第36話 幼馴染の姉とサムライマックなカミングアウト(京都・ライフ太秦店)[2023/1/14 Sat]
雨の中、傘をさした彼女の後を歩く。幼馴染の三歳年上の姉。
クリーム色のコートに包まれた背中は真っ直ぐ伸びている。
大人キレイな雰囲気だ。女性ファッション誌で言ったらCanCam。
やっぱり僕らより年上なんだと思う。遙香さんは、お洒落で、僕らとは違う。
「――と、思いましたが、目的地、ここですか?」
「え? 何? 不満? だってこのあたり、なんにもないじゃん」
そんな遙香さんが僕を連れてきたのは、マクドナルドだった。
地元のスーパー「ライフ」の三階にあるマクドナルド。
雨の土曜日。店にいるのはおじいちゃんおばあちゃんとか、近所の子連れ夫婦。
ところどころ破れたソファ席が布テープめいたもので補修されている。
「――二人っきりの遠出デートでも、期待していた?」
握った両手を口元につける
「いや、そういうわけじゃないんですけど。……せめてスタバとか、ドトールとか」
「スタバは葛野大路四条の京都ファミリーの横でしょ? ドトールだとJR円町駅の横が最寄りだから、どっちにしろ自転車で十分かかるじゃん。しかも、今日、雨だし。歩きで行くとか、『なんでそこまでして〜』って、感じある」
「ま、そうなんですけどね」
「というわけでマクドでいいじゃん」
市外の人から見れば、京都には伝統的かつお洒落なイメージがあるかもしれない。
観光スポットとその回りのお土産屋さん、それからご当地的なスタバとか。
でもそんなのは京都のほんの一部に過ぎない。
大部分の京都はこんな生活臭漂う、地方都市の延長にすぎないサムシングなのだ。
「でもまぁ、連れ出された身としては、――結構、身構えていたわけであり。『センシティブな話を聞かれるんだろうなぁ〜』などと」
「――話してもらうよ?」
「――マジっすか」
僕らはマクドナルドのカウンターに出来た列に並ぶ。
1メートル間隔くらいで、足のマークが貼られているので、そこに並ぶ。
コロナ禍の間に出来たルールの一つだ。
一つの足形のところに二人で立つから、なんとなく僕らは身体を寄せた。
遙香さんは伊織より背が高い。女子にしてはかなり高い方だと思う。
そういう恵まれた身体も、彼女の存在感を大きくしているのかもしれない。
「――どうするの?」
「え? ――何がですか?」
遙香さんはスマホのアプリを翳した。
いきなり核心に触れてきたのかと思ったら、オーダーの話だった。
マクドナルドのアプリだ。クーポンの画面を開いている。
「あ、食べるんすか? コーヒーとかだけかと思ってましたけど。僕」
「それでもいいけど? もうすぐ十二時だよ? お腹減らない?」
「いや、まだ、十一時過ぎですけど?」
僕は朝ごはん食べたばっかりっていうイメージだしなぁ。食べてもいいけど。
「細かいことを言うな、少年。まぁ、無理強いはしないからな。――マクドナルドを食べる覚悟もない童貞は、マックシェイク単品でも飲んでいなさい」
「――いや、まぁ、……童貞じゃないんで」
「うん、知ってる」
――何故か知られていた。
どうして僕は土曜日のスーパーで、非童貞をカミングアウトしているのだろう?
