第4話 安達姉妹①

 学校帰り。昨日、安達さんたちと別れた公園を通りがかった時だ。


「おにーさんっ」


 そう不意に声をかけられてそちらを向くと、白さが眩しい半袖のセーラー服姿の静ちゃんがいた。

 制服はこのあたりでは進学校として有名な私立の中高一貫の清桜女学館(略して、清学)のもの。


「え、どうして……」


 静ちゃんは座っていたベンチから立ち上がると、こちらに駆け寄ってくる。

 制服姿の静ちゃんは昨夜の年相応な印象とは少し違って、大人びて見えた。


「おにーさんが帰ってくるのを待ってたの。ここに来れば会えるかなって」

「えっと……それで、どうしたの?」

「昨日の助けてくれたお礼をしたくって……」

「姉妹そろって律儀なんだな」


 微笑ましくって、思わず笑ってしまう。


「そろって?」


 学校であったことを伝えると、静ちゃんは「お姉ちゃんらしい」と口元を緩めた。


「安達さんにも言ったけど、気にしなくていいから。静ちゃんを連れて逃げただけだし」

「でもおにーさん、カッコ良かったよ? だって、あのぼんくらたちに捕まらないようにわざと人の密度が高い場所を選んで走ってたでしょ?」


 ぼ、ぼんくら……。確かにそうかもしれないけど、静ちゃんって可愛い顔して結構、言うんだな。


「まあね。あの状況だと、そうでもしないと逃げ切れそうにないと思ったから」


 捕まったら確実に、俺がぼこぼこにされていただろうし。


「だからお礼させて? 昨日のアイスのこともあるし」

「ああ……。でも120円くらいだし、別に気にする必要ないよ――って、静ちゃん!?」


 不意に、静ちゃんが俺の右腕にしがみついてくる。

 柔らかな感触が肘のあたりに触れた。


「じゃあ、お礼とか関係なく、あたしに付き合ってよっ」

「ちょ……静ちゃん……!?」

「最近、甘いものが美味しいお店見つけたからっ。ねっ?」

「わ、分かったから引っ張らないでくれ……!」


 俺はつんのめりながら声をあげた。



 俺たちが入ったのは、商店街の中にある甘味処――ふじみ屋。

 店先には『かき氷はじめました』ののぼりや、ソフトクリームの置物があった。


「おにーさん、ここ美味しいんだよ。――あ、学校帰りに買い食い駄目とか先生みたいなことは言わないでよ?」


 俺は苦笑いしながら、「言わないよ」と否定する。


「静ちゃんは洋風のデザートが好きだと思ってたから」

「あたしも。でも試しに友だちと一緒に入ったら、ここのソフトクリーム白玉あんみつがちょー美味しくてっ! すっかりファンになっちゃったんだ。もちろんかき氷も美味しいけどね?」

「かき氷は何が好きなの?」

「練乳いちご! おにーさんは?」

「俺は宇治抹茶」

「おー。おにーさん、渋いチョイス!」


 静ちゃんは朗らかに笑った。

 店内に入ると、主婦や女子高生で賑わっている。

 店員さんにテーブル席へ案内してもらう。静ちゃんにソファー席を譲り、俺は椅子に座った。


「何にするの? 宇治抹茶?」

「静ちゃんおすすめのソフトクリーム白玉あんみつにするよ」

「絶対損はさせないからっ♪」


 注文してすぐに運ばれてくる。

 あんみつはほとんど食べたことがないけど、確かに美味しそうだ。ソフトクリームがたっぷり乗ってるし、果物もたくさんあって、ばえそうな見た目。


「待って!」


 スプーンでソフトクリームをすくおうとすると、静ちゃんから声がかかった。


「何?」

「もー。まずは写真でしょ?」

「え。そうなの?」

「とーぜんじゃんっ」


 静ちゃんは色んな角度からあんみつをスマホで撮影すると、「食べていーよ」とお許しをくれる。


「どう、おにーさんっ」

「美味しい」

「でしょ! あんことアイスを絡めて食べて。最高だから♪」


 しばらくあんみつに舌鼓を打っていると、


「ね、学校でのお姉ちゃんってどう?」


 静ちゃんが聞いてきた。


「学校? すごい人気だよ。特に女子に」

「あぁ、高校でもそうなんだ」

「高校でも?」

「中学の時もお姉ちゃん、すごかったもん。特にバレンタインデーとか、こーんなたっくさんのチョコを持って返ってきて。それで、チョコをもらった人たちのためにトリュフチョコを焼いてホワイトデーにお礼をしてさ」

