第39話 転生聖女と天才少女(学校・教室〜京都・京都駅前予備校)[2023/1/16 Mon]

 ――転生聖女てんせいせいじょ? なんだこれ?

 

 放課後になって、そのLINEメッセージに初めて気づいた。

 月曜日の今日は予備校がある。

 だから時間を確認しようと、スマートフォンを取り出した時に気づいた。


 履歴を遡る。日曜日の夕方にLINE IDを使って友達登録されていたみたいだ。

 ざっとスワイプする。写真がいくつも送られてきていた。


 伊織の海水浴ビキニ写真。

 修学旅行で伊織が男友達と一緒に歩く様子。

 そして橘と伊織のキスシーン。

 

 それらは全て、黒板に張り出されたものだった。先週、木曜日の朝に。

 伊織を傷つけて、学校に来れなくした写真たち。


 ――続いて、メッセージ。


『LINEでは、はじめまして。川原誠大くん。君のことは、ズッと、見ているよ。』


 背筋が指先で撫でられたような感覚。怖気が走る。

 ストーカー? 僕を監視する存在であることを印象付けようとしている文面。

 

 この三つの写真は、木曜日の事件との関係性を示唆しているのだろうか?

「転生聖女」というのが木曜日の犯人だと推論してしまいそうだ。単純に考えれば。


 でも僕と伊織の写真は女子のLINEグループなんかで出回ってたと聞く。

 これらの写真だって同じである可能性もある。


 ――そこれは彼方にでも、また聞いてみるか。


「転生聖女」という名前は「なろう小説」的なネーミングだ。

 もちろん本人が異世界から転生した聖女であるはずがない。

 ふざけた名前。だからこそ愉快犯らしいアカウント名と言ったところか。


 でもそこに、なんらかの意味が込められているような気もする。

 それもまたフェイクであり、LINEの向こう側にいるのは男という可能性もある。

 いずれにせよ、なんだかとてもサイコパスな匂いがする。


 次に送られてきていたのは、僕と伊織が抱き合っている写真だった。

 この写真こそすでに学園に出回ってしまったという写真だ。

 だからこの写真を送ってきたからといって「転生聖女」が犯人だとはならない。

 この写真を使って「転生聖女」が木曜日の犯人の振りをすることも可能なのだ。


 改めて写真を見る。客観的に見て、やっぱり恋人同士にしか見えない。

 撮影した人間が上手いのか? それとも本当にそんな雰囲気になっていたのか?

 だから、これを見た咲良がショックを受けたということには納得できた。

 咲良への言い訳をすぐにしなかった自分の行動が悔やまれた。


 ここまでは僕もこれまでに見たことのある写真だった。

 だけど最後の写真は、僕の脳を貫いた。


 それは僕と篠崎澪がキスをしている写真だった。

 一瞬、なぜそんな写真が存在しているのかわからなかった。

 昨日の記憶を手繰り寄せる。


 篠崎澪は、スマートフォンのメッセージを見た後、突然顔を寄せてきた。

 イヤリングが頬に当たって、それから唇が触れた。

 スターバックスコーヒーを出て、新京極通の人混みの中。

 彼女が僕の背中に腕を回し、唇が塞がれた。

 

 あの時は意味がわからなかった。

 どうして僕に恋愛感情も持たない彼女がそんなことをするのか?


