恋人のフリをしてナンパから助けたら、クラスメートのイケメン女子から色々とお世話されることになった

魚谷

第1話 ナンパと少女

「ありがとうございましたぁ」


 店員のやるきのない声を背中で聞きながらコンビニを出る。

 梅雨が明けたばかりの、七月上旬。

 午後九時を回っても暑さがなかなか引かなくなりはじめた時期。

 少し歩くだけで、肌がうっすらと汗ばんだ。

 アイスの入った袋を揺らしながら、俺は人混みを縫って家路へ急ぐ。


「いいじゃん。ちょっと付き合ってくれればいいから」

「そーそー。カラオケ好きでしょ? お兄さんたちが奢って上げるからさっ」

「……あ、あの……」


 大学生くらいの二人組につきまとわられている女の子が、人混みの間から見えた。

 周りの人たちは関心すら払わず、スマホに目を落としてどんどん過ぎていく。

 女の子は栗色の髪に、ノースリーブのワンピース姿で、手には大きな紙袋を持っている。

 ナンパされるのも頷けるくらい目鼻立ちが整っていて可愛い。だからこそ、その表情が困惑と恐怖で曇っているのは、見ていて痛々しかった。

 助けてあげるべきなんだろうけど……。

 二人組はガラがいいとは言えない。夏がやってくると同時に姿を見せる、厄介な連中。

 ごめん……。

 心の中で謝り、少しの罪悪感を抱きながらその場から立ち去ろうとしたその時、女の子と目が合った。


「陽一! 助けてっ!」

「へ……?」


 陽一? 誰?

 軽い衝撃と一緒に、女の子が抱きついてくる。腕の中で柔らかさを感じた。


「こいつら、ほんっっとしつこくって困ってるのっ! おまけに煙草臭いしっ!」

「なんだよ、彼氏か?」

「悪ぃけど、男に用はねえんだわっ」


 明らかに弱そうな俺に、男たちがドスの利いた声で迫ってくる。

 思わず周りを見るけど、当然、誰も助けてはくれない。


「陽一は、格闘技やってるんだから! あんたらみたいなおっさん、すぐボコボコにするんだからっ!」


 な、何を言ってるんだよ、この子は!?


「へえ、おもしれえ」

「やってもらおうか。彼氏クン」


 この子、とんでもないな!

 関係ないと言っても、信用してもらえない空気だ。仕方ない。

 俺は女の子の手を取ると、走り出す。


「おい、待て!」

「逃げんなっ!」

「ちょ、ちょっと、なんで逃げるの!?」


 逃げるに決まってるだろ……!


