第30話 女子の親友と男子のマフラー(京都・京都駅周辺)[2023/1/11 Wed]
「――今日は大変だったね。誠大くん」
宮下彼方が白い息を吐いた。
暗闇に染まった冬の空に、彼女の体温を含んだ湿気が広がる。
予備校を出る。地下鉄京都駅までの道。僕らは並んで歩く。
学校が始まって二日目、1月11日水曜日が終わる。
水曜日は予備校のある日だから、全部が終わるのはこんな時間だ。
恋人
先輩たちの大学入学共通テストは週末に迫っている。
自分たちの番はもう一年後なんだなぁ、という実感が少しずつ湧いていた。
僕と彼方は予備校で一緒に数学の授業を受けていた。
帰路。そこで彼方が、思い出したように、空に向かって呟いた。
「やっぱり、彼方の耳にも入ってたか。――まぁ、そうだよな」
昼休みに起きた花京院眞姫那のB組への突撃とその後に起きた事件。
南伊織を標的とした個人攻撃は、僕を巻き込み、橘が参戦した。
そして突然、橘が恋人
それにより、教室は収集のつかない混乱に陥った。
最後には、――伊織が教室から出ていった。
「うん。眞姫那ちゃんは、Cクラスだからね。僕、一応一緒のクラスなんだよ?」
「あ、そうか。それなら彼方の耳にも届くか。その線は全然考えてなかったわ」
「眞姫那ちゃんとは、そんなに絡みもないからね。キャラクターも交友関係も違うから。――誠大が、気づかなくても無理はないよ」
そう言って、彼方は目を細めた。いつも彼方の微笑みは優しい。
昔の姿を思い出すと、たしかに今の見た目とギャップはある。
だけど、内面の優しさは変わらない。
それでいて今のほうがずっと落ち着いているし、彼女らしい。
だから彼方は、思い切って女の子になって良かったなって、本当に思う。
「予備校の授業が始まるまで、何も言ってこなかったから、もしかして耳に入ってなかったのかなって思ってた」
「――僕には知られたくなかった?」
心の奥を探るように、彼女は僕を覗き込んだ。
「いやまぁ、事実は事実だし。彼方に知られて困るようなことなんて、僕には無いよ」
「あはは。それは何だか嬉しいな。――それって親友だから?」
「まぁ、そうだな」
そう返すと彼女は「そっか」と視線を逸らした。
ちょっと寂しそうに。
「彼方はどこから知っていたんだ? ――花京院がC組に戻ってから?」
「ううん、初めから知っていたよ」
「――初めから?」
「うん。女子ネットワークで流れてくる情報は、僕にもそれなりにちゃんと入ってくるからね。――知ってる? 僕だって、もう
「それは、まぁ、なんというか、おみそれしました」
彼方は笑って「よし」と僕の後頭部にタッチした。
モコモコの手袋に包まれた右手で。
「予備校の授業前に、何も言わなかったのは、授業が始まる前にそういうことを話すと、授業中、ずっと気になっちゃうから。きっと誠大も、――それ以上に僕も? だから終わるまで待っていたの」
「そりゃあ、気遣いどうも。――でも、その通りかもな」
彼方は大人だ。知らない間に大人だ。
中学の時には自分のことで一杯一杯で本当に危なっかしい奴だった。
でも女の子として生きることを決めて、女子高生になって、一年半以上。
いつも守ってやっていたつもりの親友は、いつの間にか先に行っている。
――そんな気がした。
子供の頃は、女の子の方が発達が早くて、早く大人になるっていう。
それは彼方みたいな女の子にも適用されるのだろうか?
