第13話 チケット

 ファミレスで食事を済ませて店を出た頃には、午後七時を回っていた。

 これで今日はお別れか……。そう思った矢先、ポケットの中にあったチケットのことを思い出す。


「透さん、まだちょっと付き合ってくれる?」

「そんなに遅くならなければ……。でも、どこに?」

「この公園なんだけど」


 俺は和馬からもらったチケットを見せる。

 ここからだいたい十分ほど歩いた場所にある市営の公園だ。


「夜のライトアップやってみたいで。どうかな?」

「面白そう」


 透さんは笑顔で応じてくれる。

 心の中でガッツポーズを決め、俺たちは公園に向かった。



 チケットを見せて公園の中へ。

 初夏の生ぬるい空気を汗ばんだ腕に意識する。

 ライトアップはただ照らしているという訳じゃなく、赤や黄色、青や暖色とさまざまな色が園内を飾りたてている。

 効果的に季節外れのクリスマス、みたいな気分。

 公園内の遊歩道には、カップルの姿がちらほらあった。

 その姿にどぎまぎしながら、周りを見回す。

 園内にはさまざまな植物が植えられていて、一つ一つに名前と説明の書かれたプレートが設置されていた。

 ガーベラ、バラ、コスモス、マリーゴールド……。

 夏って色んな植物があるんだな。

 夏はひまわりくらいの知識しかない身としては、初夏に咲く花の鮮やかさに少しびっくりさせられた。

 池もライトアップされていて、そこでは睡蓮がひっそりと咲きほころぶ。


「意外……」


 透さんが呟く。


「なにが?」

「夏って、木々の緑の印象ばっかりだったから、こんなにも色んな種類の花が咲くって知らなかったから」

「だよね。俺も知らなかった」


 透さんは嬉しそうに口角をあげて、スマホでライトアップされて闇夜に映える花々を撮影したり、説明書きに目を通したりしていた。

 それからスマホをいじる。


「静ちゃんに送るの?」

「うん。あの子、こういうロマンチックなもの好きだから。――あ、返信きた」


 透さんがスマホを見せてくれる。


『うわ! すごい! そこ、どこ? どこ?』


 絵文字が多様されていて、静ちゃんの興奮が伝わってくるようなメッセージだ。

 しばらく歩くと、池の周りに人だかりができていた。


「あそこにも花……?」

「でもあそこは、ただの池みたいだけど」

「じゃあ、蓮の花目当て?」

「うーん。でもそこにも蓮の花は咲いてるけど、あそこまで人はいなかったよ?」


 瞬間、ワアっと歓声が上がった。


「隆一君、あれっ!」


 池から思いっきり水が噴き上がっていた。

 見物客たちが一斉にスマホをかかげて、ライトアップされて七色に輝く噴水を撮影する。

 ライトは可動式みたいで光線が噴水を抜け、夜空を彩る。

 水の飛沫に反射することで、光そのものが一つの意思を持っているようにきらめく。

 いくつもの色彩が溶けあい、また別の色に変わる。

 変化した色が、噴水をさらに幻想的にきらめかせるのだ。

 俺はスマホを動画モードにして、水の織りなすショーの一部始終を撮影した。


「きれい……!」


 透さんも目を輝かせながら、スマホを構えている。

 光と水の競演はそれから一〇分くらい続いた。

 盛大な噴水が終わると、見物人から拍手が上がった。

 俺たちもそれにならった。


 

「はじめて来たけど、この公園、すごく良かった」


 透さんが大きく伸びをしながら言った。

 雲のない夜空には星が瞬き、そして俺たちはちょっとした高揚感を共有していた。

 予想外にあの公園は良かった。

 サンキュ、和馬! 持つべき者はやっぱり、親友だな!