「すいません、どいてっ! どいてくださああああああいっ!」


 俺は絶叫し、わざと人口密度の高い場所を突っ切る。

 誰かの足を踏み、肩をぶつけ、周りから散々文句を言われるが構わず走り、路地に飛び込んだ。

 さらにその路地を突っ切って大通りを横断して、住宅街へ。

 もう走れないと俺は近くにあった公園のベンチに座り込んだ。

 噴き出した汗が気持ち悪い。


「ぜえ……ぜえ……っ」

 こんな全速力で走ることなんて、体育の時間だってない。

 心臓がバクバクとうるさかった。

「……お兄さん、平気……?」


 女の子が俺の隣に座ると、顔を覗き込んでくる。女の子もまた頬を上気させ、息を切らしていた。


「平気……。それより、あいつらは?」

「大丈夫そう……」


 女の子は立ち上がると、敷地内に置かれた自販機で飲み物を購入して戻って来る。


「これ、どうぞ」


 差し出されたのは、五〇〇ミリのスポーツドリンク。

 女の子のほうは炭酸。


「あ、ありがとう」


 俺はスポーツドリンクをぐびぐびと飲んだ。

 はぁ……。生き返る……。

 女の子はちびちびジュースを飲みながらスマホを弄ると、少ししてから顔を上げた。


「助けてくれて、ありがとうございます」


 ぺこっと頭を下げる。


「ところで陽一って誰? 彼氏と待ち合わせでもしてたの?」

「あはは。必死だったので適当に言っちゃいました」

「……そっか。で、この後だけど一人で帰れる?」

「あ、お姉ちゃんに連絡したんで」

「じゃあ、お姉さんが来るまで一緒にいるよ」

「本当ですか? ありがとうございます……」

「ここまできたら、ね」


 こうして近くで見ると、整った顔立ちがにはかなり幼さが残っていることに気付かされる。

 確実に高二の俺より年下だ。中学生かもしれない。

 さすがに一人で取り残すのは気が引けた。


「気を付けたほうがいいよ。暑くなったら、ああいう馬鹿な奴らが増えてくるし。こんな時刻に女の子一人で出歩くのはさすがに危ないから」


 説教臭いこと言ってるなと思いつつ、口にする。


「一人……じゃなかったんですけど……えっと、結果的に一人になっちゃったっていうか……」


 女の子は言葉を濁す。


「?」

「――静っ!」


 その時、凛とした声が住宅街の静まりかえった空気を震わせた。


「お姉ちゃん!」


 静かと呼ばれた女の子はぱっと笑顔になると立ち上がり、手を挙げた。

 公園に飛び込んできたのは、かなり背が高く、ほっそりとしたシルエットの女性。


「馬鹿っ。何やってるのよっ」


 公園のとぼしい外灯が、女性の姿を照らし出す。

 うわ、めっちゃ美人。モデルか?

 色素の薄い髪を肩口あたりまで伸ばした女性は切れ長の榛色の瞳、通った鼻筋、薄い唇で色白。ブラウスにロングスカートという格好。

 でも何より目を引くのはやっぱりそのスタイル。

 ぱっと見で、一七五センチの俺より少し低いくらいのすらっとした身長に、高い位置にある腰。

 中性的な容姿は、美人と言うより美形と言ったほうがいい。

 正直、今のフリフリで飾られたブラウスにロングスカートよりも、シャツにジーパンというシンプルな格好のほうが似合いそう。

 静と呼ばれた女の子は女性の胸に飛び込み、女性が優しく抱きしめる。そして膝を折り、静がケガをしていないかを調べている。

 と、静がこちらを振り返って、説明している。

 女性が静の手を引いて近づいてくる。

 俺は立ち上がった。


「妹を助けてくれてありがとうございます……って、近藤君?」


 女性のハスキーな声がかすかに上擦る。

 あれ、この声、どこかで……。

 知り合い? いや、こんな綺麗な人と出会ったら覚えてるはず……。


「って、安達さん!?」


 女性――安達さんは小さく頷く。

 安達透あだちとおる

 俺の通う、私立尾島高校の二年三組の同級生だ。


「安達さん、妹がいたんだ。でもその髪……」

「……これ、ウィッグ、なの」

「そ、そうなんだ」


 普段の、というか、ウィッグのない安達さんの髪はいつもショートだ。


「二人とも知り合いなの?」


 姉と俺の間にいた静ちゃんが不思議そうに見て来る。


「うん。クラスメート、だから」

「そうなんだ! ね、お姉ちゃん、可愛いでしょ?」

「こら、静っ」


 安達さんが慌てる。


「うん。そうだね。似合ってるよ」

「えへへ。あたしが見立ててあげたんだぁ」

「――で、人の服を持ち逃げして、挙げ句、ちんぴら連中に絡まれて、他人に迷惑かけるとか、バチが当たったんだよ。反省しなさい」


 静は不服そうな表情ながら、「ごめぇん」と謝る。


「近藤君は平気? そいつらに何もされなかった?」

「平気」

「良かった」

「それじゃあ、俺行くから」

「近藤君、ありがとう」


 俺はアイスの入った袋を取る。


「げ」

「? どうかした?」


 袋から取り出したコーンタイプのアイスは夏の陽気ですっかり溶けていた。


「弁償するから。それ、いくら?」

「いいよ。それより、早く帰ったほうがいいよ。また、変な連中に絡まれるかもしれない」

「でも……」

「本当に大丈夫だから。また明日学校で」

「う、うん。また明日」

「おにーさん! またねっ!」


 やや表情を引き攣らせている安達さんとは打って変わって、静ちゃんは屈託ない笑顔で手を大きく振った。

 俺も手を上げて、それに応えた。

 しばらく遠ざかっていく二人の背中を見送ってから、踵を返して家路へ急いだ。

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