こうやって途中から女性ホルモンを打ち始めて、彼女になった彼方にも。
そんなことを考えた。――きっと違う気がするけれど。
「それに、――今日は誠大、一緒に帰ってくれるって約束だったし」
「――うん。そうだな」
隣から上目遣いで彼方が僕を覗き込んでくる。
うなずき返すと。彼女は、破顔した。
なぜそんなに嬉しいのかわからないけれど。
僕なんかと一緒に電車で帰るだけのことが。
でも、そういう顔をされるのは、悪くない。
きっとこれが親友っていうものなのかもしれない。
その時、強い風が吹いた。
冬の寒気が、僕らの体温を奪っていく。
彼方の髪が、流されて、白い
「――寒っ」
彼女が首を引っ込める。首周りの開いた女性用のコート。
それはなんだか寒そうだった。
可愛くて彼女に似合っているんだけど。
「彼方、使うか? マフラー」
「えっ?」
僕は持ってきていた紺のマフラーを、鞄から取り出して差し出す。
「持ってきていたけど、僕はブルゾンに襟ついているし、そんなに寒くないし」
「いいの? 使って?」
「気にすんなよ。女の子は暖かくしないと。新年から風邪引いちゃだめだろ?」
僕がマフラーを彼方の首周りに巻きつける。
彼女は両手でそれを確認するみたいに動かした。
それから僕を見て、嬉しそうに微笑んだ。
「――ありがとう。誠大。嬉しい」
「いいってことよ。――あ、地下鉄降りる前に、返してな」
「――えー? お家まで借りていっちゃだめ?」
「まぁ、いいけど」
「えへへ」
彼方は僕のマフラーに唇まで埋めて見せた。
まぁ、余り物で、ここまで喜んでもらえるなら、悪い気はしない。
「昔のドラマであるみたいに、二人で一つのマフラーを使うとかやってみる?」
冗談っぽく言って、彼方はマフラーを解きだす。
その手を僕は押さえて、止めた。
「しないしない。どこのラブラブカップルだよ。謎の恋人ムーブはやめようぜ、彼方。冗談でもそういうの、今日は刺さるよ」
「あはは。……そうだよね。――でもありがとう」
ちょっと申し訳なさそうに、彼方はマフラーを巻き直した。
アバンティからの地下道を通って、地下鉄の改札口に至る。
交通系ICカードのPiTaPaを当てて、改札を抜ける。
――なお関西はJR系はICOCAで、私鉄はPiTaPaである。まぁ、ICOCAでもSUICAでも乗れるんだけどね。
予備校からの帰りはこうやって、時々一緒に帰る。
普通、京都駅からはJR山陰線に乗って花園駅で降りた方が早い。
でも、地下鉄で太秦天神川駅で降りても僕は帰れる。
時間で徒歩が三分か五分長くかかるくらいだろうか。
JRと違って地下鉄は待ち合いも屋内だから冬の寒さも凌げる。
電車の乗り換えが、ちょっとだけ面倒くさいけれど。
彼方の最寄り駅は、西大路御池。
終点の太秦天神川駅より一つ手前だ。
「――でも花京院に、あの写真を渡したのって、誰だったんだろうな。――確かに、あの写真をばらまいたのは花京院だったみたいだけどさ。本当の黒幕は、彼女にあの写真を渡した人間なんじゃないかなって気がするんだよな」
「――そっか。――そうなのかもしれないね。――誰なんだろうね?」
今日も空いている地下鉄東西線は、僕らを運ぶ。
やがて西大路御池駅に到達する。
彼方が「じゃ、また明日」と小さく手を振って降りていった。
「これ明日返すね」と首周りのマフラーに幸せそうに触れながら。
*
さくら
〉誠大くん。ちょっと話せるかな?
〉 📞不在着信
さくら
〉そっか今日は予備校だったっけ? 時間ができたら教えてください。
さくら
〉もう予備校終わる時間だよね? 待ってます。
〉 📞不在着信
さくら
〉……ねぇ? 誠大? まだ? 気づいてよ。
〉 📞不在着信
〉 📞不在着信
さくら
〉もう23時だよ? 誰とどこにいるの? 伊織ちゃんといるの? 家についてからでいいから、連絡をください。
〉 📞不在着信
さくら
〉何時でもいいから連絡をください。……いつまでも待っています。
〉 📞不在着信
〉 📞不在着信
〉 📞不在着信
〉 📞不在着信
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