第28話 恋する少女と秘密の暴露(学校・教室)[2023/1/11 Wed]

「――眞姫那ちゃん。――それどういう意味?」

「そのままの意味よ?」


 腕を組んで挑発するような花京院を、伊織は半目で見上げる。

 僕の幼馴染の目が、ちょっと座っている。

 浮気だの、身の程知らずだの、言われると腹が立つだろう。

 そして何よりも、橘の恋人の座を自分がもらうという。

 ――なお、しれっと僕も「冴えない男子」とか言われたが、腹は立たない。……事実ですので。


 やおら教室がざわつき始めた。

 さすがに橘のまわりの取り巻きたちも反応し始めている。


「――私、浮気なんてしていないから! 何を証拠にそんなこと言うのよ?」

「何を根拠にって、あの写真ですけれど? 逆に言ってもいいかしら? 伊織さんはどうしてまだ言い訳の余地があると思っているの? 彼氏以外の男子と抱き合って、見つめ合って、もうすぐでキスまでしてしまいそうに見えちゃう。ホラ、この写真、どこをどう見たって浮気の写真じゃなくて?」

「――そんなこと、ないから。――ねぇ、なんとか言ってよ! ――誠大」


 僕の方を振り向いた伊織の目は、どこか潤んでいた。

 どうして彼女は泣きそうになっているのだろう?

 それは橘を本当に愛しているからなのだろうか?


 きっとそうなんだろう。伊織は橘の彼女なのだから。――本当は。

 でもそう考えると、なんだか僕の中に、もやもやとしたものが湧いてくる。


「――あら。情事ラブ・アフェアーのお相手さんじゃない? 久しぶりね、川原くん。――私、ずっと怪しいと思っていたのよ。――あなたのこと」

「久しぶり、花京院さん。――何が?」

「だって、そうじゃない。いくら幼馴染だとはいえ、一年生の時から、伊織さんのこといつも下の名前で呼んで、馴れ馴れしくて。――本当は昔から、伊織さんのこと好きだったんでしょ? いつか橘くんから奪い返したいと思っていたんでしょう?」


 まるで僕のことを見透かしたように、お嬢様が語る。

 高校生になってから、馬鹿の一つ覚えみたいに橘の尻ばかり追いかけていた女が。

 僕の心の中に、ずけずけと土足で踏み込んでくるなよ。図々しい。


「――だとしたら? ――君の空想がもし真実だとしたらどうだっていうんだい?」

「――誠大?」


 伊織が驚いたように目を見開く。

 僕の背後で、教室がざわめいた。

 三学期二日目の昼休み。いまや2年B組全体の視線が僕らに集まっている。


 侮蔑を含んだ妖艶な笑みを、花京院は浮かべる。

 栗色の髪に手ぐしを通すと、背中の方向へと払った。

 

「あら、驚いた。認めるの? ――あなたの彼女もかわいそうね? ――伊東咲良さんでしたっけ? A組の。あの子はこのことを知っているの?」

「『このこと』って何かな? 花京院さん?」

「もちろん、あなたと南伊織さんの浮気のことよ? ――ねぇ、伊織さん?」


 花京院眞姫那は、勝ち誇った顔で、僕の幼馴染を見下す。

 僕と伊織が最近急接近していること。それを認識されているのは構わない。

 ――それでも伊織を見下す、その瞳はやたらと癪にさわった。


「――だから、浮気じゃないってば! ――ねぇ、誠大?」

「ああ、そうだな。浮気じゃない」


 僕は否定する。嘘じゃない。――だってこれは恋人交換スワップ

 浮気なんかじゃなない。僕こそが本当の彼氏なのだ。

 でもそれを教室の中で今公開するのが、適切なのかどうかはわからなかった。


「この期におよんで、往生際が悪いですわよ。二人とも。――でも、本当のところを言いますと、二人がそれを認めようが、認めまいが私はどちらでも構いませんの」

「――どういうこと?」

「だってそうでしょう? あなたの不貞行為を断罪するのは、第三者の私なんかじゃなくってよ。――それを決めるのはあなたの本来の恋人、――橘遥輝、その人のはずでしょう?」