 でも今なら、わかる気がした。

 ――篠崎澪はきっと「転生聖女」に操られていたのだ。

 理由はわからない。


 もちろん篠崎澪自身が「転生聖女」である可能性も考えられる。

 でもその線は薄いように思えた。 

 彼女が「転生聖女」であるためには、写真を撮影するもうひとりの存在が必要だ。

 メッセージを受け取ってから表情を曇らせ僕にキスした流れも説明がつかない。


 やはり彼女が「転生聖女」に操られていたと考えるのが筋だろう。

 昨日、彼女が受け取ったメッセージは「転生聖女」のものだった。

 脅されていた篠崎澪が僕の頬にキスをした。

 カフェを出てからの抱擁と口吻は、「転生聖女」によってカメラに収められた。


「転生聖女」からのメッセージは次のように締めくくられていた。


『素敵な高校生活だね。だけど、君はもうすぐ全てを失う。でも君は、その後で、たったひとつの光に気づくんだ。それは、聖なる光。そして、本当の愛。』


 ――なんだかポエムなメッセージだな。


 不可解で、奇妙なメッセージ。

 読んでいて心は落ち着かなかったけれど、頭は冷静だった。


「素敵な高校生活」

 それはこの流れから察するに、女性関係のことを指しているのだろう。

 伊織のこと。――そして篠崎さんのこと?

 でも篠崎さんのこと自体は「転生聖女」自身が仕組んだことだとすれば、「素敵な高校生活」の含意に篠崎澪との関係が含まれるのは不自然だろう。


 それならばきっと「恋人交換スワップ」のことを指しているんじゃないだろうか?

 木曜日の事件の犯人が「転生聖女」だとして、あれは明らかに水曜日の橘による「恋人交換スワップのカミングアウト」を切っ掛けとしていたと思うから。


 木曜日の攻撃も四人いる中で伊織一人をターゲットにしていた。

 咲良に関してはただ「転生聖女」が写真を持っていなかったということも考えられる。でも人を貶めるのに使えるのは写真だけではない。

 そう考えると咲良の話題がまるでないのは、何かを意味しているようにも思えた。


 ――まさか咲良が「転生聖女」?


 可能性が一瞬頭を過ぎったが、僕は首を振ってその考えを追い出した。

 さすがにそれはないだろう。

 咲良ならこんな手の混んだことはしない。

 真っ直ぐ僕を問い詰めるだろう。

 この前、LINEコールで話したみたいに。


 となると「転生聖女」は伊織と僕に対して特段の執着を持っている第三者?

 ――それは一体、誰なのだろう?


 そもそも「転生聖女」が僕の知っている人間であるとも限らない。

 別にLINE IDなんて知り合いじゃなくても入手可能だ。なんとかなる。

 もし「転生聖女」が僕の知らない人間だとしたら、推理しても犯人なんてわかりっこない。


 ――君はもうすぐ全てを失う。


 それはどういう意味だろう?

 ふと中学時代のことを思い出した。

 あの頃の僕は、ほぼ全てを失っていた気がする。


 ――たったひとつの光。聖なる光。本当の愛。


 すぐに思い浮かぶのは、伊織のことだった。

 咲良を失い、伊織と結ばれる。それがたった一つの光で、聖なる光。

 ――そして、本当の愛。


 そのように読解していいなら、話は簡単だ。

 僕にもその未来なら、もはや容易にイメージできる。

 でもその解釈は、これまでの文脈に合わなかった。

 ――「転生聖女」は伊織を攻撃しているのだから。


 それならこの「たったひとつの光」「聖なる光」は何を意味しているのだろうか?

「本当の愛」ってなんだ?

 そのままの意味か、それとも何かのメタファーなのか?


「――わかんねぇよ」


 スマートフォンをポケットに仕舞う。

 一人で考えていても埒が開かないように思われた。 

 かといってこれは誰にでも相談できるような内容ではない。


 一瞬、咲良に相談しようかと思ったけれど、篠崎澪とのキスシーンの写真を彼女に見せたり、その経緯を話すことは気が引けた。伊織への相談も同じだ。

 橘へ相談するという線も無くはないが、やはり避けたかった。あいつにこういう機密情報を見せたらどう利用されて操作マニピュレートされるか分かったものではない。それに橘が「転生聖女」だという可能性も否定しきれなかった。――橘の思考や行動は予測不能な領域にあるから。


