第38話 僕らの密約と交際関係の変質(川原家・自宅~学校・視聴覚教室)[2023/1/16 Mon]

 1月16日の月曜日の朝が来た。

 伊織に会えないまま、週末が終わった。

 ――LINEですら話せないまま。


 カレンダー的には、一月がもう半分が終わった。ちょっと唖然。

 1月5日から始まった恋人交換スワップ期間はまだ半分以上あるけれど。


 土曜日。南家まで行ったけれど、遙香さんに言われて伊織に会うことを諦めた。だから最後に会った木曜日から、伊織がどうしているのかわからない。

 

 あの時、遙香さんに、もう少し食い下がるべきだったのかもしれない。

 伊織がどうしているのか? 何を思っているのか? もう泣いていないのか? それだけでも確認したかったし、「僕は味方だ」とはっきり伝えるべきだった。

 ――だったかもしれない。


 だけど「僕は味方だ」と伝えたとして、その言葉にどれだけの重みがあるだろう?

 彼女の部屋に入った僕は、はっきりと言えるのだろうか? 自分の思いを。

「伊織、君が好きだ。――咲良よりも」

 そう言うだけの決心を、僕は持てているのだろうか?

 咲良を振り切ることに、迷いやためらいはないのだろうか? ――本当に?


 最近、咲良とちゃんと話せていない。伊織と話すことが多い。

 だから、ただ、伊織に引っ張られているだけ。――そんなことはないだろうか?

 ――単純接触効果。

 日常的に会ったり、話したりする相手に対する好感度が高まる現象だ。

 心理学ではよく知られているし、恋愛指南みたいなネット記事にもよく出てくる。


 ――だめだな。僕は。

 いつも行動の前に考えてしまう。分析者めいて、傍観者めいて。

 それが僕をいつまでたっても前に進めない人間にするのだ。

 人は行動しなければならない。決断しなければならないのに。


 階段を降りて、ダイニングに入ると、絵里奈の方が先に起き出していた。


「――あ、おはよう。お兄ちゃん」

「うっす。おはよう」


 絵里奈はなんだか朝から楽しげな雰囲気をまとっている。

 表情も心なしか明るい。何か良いことでもあったのだろうか?

 ――そういえば、と思い出す。


「そういえば昨日、どこに行っていたんだ? 帰ってくるのちょっと遅かったみたいだったけれど?」

「え? あー、勉強だよ? 普通に。――図書館で自習した後、カフェで続きをやっていたの。――ちょっと大人っぽいでしょ? ――あ、目玉焼きいる? お兄ちゃんの分も作ろうか?」

「頼むよ。――カフェって。――家でやったらいいじゃないか? 友達と一緒とかか?」

「うーん。……まぁ、そんな感じ?」


 キッチンのガスコンロ横から顔を出すと、絵里奈は首を傾げて見せた。

 なんだかはぐらかされている感じがあった。


 もしかして、彼氏とかだろうか?

 とはいえ、彼女にだってプライベートはある。もうすぐ高校生なのだ。

 きっと一緒に勉強した相手との時間が楽しかったのだろう。

 だから朝から機嫌がいいのだ。


 ――果たして、それはなのだろうか?


 良くない妄想を膨らませかけて僕は首を左右に振った。

 自分の妹に関して、そういうことを考えるのは良くない。

 非倫理的な自分たちの行動から生まれる価値観。

 そんな世界観から生まれる疑いを妹にまで敷衍するのは控えるべきだろう。


「今日は、伊織お姉ちゃん、迎えに来ないの?」

「あ、――うん。きっと来ないんじゃないかな?」

「喧嘩でもしたの?」

「――違うよ。週末から体調不良なんだよ、伊織。言ってなかったっけ?」

「なんか土曜日に聞いた気がする」


 伊織と喧嘩はしていない、――と思う。

 

「体調不良って、……コロナじゃないよね?」

「違うと思うけど?」


 最近だとそう考えるよね。「体調不良」って聞くと。


「あれ? まだ検査していないの? 抗原検査も、PCRも?」

「知らん。っていうか、まだLINE繋がらないんで」

「え? 伊織お姉ちゃんから、土日もずっと返事ないの?」


 伊織がキッチンから飛び出してきた。驚いた顔で。

 ガスコンロの方からは目玉焼きが焼かれ水分の蒸発する音が聞こえる。


「あ、うん。既読もつかないんだよな」

「――やばくない? やっぱりお兄ちゃん、伊織お姉ちゃんのこと怒らせたんじゃない? 知らない内に」

「うーん、やっぱりヤバいよなぁ」


 休日。遙香さんに会って、それから篠崎さんと会って、なんとなく時間が流れた。

 そんな中で、頭の中にあった不安は少しずつ薄れていた。

 だけど、やっぱり、――ヤバいのだ。

 理由がわからないと不安が襲ってくる。


 もしそうなら、理由はなんだろう? 僕は何か彼女を傷つけたのだろうか?

