第45話 バイト

 特急で1時間半で、目的地に到着だ。

 俺たちは車内販売で購入した駅弁をつっつき、透さんが事前に買っておいてくれたお菓子をつまみ、UNOに興じた。

 そして何度目かのゲームを始めようとしたところで、静ちゃんが「あっ!」と大きく取られた窓を見て歓声を上げた。


「おっ」


 普段、風景なんて無頓着な俺も声を思わず声を漏らしてしまう。

 多分、その場の誰もが景色に釘付けになっていた。

 窓の向こうに見えたのは、海。深い紺色の海。

 夏の日射しを浴びて、水面がキラキラと輝いている。

 水平線の向こうで空の澄んだ青と溶けあい、どこまでどこまで続いている。

 そこに色を添えるのが入道雲。

 夏特有の存在感があって、高く盛り上がり、日射しを受けて淡くきらめく。

 日常から離れた景色、いよいよ目的地に到着するという期待と興奮でテンションが上がった。

 それから10分くらいして、特急はホームへゆっくり滑り込んだ。

 他の乗客にまじり、荷物を抱えて電車を降りる。

 かなり混んでいるホームを出て改札を抜けると、そこからも海を見渡すことができた。

 白い砂浜に色とりどりのパラソルが花のように咲き乱れ、沖の方ではウインドサーフィンやサーフィンをしているだろう人たちの姿が見えた。

 海岸線に沿って、幾つもの仮説の建物が並んでいる。

 あれが海の家だろう。

 これだけ店舗があるなら、かなり競争が激しそうだ。

 俺たちが降り立った駅はちょっとした高台に作られていて、海までまっすぐ下り坂が延び、その坂の両脇にも店舗がずらずらと軒を連ねる。


「みんな、こっちだ!」


 和馬が声を張って、先頭を進む。

 すごい人混みで、気をつけないとすぐにはぐれてしまいそう。


「静、はぐれないようにちゃんと手を握ってて」

「あたし、子どもじゃないんだけどぉ」

「はいはい、分かったから、手を離さないで」

「透さん、平気?」

「うん、こっちは大丈夫。覚悟はしてたけど、すごい人」

「たしかに想像以上だったかも」


 客の大半は俺たちと同年代だ。まだ到着したばかりというグループもいれば、一足早く海を堪能して水着姿の人たちもいる。


「橘さんは?」

「へーきだけど……みんな、歩くの速すぎーっ」


 透さんが呆れたように息をつく。


「私たちが速いんじゃなくって、朝沙子が遅いんでしょ。だいたいそんな厚底のサンダルとか……」

「透こそ、スニーカーとか、足が蒸れちゃうじゃん!」

「海についたら、サンダルに履き替えるからいいの。朝沙子もそうしたらよかったのに」

「せっかく早起きしてネイルしたのにさぁ、靴をはいたら見えないじゃん!」


 たしかに橘さんの足の爪は綺麗にネイルされている。指と同じ深い青と水色を合わせたマリンカラー。


「もう」


 透さんは静ちゃんの手を掴んでいるのとは逆の手を橘さんに伸ばす――んだけど。


「あたしはこっち!」

「ちょ……朝沙子!?」


 透さんが声をうわずらせた。

 橘さんが透さんの左腕に抱きついたのだ。


「やーっぱ、イケメンに抱きつくと落ち着くわー」


 そんな冗談まで言って。

 目が合うと、透さんは苦笑いして肩を小さくすくめた。

 そんな風に賑やかに海岸線に下りていくが、ビーチにはまだ行かないようだ。


「まずは宿だ」


 海岸線にはホテルやビジネスホテルなどの宿泊施設もかなり多い。

 そんな海岸線の端っこに、こぢんまりとした宿はあった。ザ・民宿といった古風な、でもアットホームな雰囲気。

 和馬に続いて宿の暖簾をくぐると、早速、従業員の人たちが出迎えてくれる。

 従業員の制服だろう宿の名前の染め抜かれた法被はっぴを着て、金髪に染めた髪に、真っ黒に日に焼けた精悍な男の人だ。


「お、きたな、和馬。それから、そっちが友だちたちか。和馬の従兄の隼平しゅんぺいです。この民宿の従業員で、海の家の店長やってまーす。よろしく!」


 隼平さんは爽やかな笑顔を見せる。


「お世話になります」


 俺たちは頭を下げた。


「いやいや、お世話になるのはこっちの方だって。って……おい、和馬、たしか女性は三人じゃなかったか? 変更になったのか?」

「あー……えっと……」


 和馬が少し言いにくそうに、俺を見る。俺も何と言えばいいのか。


「私、女です」


 透さんは苦笑いを浮かべながら言った。


「え、マジ!? あ、そうだったんだ。ごめんごめん。あんまりにイケメンだったから分からなかったよ。いやあ、和馬もイケてるほうだけど、まさかそれ以上がいたとは……」

「ですよね! 透、うちの学校でも女子にめっちゃモテるんです!」

「だろうなぁ」


 橘さんが力説すると、隼平さんはうんうん真面目くさって頷く。


「……ちょっと、朝沙子、やめてったら……」


 透さんは身の置き所がないみたいに、俯いてしまう。

 と、奧のほうから「あらあら、和馬、いらっしゃい」と女性の声。そっちを見ると、恰幅のいい愛嬌のある笑顔の中年女性が進み出てきた。


「智恵子おばさん、久しぶり」


 和馬が頭を下げる。


「あ、その子たちね。皆さん、どうぞいらっしゃいませ。この旅館の女将で、和馬の叔母の智恵子です」

「ちなみに俺の母親」


 隼平さんが言った。

 俺たちも口々に「お世話になります」と挨拶をする。


「しっかりおもてなしさせて頂きますので、よろしくね」

「なあ、隼平。荷物もおろしたいし、そろそろ部屋に行きたいんだけど」

「お、そうだな。こっちだ」


 俺たちは智恵子さんに頭を下げ、階段を上がって二階へ。

 二階に上がってまっすぐ廊下を進んだ突き当たりで、隼平さんは止まった。


「こっちの部屋が男子部屋。んで、こっちが女子ね。風呂は地下に大浴場があるから。うちは古いけど、温泉は最高だから、是非入っていって。荷物おいたら一階に来てくれ、さっそく働いてもらいたいから」


