第43話 夏休み
八月――。
外はアスファルトから陽炎がたちのぼるような、うんざりするような陽気が続いている。
俺はそんな様子をエアコンをガンガン利かせた部屋から眺めている。
潤んだような青空、そして背の高いマンションの向こうから湧きあがる、立体的な入道雲。今日も今日とて、晴天だ。これじゃあ、飲み物買いにコンビニに、という気分にもならない。
「はぁぁぁぁ~……」
こぼれでるのは、深いため息。
しかしそれは暑さのせいじゃない。
「……消えたい」
その時、スマホが通話を知らせる。画面をちらっと見る。
和馬だ。
「…………」
無視していると、音が止む。
しかしすぐにまた着信。
「うるせー……和馬、放っておいてくれぇー……」
今はそれどころじゃない。せっかくの夏休みなのに、俺の心は絶望に閉ざされているんだ。
再びやんだ。
さすがにもう諦めただろう――そう思った次の瞬間、ピンポーンとチャイムが鳴った。
「おい、隆一、いるんだろー! 開けろーっ!」
ピンポン、ピンポン、ピンポーン。
「わあああああああああ! うっせええええええーっ!」
「やっぱいるんじゃねーか。通話を無視すんな。アイス買ってきたから、食おうぜ!」
「……ったく」
面倒だなと思いつつ立ち上がり、玄関に向かって扉を開ける。
「よっ」
ティーシャツに短パン姿の和馬が立っていた。
「……何しにきたんだよ」
「つれねえーな。遊びに来たんだよ。ほれ、アイス。お前の好きなチョコミント買ってきてやったから」
和馬はコンビニの袋を揺らす。
俺は無言で
「せっかく期末試験を赤点取らずに乗り越えたってのに、なんでそんな辛気くさい顔してんだよ」
コンビニ袋をテーブルにでんと置く。
「ほら、溶ける前に食えよ」
俺はカップに入ったチョコミントのアイスを取り、強度弱弱な木のサジですくって口に運ぶ。
和馬はラムネ味のアイスバー。
気分がどれだけ沈んでいてもアイスはうまい。
「んで、どうなんだよ」
「……やっぱ、チョコミントうめーっ」
「そんなこと聞いてねえよ。安達のことだよ」
「知ってる」
「なんだ、フられたのか。切ない片思いだったな」
「ふ、フられてねえよ!」
「なんだ。じゃあ、どうしてそんな辛気くさい顔をしてんだよ。夏休みだぞ。お前、たしか夏休み中に安達との距離を縮めるとか言ったろ。あれ、どうなったんだよ」
「ど、どうなったって……」
俺は目を反らす。
「意気地なしめ」
「うぐ」
「はぁ。なんで動かないんだよ。正直、安達とお前、悪い雰囲気じゃないんだし、やりようなんていくらでもあるだろうが。動かなきゃ一生童貞だぞ」
「俺だって、動いたさ!」
「なんだよ。で、結果は?」
俺は力なく首を横に振った。
「何があった?」
「夏休みが始まって一週間くらいに透さんにメッセージ送ったんだ」
それは水族館へのお誘いだ。名目は期末試験の勉強のお礼。
たまたま親から割り引きチケットもらったんだけど(嘘)、一緒に行かない?――と。多分、これまで生きてきた中で一番勇気を出したと思う。
「結果は?」
「ごめん、って。急用があるって言われて」
「なんだよ。だったらお互いに暇な時を探せよ。まさか食い下がらず、ごめんって言われて尻尾を巻いたのか?」
「そんなことないって! 俺だって結構、がんばったんだ。空いてる日はあるんじゃないかって確認してみたんだけど……」
「全滅? なんだよ、急用って」
「し、知らない」
「聞くだろ。フツー」
「き、聞けないだろ。根掘り葉掘りとか、家の事情とか……。なんとなくだけど透さん、言いにくそうだったし」
――本当にごめん。
通話に出てくれた透さんが、本当に申し訳なさそうだった。あんな声のトーンで謝られたら、「大丈夫! 問題なし!」って言うしかないって。それでも食い下がって自分の都合を押しつけるような無神経な人間にはさすがになれない。
「彼氏でもできたのかね」
「ぐは!」
考えたくもなかった可能性を、和馬は軽く言ってくれる。
「それか……お前が変なことをしたのか」
和馬がちらりと俺を見る。俺は反射的に目を反らす。
「お前、何か思い当たる節があるんじゃねーの?」
「っ!? な、ない……」
「ない? 本当か?」
「……なくは、ない、と思う……いたい……」
「思う、いたい、ねえ。話せ」
まるで取り調べだ。それでもずっと胸に降り積もっていた淀みみたいなものを吐き出すには、絶好の機会かもしれない。
思い当たるのは1つしかない。
それはあの期末試験の勉強会をうちでやった時のこと。
静ちゃんに怒られたあの日のこと。
――え、じゃないよ! もう、信じられないよぉ! きっとお姉ちゃん、怒ってる! ぜーったい怒ってる!