 そう考えると、僕が相談できる相手なんて、一人しか思い浮かばなかった。

 スマートフォンの画面で時間を確認する。

 予備校の授業開始時間が迫っている。


 僕は机の上に置いていた鞄を手にとって、教室を後にした。



 *



「――これは、――なんだか、――すごいね」

「だろ? ガチでストーカーっていうか」


 予備校の自習スペース――フロンティアホール。

 僕と彼方は、授業が終わってから自習のために居残りをしていた。

 そこでLINEを開いて彼方に相談したのだ。

 宮下彼方は中学時代からの親友。

 恋人交換スワップなんて異常事態にあっても、変わらない僕のオアシス。


 彼方はじっと画面を見つめたまま、右手の拳を口元に付けた。


「誠大くんは、本当に心当たりないの? なんだかこの『転生聖女』さん、誠大くんのこと知っているし、なんならストーカーするくらいに好きみたいなんだけど?」

「全然ないよ。――やっぱり。ターゲットは伊織じゃなくて、僕なんだよなぁ」

「全然ないんだ……。――うん。どう考えてもね」


 伊織の写真が多かったから、写真だけなら中心は伊織とも取れたけれど。

 メッセージははっきりと告げていた。僕のことを「ズッと見ている」と。


「ところで篠崎さんとのキスはどんな感じだったの?」

「――彼方ぁ。――これは罠に掛けられたみたいなもので、事故だよ、事故」

「大変だねぇ、色恋沙汰の多いアオハルなリア充くんは」

「あのなぁ。――僕がもともとそういうのじゃないっていうのは知っているだろ?」

「『そういうのじゃない』って、自分で距離を取っていただけでしょ? 素材はいいのにさ」


 なんだか彼方は頬を膨らませて、拗ねたように顔を横に向けた。


「――伊東さんと付き合ってから誠大くんは変わったよ。――遠くに行っちゃった」

「――何か言ったか? 彼方?」


 彼女が小声で漏らした言葉が、ちょっと聞こえなくて、尋ねた。

 彼方は「なんでもないよ」と首を振った。

 それから小さく舌を出した。「あっかんべー」をするみたいに。

 ――なんなんだよ、まったく。


「でも、一体、誰なんだろうな。この『転生聖女』って」

「誰なんだろうね。――だけど知りたいんなら、LINEコールでも鳴らしてみたらいいんじゃない?」


 彼方が何気なく返した言葉は、僕の頭脳を落雷のように打った。


「――彼方、……おまえ、天才か?」

「え? いやいや、普通、思いつくでしょ……?」


 まさに、灯台下暗し、だ。

 人間は当たり前のことにしばしば盲目になるものだと、変に納得してしまった。


 ではさっそく、とLINEの画面を開いて、受話器のアイコンをタップする。

 スマートフォンを左耳に当てると、呼び出し音が鳴り始めた。

 耳を澄ませる。そのまま、三〇秒ほど、――待つ。


「――だめだ。出ないわ」

「だろうね。犯人はそんな簡単に姿を見せたりはしないよ」

「――だめじゃん」

「でも分かったこともあるんじゃない?」

「――例えば?」


 僕が尋ねると、彼方は頬杖を突いて、首を傾けた。


「少なくとも、今、フロンティアホールにいる予備校の生徒たちは犯人じゃないってこととか?」

「――おまえ、天才か?」


 褒め称えると、彼方は少し恥ずかしそうに破顔した。


「まぁ、そういうわけだから、学校でも時々LINEコールを鳴らしてみるといいよ。単純なやり方だけどさ。その生徒のスマートフォンが鳴れば、その子が『転生聖女』だってこと」

「――まぁ、犯人もそこまで不用心じゃないとおもうけどな」

「それでも『やらないよりまし』――でしょ?」

「――そうだな」


 まったくその通りだ。


「ありがとう、彼方。なんだか相談できて随分と楽になったよ。サンキューな」

「どういたしまして。こんな僕でお力になれるならいつでも」


 そうやって微笑む無垢な笑顔。

「やっぱり宮下彼方は天使だな」って思った。



 *



「じゃあ、僕、ちょっと約束があるから今日はこれで帰るね」

「――おう、じゃあな」


 テキストと筆記用具を片付けると、彼方がコートを手に立ち上がった。

 いつもなら後、三〇分くらいは粘るのだけれど。

 

