第37話 篠崎澪と裏切りのキス(京都・スターバックス新京極店)[2023/1/15 Sun]
「――ごめん、待った?」
「ううん。全然。先、買っちゃった。川原くんも何か買ってきたら?」
「――あ、うん。そうだね」
白いハイネックに、もこもこしたグリーンのニット。清潔感のあるミニスカートからは黒いレギンスに包まれた脚がすっと伸びる。
僕が到着した時、篠崎澪はもう二階席のテーブルを確保して座っていた。
温かそうなスタバの紙コップを両手で包んで。
彼女の方が僕に気づいて「ハァイ!」と右手を挙げ、指をぱらぱらと動かした。
正直に言うと、一瞬、誰だかわからなかった。
よく考えたら篠崎さんの私服なんて見るの初めてだったし。
学校では伊織の方が目立っていて、その脇に立っている女の子って感じだ。
でも、私服姿で見る彼女は、どこか垢抜けて見えた。
一階に降りてカウンターで注文するとカップを受け取り、彼女の待つ席に戻った。
「お待たせ。――予定より合計十五分押しぐらい? ごめんね」
「本当だよ〜。もう、映画始まっちゃうじゃない!」
「え? ……映画行く約束なんてしてたっけ?」
「冗談よ。ちょっとMOVIXが視界に入ったから、言ってみたかっただけ」
「びっくりした。そういうのは、自分の彼氏に言うんだね」
「――彼氏とか、いないし」
「――そっか」
篠崎澪はちょっと寂しそうに唇を尖らせた。
こうして私服姿の彼女を見ると、彼女は彼女で可愛らしい女の子なのだと気づく。
アリかなナシかで言えば、――全然アリだろう。
いつもは制服で、伊織の隣にいるから、目立たないのかもしれない。
ここはスターバックス コーヒー 京都新京極店。
京都の繁華街である四条界隈から続く歩行者天国。
目と鼻の先にはシネマコンプレックスのMOVIXがある。
最近では京都駅前イオンにあるイオンシネマと、二条駅前にあるTOHO二条シネマズに押され気味だけど。京都ではここがほぼほぼシネコンの元祖だ。
今でもここでしかやっていない映画を見る時は足を伸ばす。
大体、映画を見終わった後に、一息つこうかという時に使うのがこのスタバ。
咲良とも、夏休みに一度だけ来た。
「――彼氏、ずっといないの?」
「そこ広げるんだ? 川原くん。私のプライベートなんて興味ないでしょ?」
「いや、まぁ、無くはないよ? 僕、それなりに人間には興味あるし」
「人間って! 私の括りって、『人間』なんだ。間違ってないけど、ヤバい」
「大括りすぎたかな? 悪い。じゃ、クラスメイト」
「それまた雑な括りね。逆に『あんまり興味もってないけど』っていうのが、ひしひし伝わって来て逆に清々しいよ!」
「――いや、そういうわけでもないんだけどなぁ。興味あるよ?」
実際、彼女のことに興味がないことはない。
そもそも高校に入ってから伊織に一番近い友人は篠崎澪――彼女だった。
だから彼女は僕の知らない伊織のことも知っている。
それでいて橘一派ではないところも彼女の存在の貴重なところだった。
篠崎さんは、少し橘の周囲からも距離を取っている。
今回のようなケースでは、だからこそ信用できる面もある。
「フォローおつかれさま。……まぁ、ずっといないかな」
「相手、いないの? 別にそれなりにモテそうなのに」
「『それなりにモテそう』って、またまた雑なフォローをありがとう。まぁ、好きになった男の子とか、ちょっといい感じになったことはあるんだけどね〜。――そう上手くはいかないんだな、これが」
「へー。やっぱり、色々あるんだね。相手は学校の誰か?」
僕の知らないところで。女の子は秘密を重ねているのかもしれない。
「まー、それはいいじゃん。――今日は私の話じゃないし」
はぐらかした彼女は、両手の指を組んで「うーん」と伸びをした。
僕はカップに口を付ける。カモミールのティーラテはまだ熱かった。
*
昨日、土曜日の昼、近所のマクドナルドで伊織の姉――遙香さんと話したあと、メッセージに気づいて、篠崎さんにLINEコールを掛けた。
そこで彼女は言ったのだ「伊織のことで話がしたい」と。
水曜日の花京院との衝突。木曜日の朝の黒板落書き事件。
伊織は木曜日に学校を早退して、金曜日は欠席。
彼女が感じる不安は、僕にだってよく分かった。
LINE通話で話すだけじゃなくて、外で会おうというのは若干面食らったけれど。
どっちにしろ日曜日は外出する予定だったから、「昼過ぎからなら」とOKした。
1月11日と12日の二日間は、大学受験生が受けるいわゆる「大学入学共通テスト」の試験日だ。12日の新聞朝刊には11日分の問題が掲載される。
彼方と随分前から約束していたのだ。12日に予備校の自習室で集まって、試しで一緒に解いてみようと。だから今日はどちらにせよ京都駅まで一旦出る予定だった。
休日の予備校で彼方と二人で試験問題を解いて、答え合わせをした。
パスタ屋でお昼ごはんを一緒に食べてから、もう一度部屋に戻って続き。
午後2時過ぎに「そろそろ帰るよ」と言うと、彼方は残念そうに唇を尖らせた。
理由を話すと「それじゃあ、しょうがないね。じゃあ、また明日、学校で」と彼方らしい笑顔を浮かべて、手を振ってくれた。
彼方は彼方なりに伊織の心配をしてくれているのかもしれない。
――まぁ、二人の相性は、あまり良くないみたいだけれど。
*
篠崎さんにこれまでの恋人
包み隠さずに。
他でもない篠崎澪だし。伊織がこんな状況だし、それが良いと思った。
もちろん省略するところは省略した。
例えば、咲良が橘と一緒に『君の名は。』を見て、どさくさに紛れてキスした疑惑などは省略した。――さすがに言う必要ないでしょ?
