第22話 昼休みの美術室と元カノの告白(学校・教室/美術室)[2023/1/10 Tue]
三学期の初日。
一時間目は全校集会があった。昔で言うところの始業式。
二時間目からは通常通りの授業が始まった。
正月休みムードが抜けないのは、生徒だけでなくて先生も。
それぞれの授業はなんだか「慣らし運転」みたいな雰囲気だった。
今日に限っては生徒と教師は
いきなりトップスピードのギアを入れられてもしんどいので。
生徒としても。
「ねぇ、伊織。冬休みどうしてた? 田舎に帰るとか無かったよね?」
「うん。両親とも京都出身だしね。そういうのは無いかな?
「徳島〜。母親が徳島出身だからサー。――まあ、途中で食べる香川の讃岐うどんが美味しいから、それはヨシ! なんだけど」
「楽しみなのは徳島じゃないんだ」
「徳島はねー。すだちとか芋とかわかめとかあるけどねー。まぁ、なんもないナー」
後ろ向きに座って
そんな二人から一歩離れた机で、僕は黙々とサンドイッチを啄む。
別に盗み聞きしているわけじゃないけれど。
耳に入ってくるものは仕方ない。
コロナ対策がしつこく求め続けられる現状では「黙食」が原則ではあるので、本当は二人みたいに向かい合って食べるのは公式的にNGなのかもしれない。
でも、最近は、先生もそんなに細かくは言ってこない。
いい意味で手綱は緩んでいるし、生徒の自主性に委ねられている。
というわけで
「でもまぁ、徳島は嫌いじゃないし、なんか長閑で落ち着くしねー。あと親戚からたんまりとお年玉はゲットできるからナー」
「あ、いいな。私とかおじいちゃんとおばあちゃんから一袋だけだから、お年玉のインパクト小さいんだよ」
伊織の父方の祖父母はすでに亡くなっている。
小学生の頃だったかな?
「お年玉はそうかもだけど、お年玉では変えないものがこの世の中にはあるでしょう? ――プライスレス」
「なんの話?」
「だから彼氏の話だよ。いいよね伊織は。橘くんっていう、かっこいい彼氏がいて」
「う……うん」
「私も彼氏欲しいなぁ……」
伊織は歯切れ悪く、頷いた。
篠崎みたいなのが恋人
南伊織が橘遥輝から川原誠大に乗り換えた。
それが知られたら、伊織はどんな風に思われるのだろう?
きっと橘と僕では「物件」としての格が違うのだ。
「――そういえば、橘くんは? いつもこういう風にして喋ってたら『伊織〜、ご飯食べたか?』とか言って混ざってくるのに」
「そう……だね」
篠崎はおどけたように、橘の言い方を真似た。
あんまり似ていなかった。
伊織がなんだかこちらにチラチラと視線を送ってくる。
いや、いい感じのヘルプなんて出せませんからね。
そんなSOSを出されても。
出せるのは、君次第で全てが決まるキラーパスくらいです。
ふと、幼馴染への悪戯心が首をもたげる。
「なんか、伊織。冬休みの間に橘と何かあったって言ってなかったっけ?」
「――ちょ、誠大! 何言っているのよ!」
「え、伊織。――まじ? 何かあったの?」
僕がわざとらしい声で餌を巻撒く。キラーパス。
篠崎さんが一瞬で食いついた。入れ食い気味で。
隣を見ると、伊織が僕の方を恨みがましそうに見ていた。
「どうどう」と篠崎さんを抑えながら。
伊織と橘が恋人関係をやめていることを隠し続けられるだろうか?
それはきっと難しい。
それなら早めに何かしらかの説明を与えておいた方がいいのだろう。
かといって、どういう説明が適切かを僕は知らない。
伊織が周囲に話すストーリーとして。
だから伊織自身が「何かしらかの説明」をしておくのが一番なのだ。
少なくとも、僕はそう思った。
どういう説明をしたのかは、また後で聞けばいい。
だから、後は頑張ってください、南伊織さん。
「――おーい、川原。――彼女さんが来てるぜ〜」
教室の廊下側から声がして、振り返る。
前方の引き戸の前に、咲良が立っていた。
僕を呼びにくるなんて、珍しい。
椅子を引いて立ち上がると、席を離れた。
篠崎相手に、あわあわしている伊織を放置して。
背後から伊織に睨まれている気がするが、気にしない。
「――お待たせ。――どうしたの? 咲良」
扉口まで行くと、咲良は少し申し訳なさそうな表情で、僕を見上げる。
「え、あ、うん。……遥輝くん、いる?」
「あ、彼氏。――そっちね」
他の生徒は恋人
だから当然、クラスメイトは咲良が来ると僕を呼ぶ。
それは仕方ないことだ。
「ううん、えっと、誠大くんとも話したいから、遥輝くんがいなくてもいいんだけど……」
「ああ、――うん」
なんだかそれが「言い訳」みたいで、ちょっとしんどい。橘が本命だったのだ。
振り返り、教室を見回す。やっぱり、教室に橘はいなかった。
「いないみたい。――橘、咲良のところに行っているわけでもなかったんだな」
「――あ、うん。実は『お昼ごはん一緒に食べないか』って誘われてたんだけど、――ちょっと学校でそういうことして、周りにどう思われるかがまだよくわかんなくて。ごめんねって、断ったの」
周りに聞こえないように、咲良は声を潜めた。
教室の出入り口、僕らの脇を二人組の男子生徒が抜けていく。
その内の一人が、すれ違いざまに口笛を吹いた。
「お熱いねぇ、ご両人」とでも言うように。
「――ちょっとだけ、相談しておきたいことがあるんだけど。いいかな?」
「もちろん、いいよ。――場所移す?」
「――うん」
*
「――昼休み、勝手に入って大丈夫なんだっけ?」
「あ、うん。大丈夫だよ。一年の時、コンクール前とか昼休みに絵を書いていたこともあるんだよ」
「そっか」
咲良が連れてきたのは美術室だった。
昼休みに人影はない。
絵の具の匂いがする二人っきりの部屋。
電気は消えたままだ。
引き戸を閉める音が教室に響く。
教室の喧騒が、遠くに聞こえた。
「――鍵は、しめなくていいよな? さすがに」
「だね。さすがに鍵しめてたら誰か来たときに『何やってたんだー』ってなっちゃうかも」
咲良は困ったような微笑を浮かべて肩を竦めた。
「確かに。――遥輝が入ってきたら、あいつ嫉妬したりしないかな?」
「……さあ、わかんない」
そう言って、彼女は教室の奥へと歩きだした。
僕に背を向けて。窓際の方へ。
返答は「そんなわけないじゃない」じゃ、なかった。
遥輝が嫉妬する? 僕が咲良と一緒にいることに? 咲良は本当は僕の彼女なのに? なんの権利があって嫉妬するんだ?
