第50話 バイト2日目

 二日目も海の家は開店するなり、お客さんで賑わった大盛況だ。

 昨日と違うのは、女性客が目に見えて増えたこと。

 女性客の目当ては、もちろん透さん。

 透さん以外が接客しようとするとちょっと残念そうな顔になるし、お客さんによっては透さんが空くまで待ってますと言ったり。

 さすがにそれをそのまんま認めると店が回らないから、半ば無理矢理、俺たちが注文を取ることになるんだけど。


「あの、一緒に写真撮ってください!」

「ごめんなさい。私、ただの一般人だから」

「それでもいいんで! お願いします!」

「…………じゃ、じゃあ、一枚だけなら」


 透さんも透さんで、人からのお願いを無下にできない性格だから、それが余計に人気を呼ぶみたいだ。


「おにーさん! 仕事終わったら、あたしらと遊ぼうよ!」

「お、おにーさん? 私……?」

「そうそう! どう?」

「あ、あの……私、女ですけど……」

「マジで!? 嘘! イケメンすぎない!?」

「ありがとうございます。でも女なのですみません」


 透さんも開店から同じことを何度も説明しすぎたせいか、かわしかたも手慣れたもの。

 というわけで、透さん効果もあって、二日目もかなり忙しかった。

 2時の食事休憩になると、俺たちは隼平さんに挨拶をして店を出る。

 休憩は1時間だから、だらだらしているわけにもいかず、みんなでコンビニで思い思いの買い物をする。

 俺は思い切って透さんに声をかける。


「透さん」

「……あ、隆一君……」


 避けられるかなと思ったけど、透さんはちゃんと目を合わせてくれた。


「すごい人気だったよね」

「まあ……」


 透さんは照れたみたいに、曖昧に微笑む。


「お客さんたち、透さん目当てで。隼平さんもかなりびっくりしてた?」


 ――いやあ、例年は俺のファンがいるんだけど、あの子、透ちゃん? すごいよなぁ。


 モテっぷりにそう言っていた。透さんの人気ぶりに嫉妬どころか、感心しきりだった。


「私もびっくりした」


 透さんは口元を緩める。


「無理しないで、大変だったらすぐに俺たちを呼んで。サポートに入るからさ」

「ありがと……」

「――リューイチ!」

「ぬわっ!?」


 そこへ朝沙子さんが俺の腕にしがみついてくる。


「あ、朝沙子さん!?」


 朝沙子さんは唇を尖らせた。


「だーかーらー朝沙子だってば」

「……あはは、そ、そうだった。でも呼び捨ては慣れないから……」

「私は慣れたけど? なにしてんの。ぼーっとしてたら食べる時間なくなるよ」

「今、透さんと話してて……」

「透? 透って、どこにいるの?」

「どこって、目の前……」


 透さんはさっさと離れて、別のコーナーに移動してしまっていた。

 せっかく話せるチャンスがあったのに。


「ね、リューイチ、聞いてる?」

「……何を?」

「一緒にお昼たべよーよっ」

「あー……分かった……」



 私、何やってるんだろ。

 朝沙子が来ただけで逃げだすとか、ありえない行動まで取っちゃって。

 その上、食事を取る気分にもならなくって、ずっとビーチを歩いて、こうして休憩時間終了5分前に店に戻って来た。

 隆一君は何か言おうとしていたけど、隼平さんに呼ばれて、キッチンに入って行った。


「――お姉ちゃん、顔色がよくないけど、大丈夫?」


 そこへ静が話しかけてくる。


「大丈夫」

「旅館に戻って休んだほうがいいんじゃない? お客さんたちの相手で疲れてるんじゃ……」

「ありがと。でも平気だから。それに、私が抜けたらお店が大変でしょ。今の人数だってギリギリなのに」

「そうだけど」

「心配ないから。昨日の疲れが少し残ってるだけだ」

「……分かった」

「よーし、それじゃ、みんな! 店を開けるぞ! 閉店までよろしくなあっ!」


 隼平さんのかけ声に、私たちは「はい」とか「おう!」とか思い思いに応える。

 そして隼平さんが、店の扉をあける。午前中に負けないくらいの行列。

 お客さんがどやどやと入って来る。


 お客さんを席に案内し、メニューを聞いて、伝票をカウンターへ。

 すぐに隼平さんに呼ばれ、出来上がった料理を席に持っていく。空いたお皿を下げ、お客さんをお見送りし、席を綺麗にしてから並んでいるお客さんを席に案内――。

 こうして忙しなく働いているほうが余計なことを考えなくて済むから楽だ。

 午前中と同じように、私を男と勘違いしている女性のお客さんたちに真実を話して驚かれて。

 これも一緒。


「お姉さん、イケメンすぎっ!」

「スタイルもいいし、美形だし、モデルしてるっ?」

「い、いえ。ただの学生です」

「えー、もったいなーい! 絶対芸能事務所とかに入ったほうがいいよ!」

「読モとかっ! 私、絶対、おにーさんのファンになるぅ!」