「僕は、もうちょとやっていくよ」

「――うん、頑張ってね」


 彼女は僕をまっすぐ見て笑顔を浮かべた。僕を勇気づけるみたいに。


 昨日の午前中、彼方と一緒に解いた大学入試共通テストの問題。

 僕の得点は彼方よりもずっと悪かった。


 大学入試共通テストは三年生が受けるテスト。

 だから今の時点で高校二年生の僕らが解ける必要はない。

 それはそうなのだけれど、範囲としては終えている問題も多かった。

 だから彼方との得点差に、僕はちょっとした危機感を与えた。


 高校二年生の間、咲良との恋愛に時間を取られてきたことは否めない。

 本来なら勉強に充てるべき時間を、彼女を抱く時間に充てていたかもしれない。

 漫画みたいに「愛の力」で成績が伸びればいいのだけれど。

 騙し騙しこなす日々の勉強を通して、成績は微妙にずるずると下がっていた。


 そんな中での「恋人交換スワップ」だ。

 余計に精神も時間も奪われる。

 だから意識して取り戻さないといけない。

 彼方に置いていかれるわけにもいかない。

 伊織と付き合ったから成績が落ちた、と誰かに思われるのも癪だった。


 一人になった僕は少し気分転換にと立ち上がる。

 自動販売機でホットコーヒーを買うと、温かい缶を手に窓際へと近づいた。

 大きな窓からは、京都駅前の八条通と、予備校前の歩道が見えた。

 

 夜の街に、見知った背中が見えた。

 それはさっき別れたばかりの彼方だった。

 コートを羽織った彼方が、肩に鞄をかけてアスファルトの上を行く。


 彼女は横断歩道の方向へと、真っ直ぐに向かっていった。

 青信号の横断歩道へと到着する。

 だけど彼女はそれを渡らず、その手前で左に折れた。

 そして横断歩道脇に立つ、電信柱の前で足を止めた。


 電信柱の下には誰かが立っていた。

 それが誰なのか、僕にはよく見えなかった。

 目を細める。なんとかそれが誰だか識別しようとして。


「――橘?」


 それはどことなく橘遥輝に似ているように思われた。

 でも、そうだという確信は無かった。


 そもそも彼方は橘を毛嫌いしている。

 だから彼方の「約束の相手」が橘だということは考えにくい。


「――誰なんだろうな」


 いくら親友だとはいっても、あまり詮索しすぎるのも良くない。

 僕はプルタブを開けた缶コーヒーを口に含むと、ガラス越しの世界に背を向けた。


 フロンティアホールの白い空間。

 自分の座席へ戻ろうと、歩く。


 その時、僕の視界が女性の姿をとらえた。どこか見覚えのある女性。

 無意識に立ち止まる。その彼女を見つめたまま。


 僕の視線に気づいたのか、その女の人は顔を上げた。

 フロンティアホールの空中で、視線がぶつかる。

 彼女は僕の視線を受け止めて、不思議そうに首を傾げた。

 ――誰だろう? そう言うみたいに。


「――生徒会長?」


 それは中学時代に僕の学校で生徒会長をやっていた先輩だった。

 そして現国の吉原先生と噂になって、先生が退職する理由になった女子生徒。

 お正月に近所のドラッグストアで吉原先生と仲良さそうにいた大人っぽい先輩。


「あ……、君、同じ中学だった子だ。覚えているよ。――えっと」


 先輩は人差し指の背を鼻の頭に当てて目を細める。

 そして思い出したように手を打った。


「名前に『雲丹ウニが足りない』子だ……!」

「――川原誠大です」












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