第54話 一夜の疑惑と重ねた嘘(学校・体育館裏)
「……授業始まってしまうよ? 伊織」
「うーん、でも、まだ時間あるんじゃない?」
先を歩く幼馴染は、背中の下で両手を組む。
彼女が「少しだけ話しをしよう」というから、僕はここまでやってきた。
咲良は「私、先に行っているね」と校門で手を振り、去っていった。
「――それで昨日はちゃんと話せたのかな? 咲良ちゃんに」
伊織は振り返った。体育館裏の細道で。
その表情は穏やかだった。
怒りを隠しているとか、そういう様子でもなかった。
僕には伊織の笑顔が作られたものか、そうでないかがわかる。
幼馴染の特殊スキルだ。
先週の木曜日、朝、僕を迎えに来た時に、彼女が作っていた笑顔は作られたものだった。学校で辛いことがあったのに、気丈に登校しようとしていた時の笑顔。
今日の笑顔はそういうものではなさそうだ。
だからわからなかった。
咲良と一緒に登校してきた僕のことを、どれだけ疑っているのか。
「……そのことなんだけどさ、――伊織。……ごめん、言えなかった」
僕は正直に話すことにした。
咲良に言えなかったことに関しては。
過剰な嘘は、身を滅ぼしてしまうと、知っているから。
「――うん、そうだよね。校門で二人の様子を見てたら分かった。別れ話をした次の朝に、あの雰囲気は、さすがに無いもんね。――変わらず素敵な恋人同士って感じだったし」
「――伊織。――ごめん」
彼女は目をくりっと見開く。そして唇を突き出した。
「何、真剣になってんの、誠大? 私は全然大丈夫だよ? 昨日の朝だって言っていたでしょ、『無理はしなくていい』って」
「――でも」
確かに伊織は言っていた。
――慎重にね? 私も、咲良ちゃんを傷つけたくはないから。私はもし関係を変えるにしても、恋人
伊織の言っていたとおりになったわけだ。
結局、僕は伊織の予想の範囲の、優柔不断な男子でしかないのだろう。
「咲良ちゃんと誠大の関係は、そんな簡単に解消できるようなものじゃないんだよ? ――知っているもん、誠大が咲良ちゃんと出会って、少しずつ自信を、――川原誠大らしさを取り戻していったことを」
「――伊織……」
彼女は目を細めて、見えない遠くを眺めていた。
「ま〜、正直、私は、どっちでもいいんだけどねー。私には橘遥輝っていう優良物件イケメン彼氏がいるわけだから〜。誠大がどうしてもっていうなら、ワンチャン乗り換えを考えてあげなくもないけれど。私は遥輝と付き合い続けても全然問題はないわけで〜」
「お前なぁ。――それ本気で言ってんの?」
両手をお尻の上で組んだまま、体育館の壁に背を預ける伊織。
僕の幼馴染が、少しだけ首を傾げた。ボブヘアが流れる。
「誠大は、本気で言ってんの? 私を橘遥輝から奪いたいって?」
「――それは、――そのつもりだけど」
思わず口ごもってしまう。
本当は「当たり前だ」と断言したかった。
でも、昨日の不甲斐ない自分が、躊躇いを生む。
結局、咲良に別れを告げられなかった自分の弱さが、疑いを生む。
自分の自身がどれだけ伊織のことを本気で好きなのか?
それとも踊らされているだけではないのか?