「――それで、相談って?」
窓ガラスに手を添える咲良に僕は近づく。
「うん。えっとね、恋人
「うん、それはわかるよ。――遥輝のこと」
無言で咲良が頷く。
――心がざわつく。
咲良は視線を泳がせる。窓の外へと。
話しづらそうに。
「誠大くん、昨日って何してた?」
「――僕?」
「うん」
僕の昨日と何か関係あるのだろうか?
昨日一日の出来事を思い起こす。
後ろめたいことが無いか確認する。
「昨日は遙香さんが成人の日でさ。――あ、遙香さんっていうのは伊織のお姉さんね。――ほら、幼馴染で、昔から知っているしさ。彼女のお祝いで、伊織のお母さんと、伊織と四人でランチに行ったよ」
僕の方を振り返った咲良はちょっと唇を尖らせた。
「なんだか家族ぐるみの付き合いに発展しているみたい」
「幼馴染だから。昔からだよ。何にも変わってない」
「――そう?」
「そうさ」
咲良は小さく首を傾げて、眉を寄せた。
本当は嘘だ。小学生から中学生の頃ならあながち嘘ではない。
でも中学の途中から、最近まで僕の足はあの家から遠のいていた。
また南家に行くようになったのは、恋人
伊織との関係を、遙香さんからも、志保さんからも応援されている。
――そんなことは、咲良に絶対言えない。
「――昨日はそれだけ? ほら、その後、伊織ちゃんとデートとか」
「してないよ。昨日は。ほとんど家族イベントって感じだよな」
「そっか」
安心したような、どこか残念そうな表情。
不意に駐車場で見知らぬ誰かと抱き合っていた遙香さんのイメージが脳内に蘇った。――でもそれは咲良には関係のない話だ。
「それで、咲良は――どうなの? 昨日、どうしていたの?」
「――うん」
それはきっと誘導されている質問。
だからそこには何かが埋まっていて。
それを掘り起こす役割を担わされている。
義務感で質問をする。まるで操られているみたいに。
「ほら、この前、王将でご飯食べた時に、言っていたでしょう? 遥輝くんが『一緒に映画を見よう』って」
「――ああ」
そういえばあった。
僕が名作『秒速5センチメートル』を推薦したやつだ。
「うん、それで昨日、三学期が始まる前の、冬休み最終日に、せっかくだから一つ見ようって話になって」
「――『秒速5センチメートル』?」
「ううん。『君の名は。』」
鬱アニメではなかった。鬱アニメを見ろよ。橘。
「――どこで?」
「橘くんが、私の家に来てね」
「山科の?」
「うん」
僕や伊織の自宅からの最寄り駅、太秦天神川駅。
TOHO二条シネマズのある、二条駅。
京都ホテルオークラのある、京都市役所前。
それから山を越えての、山科駅。
それらは地下鉄東西線一本でつながる場所。
「――そうなんだ」
山科にある咲良の家に、橘は行ったんだ。
僕は初めて彼女の家に行った、初夏の日のことを思い出す。
頭の中に浮かべる家の間取り。彼女の部屋のレイアウト。
何度も体を重ね合った、あのベッド。
「咲良の部屋に……入れたの?」
「――それは、無いよ。――私、まだそこまで遥輝くんに、心開いてないよ?」
「そっか。……じゃあ、リビングで見たの? 『君の名は。』」
咲良は「うん」と、頷いた。視線を落としながら。
「それでね、誠大くん。――怒らないで聞いてほしいんだけど」
「――ああ。――怒らないよ」
大体、そう言って始められる説明は、心を掻き乱すものだけど。
だからといって、頷かないと、聞くことさえできない。
浮かぶのはソファに並んで、ボーイミーツガールに感情移入する二人。
「恋人
咄嗟に返す言葉が出てこない。僕の言語野は感情の熱に揺らがされる。
「二人で並んで、『君の名は。』を見ていたんだよ。ただ、普通に。――そうしたらね。知らない間に、なんだかもたれかかっちゃっていて。――遥輝くんがね、肩に腕を回していて。――自然にね。ううん、多分、そんな気なんて無かったんだと思うんだよ? きっと、伊織ちゃんと間違えたんだと思う。――でもね、クライマックスで盛り上がっちゃって。――泣いちゃって。そうしたらね――」
「――どうしたの?」
昼休みの美術室。明かりをつけない教室。
窓から冬の日差しが差し込む。
教室と校庭の喧騒は、遥か彼方へと遠ざかる。
伏せていた瞳を、咲良はゆっくりと上げた。
「――キスされたの。――遥輝くんに」
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