 栗毛のお嬢様は、勝ち誇ったような笑みを浮かべると、背後へと振り返った。

 そもそもの恋人交換スワップ発起人の名前を口にしながら。

 恋人交換スワップの張本人に、断罪を求めるその道化っぷりには、失笑を禁じ得なかったわけだが。

 ――でもそのことはクラスの誰にも知られていないのだ。


 高慢な少女の視線が前方へと向かう。

 教卓斜め前の席に座り、数人の取り巻きに囲まれた橘へと。

 その直線上に居た幾許かの男女が、道を開けるように自然と体をずらした。


「――ねぇ、橘くん。――あなたはあの写真を見てどう思ったの? ――置いていた『冷却期間』の間に、彼女が他の男と抱き合っていて、さぞお辛いでしょう?」


 花京院眞姫那は、橘へと歌うように語りかける。

 まるで、自分が唯一の理解者であるかのように、


 ――なんで花京院が「冷却期間」の話を知っているんだ?


 それは伊織が、篠崎への言い訳のために使った言葉。

 その場限りで用いた説明。だから限られた人数しか知らないはずだ。

 僕も近い友人には、少しだけ話した。橘本人と、彼方。あとは一人か二人だ。


 偶然だろうか? それとも誰かが花京院へと伝えたのだろうか? 誰が?

 でも彼らと花京院の繋がりに、僕は、まったく心あたりがなかった。


「――よう、眞姫那。――元気そうじゃん」


 教室の前方で橘が椅子を引き、立ち上がった。

 両手をポケットに突っ込んで。


「元気よ、橘くん。――ようやく私にもチャンスが回ってきたのかもしれないと思うと昨日の夜から嬉しくって! ――放課後まで我慢できずに飛んできちゃったわ。――いじらしいでしょ、私?」

「まぁ、お前はいつでもいじらしいよ。愚直なまでにな」


 僕らの方に近づきながら放った橘の言葉に、花京院は首を傾げた。

 多分「愚直」という言葉の意味がわからなかったのだと思う。


「――それで伊織と川原に何の用なんだ? 眞姫那がこのクラスで俺以外の人間に興味があるなんて、――意外だな」


 橘がそう言って机の角に腰を下ろす。伊織の隣、僕の前の机に。


「――そんなことないわよ? 私は、橘くんだけなんだから」


 橘との距離が近づくと、急に花京院は頬を赤く染めて、視線を逸らした。

 高慢な彼女も、好きな男の前では、恋する少女に過ぎないようだ。


 そんな姿を見ると、さっきまでの憤りにも水を差された気がした。。

 完全に不快な思いが霧散するわけではない。

 でも、苛立ちはどこかで、同情に上書きされる。


 この癖の強い少女も、結局は叶わない恋に、二年近く心を焦がしてきたのだ。

 それは伊織を橘に取られていた自分に、どこか重なるようだった。


 一度、一年生の時に、花京院が橘に告白しているところに出くわしたことがある。

「ごめんな」と断った橘が彼女の頭を撫でていた。

 その時、花京院は泣いていた。


「それで、何の騒ぎだったんだ? わりぃ、全然、ついていけてないんだわ」


 橘は「ごめん」というジェスチャーを取る。

 わざとらしく右手を立てて。

 前のめりになって花京院眞姫那が「大丈夫ですわよ」と頷く。

 なんだかその従順さがチワワみたいだ。


「た……橘くんも見たでしょう? この写真。――私、今度こそ、確信しましたわ。南伊織はあなたにふさわしくないって。あなたはもっと自分に相応しい恋人を自らの脇に立たせるべきですわ」

「ああ、――そうかもしれないな」


 机の角に腰掛けて、橘は微かな笑みを浮かべた。


「――え、遥輝、何言っているの?」


 驚いて伊織が、顔を上げる。

 そんな彼女の口を閉ざさせるように、イケメンは自分の唇に人差し指を添えた。


「で、眞姫那は、その写真をどこから手に入れたんだ?」


 橘は首を微かに傾ける。

 顔面に貼り付けた教科書みたいな笑顔で、

 ――手に入れた? どういう意味だ?