 考えはじめると思い当たることがありすぎて、余計にわからなくなってくる。

 きっと水曜日と木曜日の事件で傷ついて休んでいるのだ。

 そういう説明が一番当たり障りがない気もした。

 ――普通の女の子なら。

 

 でも伊織なんだ。

 あいつはそんなに弱い女の子じゃない。

 少なくとも僕はそう信じている。だから――

 ――また僕の知らない何かが、蠢いているのかもしれない。


 僕と絵里奈は朝ごはんを食べて、一緒に家を出た。


 冬が深まる1月中旬。曇りのち晴れ。朝の最低気温は8度の京都。


 伊織は今日もやっぱり迎えに来なかった。



 *



 京都駅前から市バスに乗る。

 ――なんだか気分がむしゃくしゃしていたから、やってやった。

 230円で身体的な楽さを買ったわけである。

 バスに乗るなんて、別に普通のことだけど。

 この区間で230円使うのは、やっぱり富豪のやることだと思う。


 バスの中から、外をぼうっと眺める。

 自分と同じ制服を着た生徒たちが、てくてくと歩いている。

 それを追い越していく京都市営バス。

 変に感じる優越感。

「見ろ! 人がゴミのようだ!」

 そういったムスカ大佐の気持ちがわかる気がした。

 230円だけど。


 八条通りを西へ。そこから左折。

 東側の歩道に見知った二つの姿を見つけた。


 橘遥輝と伊東咲良。

 幼馴染の本当の彼氏と、僕の本当の彼女。


 もう一組の交換スワップ恋人たちが並んで歩いていた。

 二人一緒に登校しているみたいだ。――仲良さそうに。


 バスの中から見えた、楽しそうな咲良の笑顔。

 口に手の甲を当てて、笑っている。

 僕の胸は締め付けられた。



 *



 朝、教室に入ると、篠崎澪は登校していた。

 彼女は伊織とは違う別の友だちの机に近づいて、その子と話していた。


 別に彼女だって伊織を、裏切っているわけじゃない。

 彼女には伊織しか友達がいないわけじゃないから。

 伊織が休んでいたら、他の誰かと話すのは当たり前だろう。


 僕に気づいて振り返った。篠崎さんと目があった。

 その瞬間、昨日のことを思い出した。彼女が僕とシタこと。

 頬に当たったイヤリング。唇に触れた彼女の柔らかな感触。


「……あ」と、彼女が小さく漏らした。

 きっと彼女も同じなんだと思う。


「――おはよう、篠崎さん」

「あ、――うん。おはよう。今日も伊織は休みなのかな?」

「みたいだね。心配だけど」

「そうだね。――心配だね」


 それだけ言って、彼女は友達との会話に戻った。

 ――昨日のことにはお互い触れない。

 そういう約束が、この一瞬のやりとりで出来上がった気がした。



 *



「――ちょっといいかしら?」


 昼休みになってパンを食べていると、思わぬ来客があった。

 栗毛のお嬢様は、誘いに来るときでさえ、何故か腕を組んでいて偉そうだ。


「――いいけれど」


 誰かと一緒に昼食を食べる約束も無かったし、僕はゆっくり立ち上がった。

 教室から出るように促されたので、僕は彼女の後ろをついていく。

 肩で風を切って歩く彼女。

 後ろから見ていると、とにかく姿勢が良くて感心した。

 ――まぁ、偉そうなのだけれど。


「――それで、なんで視聴覚室教室? 勝手に入っていいの?」

「大丈夫よ。先生の許可は取ってあるから」


 そう言って花京院は、細長いキーホルダーが付いた鍵をぶら下げて見せた。


「――昼休みに生徒同士でプライベートな話をするためだけに、わざわざ特別教室の鍵を借りるやつが、どこにいるんだよ?」

「あら? ここにいるわよ? だって他の人に聞かれて困ることもあるでしょう?」


 彼女は吊り気味な目を悪戯っぽく細めた。

 やっぱり花京院は変な奴だ。

 一年の頃、しつこく伊織に嫌がらせをしかけていた時には、本当に面倒なやつだと思っていたけれど、意外と面白いところもあるのかもしれない。

 ――まぁ、伊織を傷つけたことは、全部許さないけどな。


 視聴覚教室は映像を使った授業のために作られた防音性能のある教室だ。

 特にコロナ禍が起きてからは、映像配信機能も付け加わって、ZOOMを使った遠隔講義なんかにも使われる。あとその派生で、映像の収録なんかにも最近はよく使うらしい。


「――それで用件はなんだよ?」

「用件ってほどでもないのだけれど。直接、会って、話しておきたくて。――あなたと」


 階段状の教室。そのど真ん中。

 少し高い位置に立って、彼女は腕を組んだ。


「――ねぇ、川原誠大くん。――私と手を組まない?」

「――僕と、――花京院が?」

「そう、あなたと私で手を組むの」


 花京院眞姫那。学年きってのお嬢様。

 奇怪な行動もあるけれど、学園における彼女の地位は高い。

 そんな彼女が僕へと「同盟」を申し入れる。


「私はあなたを応援する。あなたが南伊織を橘くんから奪うことを。――だからあなたも応援して。私が南伊織から――もしくは伊東咲良から、橘くんを奪うことを」


 綺麗な栗毛の髪をさらりと払うと、花京院眞姫那は僕を真っ直ぐに見つめた。



 *



【転生聖女】



 〉[画像]〈南伊織が海水浴でビキニを着ている写真〉



 〉[画像]〈南伊織が多くの男子と楽しそうに歩いている写真〉



 〉[画像]〈南伊織と橘遥輝がキスしている写真〉




【転生聖女】


 〉LINEでは、はじめまして。川原誠大くん。

 〉君のことは、ズッと、見ているよ。




【転生聖女】


 〉[画像]〈南伊織と川原誠大が抱き合っている写真〉



 〉[画像]〈川原誠大と篠崎澪がキスをしている写真〉



【転生聖女】

  

 〉素敵な高校生活だね。だけど、君はもうすぐ全てを失う。


 〉でも君は、その後で、たったひとつの光に気づくんだ。


 〉それは、聖なる光。


 〉そして、本当の愛。









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