そのことを和馬に話して聞かせる。
親友から返ってきたのは、重たいため息。
「お前さぁ……本当に彼女欲しいって思ってるのか?」
「お、思ってるさ」
「マジかよ。だんだん疑わしくなってきたんだが?」
「なんで……」
「安達の妹の静ちゃん?その子は正しい。お前、どんだけヘタレなんだよ」
「でもあの日はあくまで試験勉強ってことで集まったわけで……!」
「じゃあ、どんな用事で家に来たら、お前は告白するできるんだ?」
「それは」
そこを指摘されると、言葉に詰まるしかない。
「お洒落に時間かけてやってきた女がだぜ? 図書館やファミレスならいざ知らず、ただのクラスメートの家にほいほい来ると、お前、本気で思ってるのか? そこらへんにいる、警戒心ゼロ、頭お花畑の空っぽな女じゃないぞ。安達透だぜ?」
「…………それは」
「意気地なしめ」
「うぐぅぅぅぅ……」
力尽きた俺はテーブルに思いっきり突っ伏す。
「こりゃ、あれだな。急用ってのはもう終わりってことだな。さすがの安達もお前の奥手ぶりに愛想が尽きたってことだ」
「慈悲を……」
「希望をやりたいところだけどなぁ。そんな絶交の告白チャンスをフイにしといて、今さらだろ。一緒に買い物にまで出たんだろ。手くらいつなげよ」
「はぁ!? て、手とかつなぐわけねえだろ……!」
「いや、変な顔されたら、冗談めかして誤魔化してさぁ」
「そんな高等テク、知らなかった……。そんなもんがあるんだったら事前に教えといてくれ」
「お前にそんなこと教えたら、絶対タイミングミスってただの変態と思われて警察を呼ばれるだけだから教えなかったんだよ」
「じゃあ、言うな!」
「……参ったな。まさかすでに墓穴掘って埋葬寸前だったなんてな」
「なんでお前が参るんだよ」
「俺としても親友として、お前のサポートしてやりたいって思ってるんだぜ。だからいい話を持って来たんだ」
「何だよ」
「いや、もう無理だ。手遅れ」
「いいから、教えてくれ。何か妙案があるのか!?」
「親戚が民宿やってんだけどさ、この時期は毎年、海の家をやってて、バイトがてら手伝ってるんだよ。んで、今年もその予定なんだけど、人出が足りないから友だちもつれて来てれ、バイト代弾むからって言われたんだ。で、お前を誘おうと思って。去年はお前、今頃は補習だったろ? ――で、ここからが本題なんだけど、そのバイトに安達を呼べばと思ってたんだ。バイトは三泊四日だし、どっかのタイミングで2人きりになれるだろう。そこで一気に距離を詰められるんじゃないかってな」
和馬が挙げた地名は、このあたりの学生が夏には絶対一度は海水浴に行くだろうスポット。
「……マジか」
「でもまさか手遅れだったとは予想外だ。ま、気を落とすな……って言っても無理か。こうなったら一緒にバイトして、ナンパして、新しい恋を探そうぜ。で、お前は安達を忘れるくらいの恋愛をすりゃあいいんだ。来るだろ?」
「行く」
「そうこないとなっ」
「でも」
「ん?」
「……透さんを誘ってみるっ」
「マジか」
「どう思う?」
「やばいな」
「ぐぅ……。で、でも誘ってみる」
せっかく、透さんのおかげで補習のない夏休みを迎えられたんだ。
たしかにあんなタイミングで行動できなかった俺に非がある。だけど、ここで諦めたくない。仲直りをするチャンスが欲しい。