「遙香さん、何、頼むんですか?」
「サムライマックのセット」
遙香さんはアプリを開いたスマートフォンの画面を、クイと見せてきた。
画面を覗き込む。彼女の顔の至近距離に迫った。
伊織に似た――それでいて少しだけ大人びた相貌。
「美味しいの? イロモノっぽいけど」
「期間限定だしね。味とか、しらない。究極、どうでもいい」
「――マジか。とりあえず期間限定に飛びつくタイプっすか? 流行に弱い」
「流行に流されているんじゃないよ。積極的にネタを仕入れてんの。新しいことを経験することは、人生の優先事項だよ、少年。十代から二十代は経験の書き入れ時だからね」
そんなことを今週、成人式を迎えたばかりの彼女が
「そんなもんかね」と思いつつ、「そうなんだろうな」とも思った。なんとなく。
新しい経験。――それに恋人
ほんとどうなんだろうな。しなくていい経験というのも間違いなくある気がする。
目の前のお客さんが会計を終えて、僕らの順番がやってきた。
*
「――なるほどね。そりゃ、伊織もふさぎ込んじゃうわけだ」
一通りの説明を聞き終わった遙香さんは、頷いた。
口をもぐもぐさせながら。
右手にはフライドポテトをつまんでいる。
サムライマックは完食され、その後も遙香さんはムシャムシャとポテトを食べ続けながら、僕の話を聞いていた。
トレイに広げられたLサイズのフライドポテトはほとんど消えている。
これだけ食べて、このスタイルを維持できるって、どうなっているんだろうな。
「――あんまり、驚かないんですね」
「なんで?」
「いや、伊織も結構ダメージ受けていたし、結構、腹たつじゃないすか」
「あー、そういう。うーん、まぁ、大学でもよくあるからね」
そう言って遙香さんは、右手に摘んでいたポテトにケチャップを付ける。
口の中へとねじ込むと、もぐもぐと口を動かした。
「大学って、どんなにハードなんすか……」
「まぁ、うちのサークルとかだけかもしれないけどね〜」
この前も恋人
大学って、どんな修羅の国なんすか? 姉上さま。
ちなみに、遙香さんの行っている大学は、京都の名門大学である。
どうなってるんだよ、ジャパン。
「――それで、誠大くんはどうすんの?」
「どうすんの……って」
「だから、うちの伊織に本格的に乗り換えるのかどうか、ってことだよ。その咲良ちゃんって女の子からさ」
大変踏み込んだ話に、遠慮なく足を突っ込むと、彼女はカップに口を付けた。
それは今の僕にとって、とても本質的な問いだった。
橘に啖呵を切られて、売り言葉に買い言葉みたいな感じで決心したようにも思う。
でも咲良と別れることができるのかと聞かれたら、即答で頷けるわけでもない。
――そんなことは遙香さんにだって、正直に言うわけにはいかないけれど。
「――遙香さんは、――応援してくれますか? 僕が伊織を好きで、橘から奪いたいと言ったら?」
僕は小さな声を、絞り出す。
自分のホットコーヒーを両手で支えながら。
遙香さんはソファに背中を預けて足を組むと、にんまりとした笑顔を浮かべた。
「――もちろん。――私だけじゃないさ。うちはお母さんだって誠大くんこと好きだからね。――昔から」
家族みたいなもの。南家における僕は、そういう存在だった。
志保さんはお母さんというより大きなお姉さんみたいで、そして僕の憧れだった。
「でもね、誠大くん。私だって中途半端はあまり好きじゃない。誠大くんが、いつまでも伊織と、その咲良ちゃんの二股みたいな状況を持続させるようなら、――応援はできなくなるな」
遙香さんは机の上に右肘を突くと、その手の甲に顎を乗せた。
「――さぁ、どうする?」 そう問いかけるみたいに。
ほんと近所のスーパーのマクドナルドで、土曜の昼にする話題じゃない。
「分かっていますよ。――だから、本当なら即答したいんですけど。――やっぱり、相手のいることなんで、……少し時間をください」
「いつまで? 週明けまで?」
「――遙香さん。――それは」
「あはは。冗談だよ。――わかったわかった。まぁ、待つよ。続報をね。でも――」