「マジ?」

「まじ! 今年のバレンタインデーもやってたんだよ? 家の中にチョコの甘い香りが染みついちゃって」

「すごいな。それは人気があるのも頷ける……っていうか、安達さんってお菓子を作ったりするんだ」

「お姉ちゃん、昔から料理が得意だから。トリュフチョコだけじゃなくって、クッキーとかもね。それに、あたしの誕生日には毎年ケーキも焼いてくれるし♪」


 エプロンをしながら鼻歌まじりに甘い物を作っている安達さんを想像しようとするけど、ぜんぜんうまくいかない。


「ホワイトデーの話に戻すけど、チョコを包む袋やリボンまで百均で選んで、業者か!ってくらい買い込んで。学年事に色まで変えて……」

「マメってレベルを超えてるな……」

「でしょ? そんな風に優しくするから、勘違いする子がいて、ラブレターを渡してくれって、あたしにまで言ってきたりするんだから困っちゃう」

「あー、それは……」

「だけじゃなくって! 変態までいるんだから!」

「変質者に襲われたってこと!?」

「だったらまだいいよぉ!」

「いいの!?」

「だって、それくらい振り切った変態だったらすぐに警察を呼べるじゃん! じゃなくって! うちのクラスの子がお姉ちゃんを待ち伏せしてて、何をお願いしたと思う!?」

「な、なに?」

「“お姉さん、壁ドンして下さい"って言ったの。変態でしょ!?」

「それは、たしかに変態、かも……」

「ね? なまじ、うちの学校の文化祭で顔見知りだっただけに、もー恥ずかしくて! お姉ちゃんもお姉ちゃんで怒ればいいものを、しちゃうんだもん!」

「しちゃうんだ!?」

「うん……。後でなんでやってあげたのって怒ったら、知らない子じゃないしって……。お姉ちゃんも結局変態なの! ルイトモってやつ!」

「……身内としては大変かもね……」

「でしょ? 友だちにはお姉ちゃんと比べて気が利かないよね、とか言われちゃうんだよ!? できる姉を持つとすっごい大変なんだから!」

「それは……確かに」

「お姉ちゃんって天然のタラシなんだよ」


 タラシなんて中学生がとても使わない言葉を静ちゃんから聞くと、面白くって笑ってしまう。


「もー。笑い事じゃないんだから。お姉ちゃん優しすぎって注意しても全然やめないし。あくまでチョコのお礼なんだって……。だったら、その優しさの何十分の一でもいいから、あたしにも見せてくれたらいいのに!」

「静ちゃん相手だとやっぱり違うの?」

「ぜんぜん違うっ。口を開けば、宿題やったか、お風呂そろそろ入れとか、ご飯をさっさと食べろって、常にお説教モードなんだもん」

「……まるで母親みたいだな」

「お母さんより、口うるさいよ。うち、共働きだからお父さんもお母さんもほとんど家にいないから余計そう思う」

「そうなんだ。うちも共働き。だから想像ができるけど、親御さんが働いているからこそ、安達さんはお姉さんとして、しっかりしなきゃって思うんじゃない?」

「そーなんだろうけどさ。それにしたって、あたしの同級生にもすっごく優しく笑いかけるくせに、あたしには眉間にしわをつくるんだよ? よくあんな素敵なお姉さんがいて羨ましいとか言われるけど、みんな、本当のお姉ちゃんを知らないから呑気なもん」