「お、おにーさんじゃなくって……ああもう、なんでもいいですけど。ありがとうございます。でもそんな華やかな世界に縁はないので」

「もったいなーいっ」

「それでは注文をお取りしますね――」


 夏の日がゆっくり傾き、店の窓から見える影がゆっくりと長く尾を引く。

 それに従ってお客さんも少なくなって、他の人を手伝えるだけの余裕がでてくる。


「静は新しいお客さんを案内して。席の準備は私がやるから」

「はぁーいっ」


 家ではぐうたらな静だけど、仕事はしっかりやれている。

 家でそのぐうたらぶりを注意すると、「学校ではちゃんとやれてるからへーきなの」と反論していた。これまでは信じられなかったけど、案外その通りなのかもしれない。

 よし。あと、一回転くらいすればお客さんも裁ききれる。

 並んでいるお客さんの店の混み具合を計算する。

 その時、耳に友人の声が聞こえてきたのは……。


「――ね、リューイチ。今日の夜だけどさ、二人でどっか行こうよぉ」

「あ、朝沙子さん、今仕事中だから。そういう話は終わった後に……」

「今は余裕があるから、ちょっと話すくらい大丈夫だって!」

「っ!」


 目の端で、朝沙子が隆一君の肩に馴れ馴れしく手を置いている。

 朝沙子ってば、仕事中に何してるの。隆一君も鼻の下伸ばしてるし……。

 その時、手がすべり、皿やグラスを床に落としてしまう。


「!」


 ダメと思った時には、食器は床に落ちて粉々に割れてしまう。

 もう、何やってるんだか。


「っ」


 破片を拾い集めていると、鋭い痛みが右手の人差し指に走った。

 やっちゃった。結構深く切ってしまい、血が溢れる。


「透さん、大丈夫っ!?」


 隆一君が駆け寄ってきてくれる。


「平気。それより割った食器を……」

「それは片付けておくから、とりあえず傷の手当てのほうが先だ。――隼平さん、救急箱はありますか?」

「ああ、こっちにあるから。傷の具合は?」

「結構、深いみたいです」

「とりあえずキッチンに入ってくれ」

「ホールは任せとけ」

「悪い」

「いいさ


 和馬がホウキとちりとりを持って、手早く割れた食器を掃除していく。


「隼平さん、食器を割ってしまってすみません。お給料から引いてください……」


 透さんの真面目ぷりに、隼平さんは苦笑する。


「そんなこと気にしないでいいから、傷の手当てが先決だ」

「りゅ、隆一君。1人で出来るからホールに戻って。お客さんが……」

「普段の透さんなら言うこと聞くけど今はダメ。今日、透さんは……心配だから」

「……ごめん」


 次々と溢れてくる血を水にさらす。それから清潔なタオルで傷口にあて、手を心臓より高い位置に持っていく。


「隆一君、タオルを押さえるくらい自分でできるから」


 隆一君の手の感触に、私はこんな時にもかかわらず、耳に火照りを覚えてしまう。

 それに今の状況的に、隆一君との距離がかなり近い。

 汗をかいてるのに。

 こんな時なのに、そんなことを気にしてしまう。


「透さん、動かないで」


 少し距離を取ろうとしたらすかさず注意されてしまう。


「あ、……はい」


 しばらくしてから、隆一君がタオルを外して止血具合をチェックする。どうにか血は止まったみたいだ。

 絆創膏を指に巻いてくれる。


「これでよし」

「……ありがとう」

「痛みは?」

「まだジンジンするけど、大丈夫だと思う」

「痛みが取れなかったから病院に行こう」

「そこまでしなくても平気だから」

「本当に? 我慢は絶対に……」

「大丈夫だから」

「でも透さん、我慢しかねないし」

「……信用ないな。約束するから」


 私は笑う。

 何気ないやりとりだけなのに、まるで数年ぶりにまともに話をしているような気持ちになって嬉しくなってしまう。私って単純だ。


「顔色、あんまり良くないけど、体調は?」

「静にも言ったけど少し疲れただけだから心配しないで」


 分かったと隆一君はあんまり納得した風ではなかったけど、頷いてくれた。


「それじゃ、俺はホールに出るから。透さんは座ってて」

「大丈夫。私も……」

「もうすぐ営業も終わるし、お客さんも少なくなってきたから。透さんは休んでて。まあ透さん目当てのお客さんには申し訳ないけど、俺たちで我慢してもらうから」


 隆一君はおどけてみせる。

 分かった、と私は頷く。たしかにまた何かミスをしたらお店に迷惑がかかってしまう。

 ここは不本意ではあるけど、大人しくしていよう。


「隆一君」

「ん?」

「……あ、ありがとう」


 私は絆創膏を巻いてもらった指を見せながら小さく頭を下げる。

 隆一君は少し笑ってホールへ戻っていった。

 私は、早くなっている鼓動を意識してしまうのだった。

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