「――そんな感じだったんだね」
目線を上方へと泳がせると、篠崎さんはひとり言みたいに漏らした。
「やっぱり、変だよね? 橘、頭おかしいよね?」
「まあ、頭おかしいよね。恋人はモノじゃないんだから、交換なんて。でも、おかしいのは橘くんだけじゃなくて、川原くんもね」
「――まぁ、だよな」
「それから伊織も、伊東さんも」
そう言って篠崎さんは僕の目をじっと見つめた。
お説教されているみたいな感じだった。――面目ない。
「でも、まぁ、なんとなく思っていた通りだったから。そこは良かったかな」
「思った通り? ――こんな頭おかしいこと、想像していたの?」
篠崎澪は「うん」と頷いた。
篠崎さんの耳にはリングのイアリングが揺れていた。
「ていうか大体、橘くんが、水曜日の昼に暴露しちゃってたじゃん?」
「――たしかに」
確かにそうだった。あいつの前振りなしの大放出が問題を大きくしたのだ。
「どう思った? やっぱり軽蔑するよな? ――でも伊織が淫乱だとか、そういうのはナシだよな」
「うん、あの落書きは駄目だと思う。私も許せないよ」
篠崎さんの目は本当に怒っていた。
その怒りは本物のようで、だから「この子は信用できるな」となんとなく思った。
「信じられない? 四人で恋人
「うーん。でも、橘くんだしね。なんとなく、三人が橘くんに言いくるめられちゃうところも想像できる。――きっと私も、そっちの立ち場だったら流されちゃうかも」
「そういうもんかね」
「そういいうもんだよ。――多分」
彼女はそう言って目を細めた。まるで過去の記憶を見つめるみたいに。
「――それで、大丈夫だと思う? ――伊織」
「そう――信じたいんだけどな」
どうやら篠崎さんからのLINEメッセージにも返事が無いみたいだ。
僕だけでじゃなくて。心配だけど、――ちょっと安心もした。
僕だけがLINEを無視されているわけではないと、分かったから。
「心配だから、どうにかして話したいんだけど、LINEで連絡取れないとどうしようもないよね」
そう言って彼女は深く溜め息をついた。
「――ていうか昨日、僕、伊織の家にいったけど?」
「え? ――マジで? そういうことは先に言ってよ。伊織どうだった?」
「――会えなかった」
「――え?」
「いや、お姉さん――遙香さんっていうんだけど――が出てきて、『伊織は今、誰とも会えない』って、言われちゃったんだ。……まぁ、代わりに遙香さんとランチ食べながらちょっと話したんだけどね」
なんだか目の前で、篠崎さんが目を見開いている。目が点的な表情だ。
「それですごすご帰ってきたの? ――根性なさすぎ」
「し……仕方ないだろ? 無理強いも出来ないだろうし」
「それになんで、お姉さんとデートしているのよ? 川原くんが好きなのは伊織なんでしょ?」
「そうだけど。別に遙香さんとは何にもないよ? あるわけないって言うか、実の姉みたいなものだからさ――」
そこで僕は、篠崎さんが嬉しそうな悪い笑みを浮かべているのに気づいた。
「――へぇ、『そうだけど』なんだ。そうなんだ。やっぱり川原くん、伊織のこと好きなんだ」
「――あ」
引っかかった。めちゃめちゃナチュラルに引っかかった。
「カマ、かけたの? 篠崎さん」
彼女は大きく首を縦に振った。「大満足」とでも言うように。
「こんなに綺麗に引っかかってくれるとは思っていなかったけどね。川原くん、真っ直ぐすぎ」
そう言ってニヤニヤと微笑む彼女。それは純粋な笑みで、他意はないみたいだ。
「――伊東さんっていう彼女はいるけれど、実は、川原誠大は南伊織のことがずっと好きでした。――そういうことでいいんだよね?」
「……それで合ってるよ」
僕は両手を挙げて「降参」のポーズを取った。
彼女から咲良に話すこともないだろうし、彼女は信頼できると思った。
混沌に満ち始めたこのフィールドで、仲間に引き入れるべき人間に思えた。
――秘密を語ってでも。
それはきっと正しい選択なのだと思う。