 明日は昼飯をおごってやろうと心に決める程度には、最高の時間を過ごせた。


「今度、静を連れていくよ。きっと喜ぶと思うから。隆一君、今日は誘ってくれてありがとう」

「それはこっちのセリフだよ。今日は楽しかった」

「色々と予想とはだいぶ違う一日になったけどね……。でも、困ったな……」


 透さんは小さく笑った。


「どうして?」

「だって、意気込んで隆一君と朝沙子をくっつけようとして失敗して、代わりにこんな素敵な

ものまで見せてもらっちゃって……。どんどん隆一君への借りが増えていく」

「だから、気にしなくてもいいのに」

「そうはいかないよ……。してもらってばっかりなんて……」

「じゃあ、ゆっくり考えとく」

「そうして。――それじゃ、ウチはこっちだから……」

「待って。家まで送るよ」

「そんな。悪いわ。もう九時近いのに……」

「さすがに女性を一人で帰せないよ。そもそも俺が無理を言って公園に付き合ってもらったんだから。それに、夏だし」

「夏だし?」

「変質者が出るかも」

「あー……。でも私みたいなデカくて色気のない女はその手の心配は……」

「いや、そんなことないよ。透さんだって女の子なんだからっ」


 俺は自分が思った以上に大声を出してしまったことに気付く。

 透さんもびっくりしてる。

 俺は小さく咳払いする。


「ごめん……。と、とにかく送らせて」

「……それじゃあ、うん。お願い……」


 透さんははにかんで笑った。


「よし、行こう」


 晴れている夜だから、外灯の少ない住宅街でもそれほど暗くは感じなかった。


「……隆一君。ちょっと聞いてもいい?」

「なに?」

「隆一君は朝沙子のこと何とも想ってないんだよね」

「うん。そうだけど?」

「じゃあ、あの時、誰を見てたの? 朝沙子じゃなくって、別の子を見てたんだったら、あらためて協力するけど」

「それは……別に。特に何を見てた訳じゃないから」

「そうなの?」

「そう。なのに、和馬のやつが騒ぐからさ」

「ふふ。新宮君と隆一君、いいコンビだと思う。それに、新宮君がこんなに友だち想いだなんて知らなかった。何となく近寄りがたさみたいなものがあったから」

「和馬は愛想ないから、勘違いするのも分かるよ。友だち想いかどうかは疑いの余地あるけど。結局あいつ、俺より彼女を取ったわけだから」

「ふふ。たしかに……って、ごめん。笑い事じゃなかったわね」

「いや、笑っていいよ。俺もさすがにまさかすぎる展開だったし……」


 これで俺が本当に橘さんのことを好きだった場合、傷心の俺より彼女を取るなんて仕打ちをされたら確実に絶交だ。


「おっと」


 と、俺はいきなりぐっと身体を透さんの方に引っ張られ、バランスを崩しかける。その脇を、結構なスピードで自転車が駆け抜けていく。

 でも俺はそれどころじゃなかった。なにせ腰を見ると、透さんの手が回されていたのだから。

 一体何が起こったのかとパニックなってしまうし、なんと言えばいいのか分からず、透さんを見てしまう。


「っ!」


 透さんは慌てて腰に回していた手を離すと、ぺこぺこと頭を下げる。


「隆一君、ごめん! つ、つい……!」

「いや……べ、別に……平気、だけど……」

「これは、違うのっ! 今結構なスピードで自転車が走ってきたから危ないって思って! 静がそそっかしくって、普段一緒に歩いてて色んなものにぶつかりそうになるから、その時は私がよく今みたいに抱き寄せるの。口で注意すると、あの子、そっちに気を取られちゃうし。だから、今もそのクセが出ちゃって……! ……ああもう、ず……っ」


 透さんの耳は真っ赤。


「いきなりでびっくりしただけだから。やっぱ透さんってお姉さんなんだね」

「わ、忘れて……お願い……」


 透さんが蚊の鳴くような声で呟く。


「うん、忘れる」


 しばらく気まずい沈黙を感じながら歩く。透さんは俯いて、「ああもう……」とぶつぶつと何事かを呟いている。

 進行方向上にコンビニの明かりが見えてきた。


「透さん」

「! な、なに!?」


 透さんが過剰に反応する。


「ちょっとコンビニに寄ってもいいかな」

「……なに買うの?」

「明日の朝飯用のパンを」

「りょ、了解」


 コンビニに入ると、まっすぐパンコーナーに向かう。

 ここで迷うのが定番の焼きそばパン、それとも新商品か、どっちにするか。その他にも甘いパンと総菜パンのバランスも考えたい。夜のテンションでつい甘いパンを買いすぎると、いざ朝飯として食った時、胃がもたれたりする。

 かと言って、総菜パンだけだと味気ないというか、甘いパンを一つ、二つ買っておけば良かったと軽く後悔したりする。

 うーん……。


「ふふ」


 中腰になって吟味していると、頭の上から涼やかな笑みが降ってくる。

 目を向けると、透さんが笑っていた。


「どうかした?」

「そんなに真剣にパンを悩んでいる人、はじめて見たから」

「ま、まあそうかな……?」


 恥ずかしくって照れ笑いしてしまう。


「透さんは? パンは買わないの?」

「あんまり買わないかな。お弁当を作るから、その残りをいつも朝食にするの」

「健康的でいいね。俺もパンばっかりじゃなくって、時々はちゃんとしたものを、って思うんだけどなぁ……」

「思うんだけど?」

「思いつつ、結局は面倒くささが勝っちゃって結局、パンに……」

「分かる。私も面倒だなって思うこともあるもの。でも静の体調を考えると、ね」


 さすがは良く出来た姉。

 透さんは、俺の知っている姉で一番、妹のことを考えてるんじゃないかと思う。


「お昼は? この間は食堂を利用してたよね」

「食堂は時々かな。だいたいは購買でパン」

「朝もパンで、昼もパンなの? 飽きない?」

「飽きるけど、手軽だから」


 それから三分ほど厳選をした結果、焼きそばパン、コロッケパン、そしてチョコクリームをサンドしたパン――この定番の三種にして、会計を済ませる。


「待たせちゃってごめん。行こう」

「ね、隆一君。もし良かったら、明日の昼だけど、私がお弁当を作ろうか?」

「本当!?」

「私も妹もいつもお弁当だし、二つ作るのも三つ作るのも変わらないから」

「すごく嬉しいけど、いきなりどうしたの?」

「今日のお詫びも兼ねて……。でも期待はしないで。あくまでただのお弁当だから」

「透さんが作ってくれるなら、大歓迎だよっ!」

「それじゃあ、明日、早速作ってくる。おかずのリクエストがあれば。あと、苦手なものとか」

「苦手なものは特にない。リクエストは……肉があれば嬉しいかな」

「肉料理……。唐揚げとか?」

「そうそう」

「了解。できるかぎりご期待に添えるよう、頑張るね」


 あっという間にマンションに到着してしまう。


「送ってくれてありがとう。それから、フィギュアも取ってもらっちゃって……」

「それくらい大したことないから。それじゃ、また明日」

「ええ、また明日」

 後ろ髪を引かれながらも、俺は透さんと別れた。

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