紅茶のカップを机に置くと、遙香さんは目を細めた。
「――伊織は待てないかもしれないよ。心は時間の中で変化し続けるものだからね。――そして思いの外、脆いものさ」
「それは、分かっているつもりです」
本当は今日、会いたかった。伊織に会って、その様子を知りたかった。
でも伊織に拒絶されたら、それも叶わない。
それでも僕は信じている。少し休んだ彼女が、また心を開いてくれることを。
またすぐに伊織は戻ってくる。その時までに僕は僕の準備をしよう。
ふと顔を上げると、遙香さんと目があった。
また彼女は、ニヤニヤと笑みを浮かべていた。
「――青春だねぇ。――少年」
「放っといてください」
茶化されているのがよく分かった。
いつだって僕は遙香さんには敵わない。
彼女にとって僕らは手のひらの上で転がるような存在なのだ。きっと。
――でもそれはちょっと癪だな。
そう思った時に、僕の脳内に、その情景がフラッシュバックした。
月曜日。成人の日。ホテルオークラの駐車場で見た、彼女の姿が。
「――遙香さん。――一つ聞いていいですか?」
「なんだい? 改まって」
彼女は最後のポテトを口の中に入れて、紅茶で流し込む。
紙ナプキンで、指先と口周りを拭った。
僕は息を一つ吸う。
これこそ近所のマクドナルで話すような話題じゃないのだけれど。
「――月曜日のホテル。車の中で誰かと会ってましたよね? 相手、誰ですか?」
遙香さんがカップを机に置いて、顔を上げる。
目がゆっくりと開かれる。
彼女が少しずつ真顔になっていくのがわかった。
「――これは驚いたな。もしかして、――見たのかな? 誠大くん?」
「ええ。――あ、わざとじゃないんですよ。遙香さんが出ていってなかなか戻ってこないから、僕が探しにいって。そうしたら駐車場の車の中で、誰かと……」
そこまで言って、僕は口を噤んだ。
その先をここで口にして良いかどうか、わからなかったから。
「――相手の顔は、――見えたのかい?」
「――いえ、それは」
僕が否定の意味の返答を返すと、遙香さんはあからさまに安堵の溜息を漏らした。
――僕に知られたら困るような相手だったのだろうか?
不倫? 浮気? セックスフレンド? それとも僕の知っている人?
「じゃあ、いい。――今は忘れてくれ。――私も不用意だったよ。義理の弟になるかもしれない誠大くんに、とんだ痴態をみられていたかもしれないんだな」
「――義理の弟は、気が早すぎますよ」
相手は誰だったのだろう?
この様子だと遙香さんは教えてくれないだろう。
だから諦めかけた。
「――気になるかい?」
「そりゃ、まぁ、……もちろん」
伊織の姉というだけじゃなくて、遙香さんは僕らのスターみたいな存在なのだ。
だから彼女が恋愛している相手がどういう人物なのかは興味があった。
そしてできるなら、あの時の相手が、ただのセックスフレンドだとか、そういうのでなければいいな、と思った。
「――いつか、誠大くんにも教えてあげるよ。――その時が来たらね。――少年が本当に大切なものを、手に入れた時にね」
そう言って遙香さんは視線を窓の外に向けた。
窓の外には天神川通りが南北に走っている。
視線を北に動かすと、そこには双ヶ丘の二山が、仲良さそうに鎮座していた。
*
スーパーの出入り口で手を振って、遙香さんと別れる。
一人になった僕は、ポケットの中からスマートフォンを取り出した。
LINEを開くと、一件のメッセージが入っていた。
【篠崎澪(しのざきみお)】
〉川原くん、明日、二人で会えないかな?
〉伊織のことで、ちょっと話がしたいんだけど。
〉大丈夫なら教えてね! 四条でも京都駅でも出ていくから。
――思いがけない相手。
僕はすぐにLINEの音声通話ボタンをタップした。
そしてスマートフォンを左耳へと押し当てる。
何度かの呼び出し音が鳴って、電話口にはクラスメイトの女の子が現れた。
『――もしもし。――川原くん?』
「うん。――篠崎さん、どうしたの?」
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