 部屋は和風の二間。窓を開けると、すぐに海。潮の香りが風にのって部屋を吹き抜けていく。


「すごい豪快な従兄だな」

「まーな」


 和馬は苦笑いしながら頷く。

 同じイケメンでも、スマートというかアイドル的なイケメンである和馬とは対称的で、隼平さんは骨太というか野性味がある。


「んじゃ、女子のほうを見にいこうぜ」

「ああ」


 部屋を出た和馬が、女子の部屋をノックする。


「おい、もう行けるか?」


 透さんが顔を出す。


「こっちは平気」

「安達、さっきは従兄が悪かった」

「大丈夫。気にしてないから」


 というわけで俺たちが一階に下りると、隼平さんと一緒に海へ向かう。

 海の家はまだ開店準備中。

 店内はハワイアンテイストで、いくつかのテーブル席とカウンター。二〇人くらい入れるだろうか。


「それじゃ、みんな、これ着てくれ」


 店名の染め抜かれたエプロンを渡され、バイトの説明を受ける。と言っても、特別なことはない。俺たちはホール兼その他雑用係。食事は隼平さんと隼平さんの友人が担当とのこと。


「早速で悪いけど、和馬と……」

「隆一です」

「隆一君は食材を運び込んで。女の子たちのほうはテーブルを拭いてくれ」



 11時の開店を迎え、店には海水浴客がどっと押し寄せた。

 最初から大忙しで、俺達は総出で注文を取り、それを隼平さんに伝える。

 かなり手慣れていて、あっという間に料理を作っては品物をカウンターに並べていく。

 温かい料理は冷めないうちちに、かき氷なんかは溶けないうちに、俺たちはお客さんの注文を聞き、料理をお客さんの元に届けるのでてんてこまい。

 考えるよりも動かないととても店は回らない。

 なにせ隼平さんの店は海の家の中でも有名所らしく、お客さんが帰っても、また別のお客さんがひっきりなしにやってくる。

 空いた皿を下げ、テーブルを拭く。水場で食器と格闘している静ちゃんは「まだくるのぉ!?」と結構げんなりしていた。


「お待たせしました。練乳イチゴとロコモコ丼、お待たせしました!」


 俺が新規のお客さんに食事を運び終えると、


「――お客さん、その子たち嫌がってるんで、やめてくれませんか?」


 店の入り口で透さんの声がした。

 そっちを見ると、透さんが日焼けした海パン男と向かいあっていた。

 男のそばには、列に並んだ二人組女子。明らかに日焼け男から距離を取って、不快そうな視線を送っている。


「はあ? なんだよ。お前には関係ねえだろ」

「関係ないって……。私、ここの店員なんだけど。ナンパは禁止、あそこの張り紙に書いてあるの、見えませんか。それに、あなたに声をかけられて、その人たち明らかに嫌がってるでしょ」


 並んでいる客や店内の客から忍び笑いが漏れる。


「う、うるせえっ!」


 ナンパ男は恥ずかしさに顔を真っ赤にしながらも、今さら引けないように暴言を吐いて、透さんの胸ぐらを掴む。


 透さん!


 考えるよりも先に動いていた。透さんの胸ぐらを掴んでる男の腕を掴んだ。


「な、なんだよ、お前……っ」

「他のお客さんの迷惑になるんで、帰ってください」

「俺は客だぞ!」

「まだ注文も取っていませんし、席にすら座ってない。それに迷惑行為する奴は客じゃないんで」

「おい、すぐに交番から警察が来るってよー!」


 和馬が援護射撃で、スマホを耳にあてながら店内に響きわたるような大声で叫んだ。


「! こ、こんな店、二度とくるか!」


 ナンパ男は慌てたように透さんの胸ぐらから手を離すと、足早に去って行った。


「いいぞ、兄ちゃん!」

「かっこいい!」


 お客さんたちから、透さんへ歓声と拍手が飛ぶ。


「ありがとうございます」

「怪我は?」

「いいえ! お兄さんのお陰で大丈夫です」


 女子二人組は夢見心地な表情で、透さんに頭を下げる。透さんはクラスの女子を虜にする爽やかな笑顔を見せ、「それでは席にご案内します」と二人を案内する。

 俺とすれ違いざま、「ありがと」と小さく呟いて。

 もう完全にあの二人組は透さんの虜だろう。……お兄さんと言っていたけど。

 透さんに助けられた二人組の女子は「あの人、ちょーイケメンだよねっ!」「背も高いし、誘っちゃおっか?」と忍び笑いまじりに囁き合っていた。


 分かる! 透さん、すげえイケメンだよな!


 俺は心の中で賛同しつつ、親友の元へ向かう。


「助かった、和馬」

「いいって」

「……マジで警察は呼んでないよな?」

「当たり前だろ」


 俺たちは軽くハイタッチする。

 そこに隼平さんの声が飛ぶ。


「ほら! 4番テーブルの海鮮焼きそばとフランクフルト、あがったぞ! そこの二人、友情を確かめあってないで、さっさともっていってくれ!」

「はい! すぐに!」


 俺たちは弾かれるように動いた。

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