「え? えっと、私は、LINEで写真を見て、――それでここに来ただけで……」

「言えないのか? 言ってくれたら、今週末デートしてもいいんだぜ」

「えっ? 本当!?」


 一瞬、目を輝かせる、花京院。でもすぐに表情を変え、目を伏せた。


「――でも、無理。――私は」

「じゃあ、まあ、いいや。誰が写真を取って眞姫那に渡したのかは知らない。――でもなぁ、眞姫那。あまりこういう人のプライベートを撒き散らすのは感心しないぞ。――俺の関心を引きたいなら、もっといい手を考えなくっちゃ」

「――ごめんなさい……」


 橘に諌められると、花京院眞姫那は、その場でしゅんと項垂れた。

 ――展開に追いつけない。――二人は何を言っているんだ?


「ちょっとまってよ、遥輝。どういうこと? どうして、まきなちゃんが反省しているの? 全然わからないんだけど?」

「――僕も、ちょっとついていけてない。橘」


 二人で手を上げると、橘は一つ溜息を吐いた。


「だからさぁ、そもそもその写真をみんなのLINEにばらまいたのが眞姫那だってことだよ」

「――え?」


 僕と伊織は思わず顔を見合わせた。

 伊織が「そうなの?」と尋ねると、花京院は「そうよ」とぶっきらぼうに答えた。

 高慢で不遜な彼女も、橘遥輝の前ではかたなしだ。

 ――惚れた弱みというやつだろうか。


「でも、どうして橘は、彼女が発信源だってわかったのさ?」


 僕が尋ねると、橘は面倒くさそうに頭を掻いた。


「そんなのLINEで写真を受け取ったやつに、誰から送られてきたかを聞いて、それを根っこまで辿っていけば、わかるに決まっているだろ? 別にLINEは送信元不明の匿名SNSってわけじゃないんだから」


 確かにそうだ。

 でもそれは橘の人脈と、機転があるから出来る調査だとも思えた。


「――じゃあ、写真を撮ったのも花京院さんなの?」

「いや、それは違うみたいだな。眞姫那はただ周囲に配っただけみたいだ」

「――それなら一体誰が?」


 僕は花京院の方を見る。

 だけど、彼女は僕と目を合わせようとはしなかった。


「俺は、大体の想像ついているけどな」

「え? ――誰?」

「でもそれを言うと眞姫那が困るし、言わないでおこうかな」

「気になるじゃないか」

「――あと、お前もな。――川原」

「――僕?」


 そう言って僕を見た橘の瞳は、その奥で意味深な光を揺らめかせていた。

 何のことを言っているのか? 誰のことをいっているのか? 

 その時の僕にはわからなかった。


「わかったわ。橘くん。橘くんの二人の写真を拡散させたことは謝ります。でも、だからって、この写真が示している出来事――南伊織と川原誠大が体育館裏で逢い引きして、熱い抱擁を交わしていたという事実は揺るがないと思うわ! ――ねぇ、橘くん。あなたはこの写真を見ても、やっぱり、これは『浮気』じゃない、何の問題もないって、――そう言うの?」


 昼休みの教室。隣のクラスからやってきた黒船が大きな声を出す。

 その昔、浦賀沖にやってきて江戸幕府に開国を迫ったペリーの黒船は、威嚇のために大きな音で空砲を打ち続けたという。

 でも橘遥輝はその大きな声に一切動じなかった。江戸幕府と違い。


「――ああ、そうさ。――何の問題もないからな」

「え……?」


 そして橘は振り返りぐるりと教室を見回す。

 誰かに聞かれていないか確認しているのではない。

 むしろ、クラスの全員がことを確認しているのだ。

 一度だけ目を伏せて、また開くと、橘遥輝は楽しそうに口角を上げた。


「だって南伊織は、俺の彼女じゃない。――ここにいる川原誠大の彼女だからな」


 驚いたように目を見開く花京院眞姫那。――そして、南伊織。

 その顔は呆然としていて、瞳は焦点を失っていた。


 頭脳明晰、成績優秀、眉目秀麗のイケメンリア充――橘遥輝は両手を広げる。

 

「俺たちは恋人を――交換スワップしたんだ」


 カリスマの、色気のある低い声が、教室の隅々まで広がっていった。





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