きっとこのまま新学期を迎えたら、気まずくなって何も出来なくなりそうだったから。
「おう、その意気だっ。んじゃ、俺は帰る」
「は? もう帰るのか?」
「俺だって用事があるんだよ。バイトのことを伝えるのが目的だったし。詳しいことはまた後で連絡する」
和馬を見送ると、俺はリビングにとって返す。
ああは言ってはみたものの。実際のところ、いざ連絡しようと思うとなかなか踏ん切りがつかなかった。
メッセージを送るべきか、それとも通話で――。
一応、メッセージで、『今、通話大丈夫?』と送ってみると、透さんのほうから通話がかかってきた。
「っ!?」
自分で送ったくせに、いざかかってくると慌てながら通話に出る。
「は、はいっ!」
『隆一君? どうかした?』
「あ、えっと、今大丈夫?」
いや、大丈夫だから通話をしてきてくれたんだろ、察しろ――そんなセルフツッコミを心の中でする。
『今、課題してたから』
「そっか。夏休みの宿題か」
『色々と立て込んでたから、時間がある時に一気に進めようと思って。隆一君は宿題は平気?』
「大丈夫。俺、終盤にまとめてやる派だから」
小さく笑い声が聞こえた。
『それ、ぜんぜん大丈夫じゃなさそうだけどね』
久しぶりに聞く透さんの笑い声に、思わず頬が緩んだ。
ああ、やっぱり俺は透さんのことが好きなんだ。諦められるはずもない。
『あ、ごめん。余計なこと言っちゃって。それでどうしたの?』
「実はさっきまで和馬が来てたんだけど」
『うん、それで?』
俺はバイトのことを話す。
「誰か心当たりはないかって言われて。バイト代も出るみたいだし、もし良ければ透さんもどうかなって」
『三泊四日……』
急用があればしょうがないんだけど。俺は喉元まで出かかった言葉を飲み込む。ダメだ。ここは意地でも食らいつかなくては。
「バイト代も入るし、海にだって入れるだろうし、楽しいと思うんだ」
『……楽しそう。でも……』
やっぱり急用があるのか。
透さんは何か迷っているみたいだった。何か言うと、「ごめんね」という言葉が返ってきそうで、俺は待つことしかできない。鼓動が早くなり、緊張と不安で手汗をかく。
「お、俺は」
「え?」
「俺は透さんが来てくれたらすごく嬉しい……」
小さく透さんが吐息をこぼす。
『……行く』
「マジで?!」
『うん。それに、隆一君からのお誘いを一度断っちゃってるし』
「あ、あれはいいんだよ。水族館なんていつでも行けるわけだし! それに急用じゃしょうがないんだから!」
やばい嬉しすぎる。不安は一気に喜びに変わっている。もう本当に声を上げながら近所を走り回りたいくらい嬉しい。
『……うん。あ、それで新宮君に聞いてみて欲しいんだけど』
「何?」
『静も行っていいかなって。三泊四日の間、静を一人にさせられないから』
「分かった。だよね。海だし、静ちゃんもきっと喜んでくれるよ!」
『お願い』
「じゃあ、すぐに聞いてみる。それじゃ切るね。勉強の最中に邪魔しちゃってごめん」
切り際、「待って」と透さん。
『連絡してきてくれてありがとう』
いいんだ、と軽く挨拶を交わして通話を終えた。
ふぅぅぅ……と俺は深く息を吸い込み、
「はあぁぁぁぁ……連絡してみて、良かったぁぁぁぁぁ……!」
俺は心の底からそう言えた。
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