 ぶつぶつと姉への不満を漏らしつつ、静ちゃんは豪快にあんみつを食べ進める。


「……まあでもお姉ちゃんにも可愛いところあるんだけどね」

「安達さんの可愛いところ?」


 思わず好奇心をくすぐられるようなワードに、思わず前のめりになってしまう。

 そんな俺を、静ちゃんがチラ見。いたずらっぽく微笑んだ。


「……おにーさん。知りたい?」

「知りたいっ」


 だってあのイケメンな安達さんの可愛いところだぞ。

 家族だからこそ知っている表情とか、興味をそそられないわけがない。


「どーしよっかな」


 そんな俺の下世話な野次馬根性を見透かして、静ちゃんはもったいぶる。

 その時、電子音が聞こえた。


「あ、待って」


 静ちゃんはスマホをポケットから取り出すなり、


「うわ、ヤバ……」


 そう呟く。


「どうかした?」

「お姉ちゃんから通話……」

「出たら?」


 静ちゃんは目を反らして、テーブルの隅っこにスマホを置いた。


「……出ないの?」

「うーん……」


 画面をじっと見たままでいるうちに音がやむ。しかしすぐに、再び安達さんからの通話を知らせるポップアップが表示される。


「出ないの?」

「……出た方がいい」


 でも静ちゃんはなかなか動こうとしない。そうこうしているうちに再び切れる。


『何してるの? 出て』


 次はメッセージが表示される。

 そして再び通話を知らせるポップアップ。

 静ちゃんと安達さんがどんな姉妹関係なのかは分からない俺でも、さすがに不味い状況なのは理解できる。


「おにーさん」

「な、何?」

「いざという時は守ってね♪」

「へっ?」

「お姉ちゃんっ」


 静ちゃんは俺に一方的にまくしたてると、通話に出た。わざわざスピーカーにして。


『静、なんで電話に出ないの?』


 ……声からして、怒ってるみたいだ。まあそうか。


「ごめん。ちょっと気付かなくって……。あははー」

『そう。分かった。それで。今どこにいるの?』

「今? えーっと……どこだろう。道に迷っちゃって……」

『ビデオ通話なんだからそんな下手な嘘はいいから。……お店?』

「うん。この間、話したでしょ。美味しい甘味処屋さんを見つけたって。そこっ」


 安達さんが小さくため息をつく。


『今日、夕飯の買い物当番でしょ。忘れた?』

「あー……」

『そんなことだと思った』

「お姉ちゃん、代わりに行ってよ」

『だめ』

「えー、けちぃ」

『ケチでいいよ。だいたい私に代わりにやらせるのはこれで何回目? それじゃあ、何の為に役割分担を決めたのか分からないじゃない。それとも、静が今日の夕飯を作ってくれるの? 明日のお弁当も?』

「ぶぅ」


 静ちゃんは甘えるように唇を尖らせ、不意に俺のことをチラ見した。


「?」

「――さて、ここで問題でーすっ」


 いじけていた声から、静ちゃんはいきなりテンションを上げた。


『……なに?』


 安達さんが怪訝な声を出す。


「今、あたしは誰といるでしょーかっ」

「っ!?」


 いきなりのことに、俺はあんみつを吹き出しかけた。


『友だちと遊んでるんでは』

「じゃなくて、誰と一緒にいるか当ててよ。具体的な名前」


 またも安達さんは小さく息を吐き出す。


『山本……梓さん?』

「ぶぶー」

『じゃあ、この間、家につれて来た子? 一緒に勉強するって……』


 怒りながらも静ちゃんの質問にはちゃんと答える辺り、安達さんはなんだかんだ律儀だな。


真美まみのこと? ぶぶー」

『分からない。降参』

「ヒントはねー、お姉ちゃんもよーく知ってる人」

『私がよく知ってる……?』

「よく、じゃないかも」

『どういうこと?』

「ヒントその2! その人はね、お姉ちゃんのことをすっごく知りたがってるんだ!』

「げほげほっ!!」


 ついにこらえられず、咽せてしまう。

 静ちゃん、なんて誤解の生まれやすいことを言うんだ!


