第48話 違和感
俺は旅館の人が敷いてくれた布団に大の字に横になりながら、昭和の風情ただよう電灯をぼけっと眺める。
温泉で芯から温まったせいか、汗が勝手に吹き出してくる。
それでもエアコンを使わなくても済んでいるのは、窓を開けているだけで部屋を吹き抜けていく潮風で涼しからだ。
時折、海で花火でもやっているのか、安っぽいヒューンという音と、パンッと小さく弾ける音がビーチのほうから夜風にのって聞こえた。
ちなみに和馬は窓際にいて、涼んでいる。
そんな俺たちは旅館に備え付けの浴衣を着ていた。
「和馬ぁ」
「んー?」
「誘ってくれてサンキュー。最高の夏休みだぁ」
「なんのなんの。ていうか、まだ終わってねえだろ。まだ初日だぜ?」
「だな」
「で、安達とはどんな感じだ?」
俺は上半身を起こし、胡座をかく。
「……悪くない、と思う」
「悪くない……。ま、お前にしては上出来か」
和馬が苦笑いする。
和馬からすれば、俺がかなり奥手に見えるんだろうけど(実際そうか)、しょうがない。
恋人同士になれれば最高だけど、フられた時のことを考えると、どうしても今の居心地のいい関係に甘えてしまう。正直、今日の夕方の時みたいにすぐ隣に透さんがいて、何気ない会話で笑ってくれる――その横顔を見ているだけで、俺は十分すぎるほど幸せを噛みしめてしめられるわけで……。
そこまで思って、俺ははっとして頭を横に振る。
いやいや、そんなことでどうする。夏休みに一気に距離を縮めるんだ。
透さんに彼氏ができてから、後悔するようなことは避けたい。
「お前、なにしてんの?」
「……弱気な虫を振り払ってるんだよ」
「よっしゃ。なら行動あるのみだな」
「どこ行くんだよ」
「お前も来るんだよ」
襟首を掴まれ、引き起こされた。
「だからどこに」
「女子の部屋」
「!? そ、それは……!」
「怖くないからびびるな」
部屋を出て、すぐ対面にある部屋の扉を、和馬はノックする。
すぐに「はあい」と静ちゃんが出てくる。
「あ、おにーさん、和馬さんっ」
「静ちゃん、遊びにきたぜ。入っていい?」
「いいですよ」
静ちゃんに部屋に入れてもらう。
「え、誰?」
そして部屋に入るなり、和馬が呟く。その視線の先には、赤い浴衣姿の透さん。透さんは黒縁の眼鏡をかけていた。
はぁ。透さんの浴衣姿、すっごく似合ってる。水着姿といい、普段とは違う姿が見られるなんて旅行最高!
「……私。透」
「うぉ! 安達だったのかよ!」
黒縁眼鏡を外した透さんは苦笑いを浮かべる。
「そんなに分からなかった?」
「まあな……。てか、普段はコンタクトだったのか。おい、隆一、知ってたか?」
「まあ」
「どうして?」
橘さんが不思議そうに聞いてくる。
「た、たまたま街中で会ったんだよ。ね、透さん」
「……う、うん」
透さんは曖昧に頷くと、目を反らされてしまう。
(あ、あれ?)
そのよそよそしい態度に、俺は肩すかしを覚えてしまう。
「ね、リューイチ」
「へ?」
いきなり橘さんに名前で呼ばれ、俺は間の抜けた声を出してしまう。
今まで、ずっと近藤君だったわけで。
それ以前、はじめてボーリングに行った時なんてそもそも名前すら覚えてもらっていなかったのだ。それがどうして突然、名前呼びに?
これもギャル特有のフレンドリーさというやつか。
そんな疑問が顔に出ていたのだろう、橘さんは微笑む。
「だって、いつまでも近藤君って呼び方って他人行儀すぎるしさー。和馬のことも呼び捨てでだし。いいでしょ、リューイチっ」
女子に呼び捨てにされるのは考えてみれば初めてで、猛烈に照れてしまう。
「い、いいです……」
思わず丁寧語になってしまう。
「リューイチも、私のこと、朝沙子って呼び捨てでいいから。橘さんとか、正直、呼ばれ慣れてないからさっ」
「あー……了解」
朝沙子……さんが、俺の隣に座る。うっすらとシャンプーの甘い香りがした。男風呂にあったものとは違って、柑橘系の香りが鼻をくすぐる。
「リューイチ、LINEしてる?」
「え、あ……うん」
「んじゃ、ID交換しよ」
「え!?」
「そこ、驚くところ? 一緒にバイトしてるんだよー。ふつー、交換するでしょ」
そういうものなのか?