そのことを篠崎さんの笑顔が物語っているように思えた。
「じゃあ一つ、私から言わせて」
「――何かな?」
彼女は机の上に両肘を突くと、身体を乗り出して、少しだけ声を潜めた。
「私、――川原くんのこと、応援してあげる」
「マジで――?」
驚いて彼女の表情をまじまじと見る。笑顔だけど真剣だった。
それはちょっと思っていなかった申し出だった。ありがたい申し出。
「――篠崎さんのメリットは?」
「メリットなんていらないよ。――きっと伊織は、橘くんよりも川原くんと一緒に居たほうが幸せになれると思うから」
「――花京院からはモブ扱いされるし、他の女子からは橘の『超優良物件』に対して『掘り出し物件』って言われているとか聞くぜ」
「そんなの関係ないよ。――伊織の幸せにはね」
そんなもんだろうか?
でも、――そうならいいな、と思った。
その時だった。机の上で携帯のバイブレーション音が鳴った。
「――あ、ちょっとごめんね」
「うん、いいよ」
彼女は左脇に置いていたスマートフォンを手に取えう。
画面をスワイプして、届いたメッセージを読んでいる。
画面を見つめる彼女の瞳が、どこか昏くなった気がした。
スマートフォンを机に置き直すと、彼女は僕の目をじっと見つめた。
その目は、さっきまでとどこか違っていた。
怯えているようでもあった。助けを求めているようでもあった。
――僕の気のせいかもしれないけれど。
「ねぇ、川原くん、ちょっと良いかな?」
「――なに?」
彼女が小さく手招きをする。僕はそれに引かれるように身を乗り出す。
両肘を突いた彼女がそれに合わせるように身を乗り出す。
彼女の顔が近づいてくる。
僕はその意図がわからずに、ただ彼女に言われるがままに待った。
彼女の顔と僕の顔が近づく至近距離。
彼女の左耳のイヤリングが、僕の左頬に触れた。
ゆっくりと彼女の頭が動くのがわかる。
やがて彼女の柔らかな唇が、僕の頬に触れた。
*
僕らは一通りの会話を終え、スタバから新京極通りへと出た。
「――ん〜!」
店の外、篠崎澪が伸びをしている。
三〇分ほど前に、突然されたあのキスが何だったのかはわからない。
僕が「え、今の何?」と尋ねると、彼女は「何でもない。忘れて」と目を伏せた。
「じゃあ篠崎さん、これで解散かな? ――また、明日、学校で」
「あ、ちょっと、待って――」
地下鉄の駅へと歩きだそうとした僕を、篠崎さんが呼び止める。
「――何?」
「これから、まだ、暇? ――デートとか、……しないよね?」
どういうことだろう? 単純にその意図がわからなかった。
彼女は僕と伊織のことを応援すると言ってくれた。
それが無かったとしても、彼女が僕に「気を持っている」ことなんてないだろう。
「うん。――あんまり。伊織の相談したとこだし、――どうして?」
「――ううん。なんでもない」
そう言うと、彼女は僕へと近づいてくる。
そして右手を伸ばして、僕の左手を掴んだ。
「――何? 篠崎さん」
「ちょっとだけ相手をして」
「――え?」
篠崎澪と僕は、今、手を繋いでいる。その意味がわからなかった。
彼女の手に少し力が入る。そしてその手が引かれる。
その形の良い頭が近づいてくる。髪の毛の匂いが鼻腔をくすぐる。
やがてふわふわとした彼女のニットが、僕の胸の中へとおさまった。
彼女の両腕が僕の背中に回される。
「――篠崎さん!?」
「ごめんね――川原くん」
至近距離で見下ろす伊織の親友の表情。
その目は少しだけ潤んでいた。悲しそうに。
刹那。僕は自らの唇に、柔らかくて温かな感触を覚える。
彼女の親友と、僕はキスをした。
裏切りのキスを。突然のキスを。
やがて身体を離すと、彼女は「ごめん、忘れて」と僕に背を向けて駆け出した。
新京極通りの人いきれの中、僕は、ただ呆然と立ち尽くした。
――誰かに見られている気がした。
*
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