『待って。今の声……男の子と一緒なの?』

「正解はこの人でしたっ! じゃーんっ!」

「っ!」


 いきなりスマホの画面を突き出される。


『こ、近藤君!?』

「……あはは、安達さん」

『どうして近藤くんが? 静と……?』

「実は――」


 店まで来た経緯を話すと、安達さんは三回目にしてかなり深いため息をこぼした。


『強引な妹でごめん』

「いや、別に大丈夫」

『――静。店の場所を教えて。すぐ行くから』


 静ちゃんが店の場所を伝えて十分ほどで息を切らした安達さんが店に入ってくる。


「お姉ちゃん、早かったね」


 安達さんの登場に、店内が軽くざわつき、女子高生たちがスマホで写真を撮りだす。

 俺は立ち上がり、盗撮はさせまいと安達さんとかぶるような位置取りをして、撮影をそれとなく妨害した。


「安達さん、とりあえずそっちに座って」

「え? あ、うん……」

「お姉ちゃん、何にする? あたしのおすすめは、このソフトクリーム白玉あんみつ。おにーさんも同じだよ?」


 安達さんはくずきりを注文する。


「えー。ソフトクリーム白玉あんみつが、おすすめなのにぃ」

「静。このあと夕飯だって忘れてない? それを食べるのは自由だけど、夕飯を残すのは駄目だから」

「子ども扱いしないでよ」

「子どもでしょ」

「もう中三だし」

「まだ、中三。十分、子ども。それで静、どうして近藤君と一緒にいるの」

「会いに行ったんじゃなくって、会えるかなって思って待ち伏せしてたの……」

「どっちも同じでしょ。どうして待ち伏せなんか……」

「助けてもらった俺がしたかったの」

「お礼なら、私がするって言ったはずよ。静だって納得したでしょ」

「納得したんじゃなくって、お姉ちゃんがあたしの意見を無視したんじゃん。あたしだっておにーさんにお礼したかったんだから。だからこうして昨日、駄目にしちゃったアイスの代わりにおにーさんをお店に誘ったの♪」

「……近藤君、ごめんなさい。迷惑でしょ? 静。思い立ったら行動せずにはいられない性格だから」

「もしもーし。そーいうことは本人がいないところでするべき話だと思いまーすっ!」

「今、私と近藤君が話してるんだから、静は黙ってて」


 俺は二人のやりとりに苦笑する。


「安達さん、俺なら平気。普段来ないような店を知れて良かったし」

「ほら、おにーさんもこう言ってるんだしっ」

「静」

「はーい」


 静ちゃんはいじけたようにスマホをいじる。

 少ししてからくずきりが運ばれた。

 黒蜜をかけたり、箸でくずきりを食べる何気ない仕草まで洗練されている。

 そして安達さんは食べ終えると、伝票を手にレジへ。


「待って、安達さんっ」

「? 何?」

「俺の分は自分で払うから」

「えー。違うよ。あたしが奢るって約束じゃんっ」

「それは静ちゃんが一方的に言ってたことだろ。それに中学生に奢らせるわけにはいかないから」

「安心して。これで昨日のことのお礼を済ませようとは思ってないから。これは今日、妹が迷惑かけたことへの姉としてのケジメ」

「いや、そういう意味で言った訳じゃ……」

「とにかく払わせて。これは姉としてのケジメだから」


 その説得力というか気迫に「分かった」と頷いてしまう。

 結局、安達さんに払わせる結果になってしまった……。



 店の外に出ると、空が茜色に染まっていた。

 だいぶ長く過ごしていたらしい。


「おにーさん、楽しかったね!」

「う、うん」

「静、さっきから言おうと思ってたんだけど、近藤君は年上よ。タメ口で話すのはやめなさい」

「俺なら別に……」

「近藤君、これは礼儀の問題だから」

「…………はい」

「おにーさん、今日は楽しかったですっ。――これでいい?」


 安達さんは小さく頷いた。


「そうだ。近藤君、LINEやってる?」

「やってるけど」

「じゅあ、連絡先を交換しない?」

「え」

「また、うちの妹につきまとわられたらすぐに連絡して。すぐ捕獲しに行くから」

「お姉ちゃん、あたし動物じゃないんだけど!?」

「本能の赴くがまま動いてるんだから、動物と一緒でしょ」


 安達さんはにべもない。


「つきまとうって大袈裟だと思うけど、分かった」

「おにーさんもひどいっ!……ですよ」

「あはは。ごめん」


 内心どぎまぎしながら、安達さんと連絡先を交換する。


「はいはーい! おにーさん、あたしとも交換してよ!……ください!」

「静はしなくてもいいでしょ」

「お姉ちゃんばっかりズルいっ! あたしだっておにーさんとラインしたいっ!」

「あのね、これは緊急時の連絡先の交換なんだから」

「いや、俺は大丈夫だよ」

「おにーさんはいいって言ってるよ?」

「……近藤君がいいなら」

「やった!」


 というわけで静ちゃんともラインを交換する。


「今日は妹が迷惑をかけて、本当にごめんね」

「ぜんぜん迷惑じゃないよ」


 本心からそう言うと、安達さんは安心したみたいに目を細めた。


「なんだかんだ楽しかったから」

「あたしも楽しかったでーすっ♪」

「こら、静。調子にのらないの。それじゃ、近藤君。また明日」

「また明日」

「おにーさん、じゃーねーっ!」

「ばいばい」


 静ちゃんに手を振り返しながら、二人を見送る。

 人混みの中、はぐれないよう安達さんは静ちゃんの肩を抱き、静ちゃんはなんだかんだ甘えるように身を寄せる。

 本当に仲がいいんだな。俺は微笑ましい気持ちで、歩き出した。

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