「……了解」
というわけで、あれよあれよとLINEのIDを交換する。
「これでオッケー。それじゃ、UNOでもしよっ!」
朝沙子さんは、早速とばかりにUNOをシャッフルしだす。
「お、いいねっ」
「透も来てっ」
「うん……」
透さん本当にどうしたんだろ。元気がないっていうか、何か考えこんでいるというか。何かあったのかな。
こうしてUNO大会が始まった。
しかし正直、ゲームどころではなかった。朝沙子さんがやたらとスキンシップをしてきたからだ。ゲームに勝つと、「リューイチ、つよーい!」と肩や腕に触れ、朝沙子さんが勝った時なんかは「やった! リューイチ、今の見てた!?」と腕に抱きついてきたり。
そのせいで、途中カードは取り落としたり、戦略をたてる余裕もなく、戦績はボロボロ。
1時間くらいゲームをやるともう、色々と疲れ果ててしまった。
「んじゃ、明日も早いし、そろそろお開きにするかっ」
和馬が立ち上がったのを幸いに、俺も立ち上がった。
「リューイチ!」
「は、はい?」
びくっとしつつ、振り返る。
「おやすみーっ」
「お、おやすみ……朝沙子さん」
「だーかーらー、朝沙子だってば!」
「……おやすみ。透さんも静ちゃんもおやすみ」
「……おやすみ」
「おにーさん、おやすみなさーいっ!」
朝沙子さんに見送られ、俺たちは自分を出る。透さん、やっぱり最後まで目を合わせてくれなかった……。
「――お前、朝沙子に何した?」
廊下に出るなり、和馬に軽く肩を押された。
「……何かしたように見えるか?」
和馬も不可解そうな顔で腕を組んだ。
「だよなぁ。でも、朝沙子、お前のこと狙ってるぽいぞ」
「狙う?」
「落とそうとしてるんじゃねーかってこと」
「は、はあ!? なんで!?」
「知るか。あいつ、彼氏と別れたって言ってたし、お前に狙いを定めたんじゃないか?」
「……なんで」
「知らねえよ」
もしかして透さんの様子がおかしかったのはそのせい?
いや、さすがにそれは幾らなんでも都合良く考えすぎだよな。だってもしそれが原因だとしたら嫉妬……してくれているってことなんだろうから。いやいや、あの透さんが嫉妬とか、無縁だ。
第一、透さんは恋愛に興味がないっていうし。そんな人に恋をしてしまっているわけで。
とにかく透さんが、俺と朝沙子さんに嫉妬してるとかさすがにありえない。
それならどうして透さん、ちゃんと目を合わせてくれなかったのかって疑問にいきついて、結局、堂々巡り。
俺は今日一日のことを思い返してみるけど、透さんの機嫌を損なうようなことはしてない――と思う。
そりゃ朝沙子さんの水着姿に目がいってしまったことは確かだけど、透さんは海で遊んでいた時は冗談を口にしつつ、話しかけてもくれた。あの時は変な態度は何もなかった。
「透さんの様子もおかしかったよな」
「安達? そうか? 俺は気付かなかったけど……」
「なんか、目を合わせてくれなかった……」
「お前が朝沙子相手に鼻の下を伸ばしてたからじゃねーの?」
「の、伸ばして……なかった……よな……?」
「いや、伸ばしてた」
「男としていきなり抱きつかれたりしたら、そりゃ……ちょ、ちょっとは顔に出るだろ……」
「まあ朝沙子は顔はいいし、スタイルもいい。童貞には刺激が強すぎるよな。でも安達ってそういうナンパな奴嫌いそうだし、お前がそんな奴で失望したとか?」
「……そこまで言うなよ」
「じゃあ、他に何か心当たりがあんのか?」
「……ない」
「じゃあ、原因は明らかだろ。お前、まさか安達から乗り換え――」
「るわけないだろ! 俺は透さん一筋だって!」
「安心した。それでこそ俺の親友だ。ま、安達のことはまた明日、考えようぜ。たまたま虫の居所が悪かっただけかもしれないしな」
「……だといいんだけど」
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