠慮しないで座ってて。飲み物は何がいい? お茶とリンゴジュース、コーヒーもあるけど」
「それじゃあ、お茶を……」
「どうぞ」
「ありがとう」
グラスを手に、ソファーに座る。
「おにーさん、もしかして緊張してる?」
静ちゃんがニヤニヤする。
「! ま、まあ……」
「えへへ、おにーさん、可愛いねっ♪」
「静ちゃん……」
「今、中学生に言われても嬉しくないって思ったでしょ」
「そんなことは……っ」
「図星だ。声が今、裏返ったじゃん。もー。あたしだって来年は高校生なんだからね? ぴっちぴちなんだからっ」
「――静、手伝って」
「はぁい。じゃ、おにーさん、また後でねっ」
「安達さん、俺も何か手伝おっか?」
「平気だから、近藤君はくつろいでいて」
そう言われてもはいそうですか、とはなかなかなれない。
安達さんは慣れた手つきでにんじんやジャガイモの皮を剥いている。
と、飾り棚にはいくつもの写真立てが並ぶ。人の家をじろじろ見るのはとためらったものの、好奇心が勝った。
それは家族写真。旅行の最中に撮られてたり、静ちゃんと安達さんのそれぞれの入学式の写真もあった。
入学式の看板の前に安達さんが立っている。真新しい制服にカバンを持って、安達さんの顔は今より少しあどけないというか、幼さが残っている。
別の写真を見ると、それは小学生くらいだろうか。顔立ちで、透さんだと分かる。
透さんはよそ行きのドレス姿でピアノを弾いていた。場所はホールのような場所。
また別の写真では打って変わって体育館で撮影されたと思しきもの。そこに映っているのも、透さん。小学生くらいか。透さんはユニフォーム姿にバスケットボールを手に持っている。
その表情は笑顔と泣き顔の中間のようにぎこちなかった。
透さん、ピアノをやってたり、ミニバスをしてたり、色々とやってるんだ。
ここまでは透さんが一人で映っている写真が主だったけど、次の写真は二人。透さんと、あともう一人は……静ちゃんじゃない。二人は剣道の防具を身につけ、頭に手ぬぐいを巻いている。
右側に立って安達さんの肩に腕を回してピースサインをしているボブカットの女の子の防具の前垂れには、『冬馬』と書かれている。
右側の少女に肩を抱かれた安達さんは高校の入学式よりも幼い顔立ち。中学生くらいだろうか。
安達さんが剣道の防具を身につけ、どこか硬い表情で映っている。手には『優勝』と書かれた賞状。
冬馬という女の子の手にも同じ賞状があって、そこには『準優勝』。
学校で話していた、中学生までやっていたという剣道のものだろうか。
でも優勝しているはずなのに、この時の安達さんはどうしてこんな表情なのだろう。もっと笑顔でもいいはずなのに……。
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