――橘遥輝の準備したこの恋人
「意地悪なこと言っちゃったかな?」
「――いや、別に。伊織は間違っていないよ」
「でも、誠大。――告白は本当に嬉しかったんだよ? ――幼稚園からずっと幼馴染で、それでそんなこと言ってくれたこと、今回が初めてだったし」
「そうだっけ? ――そうだよな」
「そうだよ。ずっと――。――初めてだったよ」
そう言うと、伊織は少し上目遣いに僕を見上げた。
「だから焦らなくていいんだよ。恋人
南伊織はそっと視線を逸らした。
中学時代、父親を失って、色々とあって、伊織とも橘とも縁を切った。
それから学校を休みがちになって、彼方以外の友達はいなくなった。
でもそれじゃあいけないと、高校デビューしたけれど、元通りにはいかなかった。
今みたいな本調子に戻ったのは、高校二年生の春頃からだ。
咲良と付き合いだして、僕は自分らしさを取り戻したのかもしれない。
でもそれはただのタイミングの一致であって、咲良がいなくなればまた中学時代に戻ってしまうというわけでもないと、思うのだけれど。
「――それは大丈夫だよ。――僕だって乗り越えたんだから。――南家だってそうなんだろ?」
「うちは意外と引きずってるよ?」
「――そうなの? この前、行った時には全然そういう風には見えなかったけれど」
「ふふふ。まぁ、今の南家は女の園ですからね。誠大、女の裏表を甘くみたら、怖い目を見ますよ〜」
「なんだよそれ。あ、ここは『お〜こわ〜』とかリアクションしておくところか」
僕は両手を上げて見せると、伊織は「何よそれ」と溜息をついた。
「完全に吹っ切れていたら、お姉ちゃんが一人暮らしなんかしていないわよ」
「――何か言ったか? 伊織」
「……ううん、なんでもない」
伊織が小さな声で呟いた言葉が、僕にはよく聞き取れなかった。
「――吹っ切れたといえば、宮下くん……じゃなかった、彼方ちゃん。彼女はやっぱり偉いね。――もう本当に女子だもん」
「ああ、そうだな。彼方は偉いよ。難しい人生の決断を乗り越えて、それで今はあいつらしく生きているんだもんな」
それに比べて僕は、――と思う。
彼女が出来て調子に乗って、それで何も決められない優柔不断のままなのだ。
「それで、昨日はどうして、彼方ちゃんの家に泊まっていたの?」
突然、伊織が質問を変えた。少しだけ声色が変わったからどきりとした。
「――あ、絵里奈から聞いてくれたのか?」
「そう。学校復帰早々、幼馴染にすっぽかされた私に、あなたの優しい優しい妹さんが申し訳なさそうに説明してくれたのよ。『うちのバカ兄貴がごめんなさい』って」
「『バカ兄貴』って言っていたのか?」
「そうね。それに類する言葉――かな?」
「――勝手に作っただろ?」
「うーん、記憶が曖昧かな? ――あ、お詫びにってオレオを一枚くれたわよ。出来た妹よね――絵里奈ちゃん」
オレオの話は、本当っぽい。お菓子入れにオレオはあったはずだ。
「まぁ、絵里奈、伊織のことは慕っているからなぁ。リアルなお姉ちゃんとして欲しいんだろうな」
「本当? 嬉しい。私も絵里奈ちゃんみたいな妹なら欲しいよ」
「それ言ったら、喜ぶと思うぜ」
「じゃあ、今度言ってみるね。……って、じゃなくて、――それで昨日はどうして、彼方ちゃんの家に泊まっていたの?」
ぐるっと回って質問がもとに戻ってきた。
絵里奈が伊織に、どこまで説明したのかはわからない。
だけど一度決めた事実。口裏は合わせないといけない。
記憶を注意深く確認して、僕は事実を説明する。
「ちょっと予備校の帰りに、貸していたものを取りに立ち寄ったんだよ。そしたら、話し込んじゃって、気づいたらそのまま寝てた」
「ふーん。……次の日、私が迎えに行くって言っていたのに、それよりも彼方ちゃんとのお喋りを優先したってことね?」
「そういうわけじゃないんだけど、……うっかりしていた。――ゴメン」
僕はそう言って両手を合わせた。
「まあいっか。許してあげる」
そう言って伊織は、体育館の壁から背中を離すと、両足で跳ねた。
僕の方を向いた伊織は、首を傾げる。
「――でもね、誠大。わかってる? 自分の言っていることの意味」
「自分の言っていることの意味――って何だよ? うっかり彼方の家に泊まったしまったってこと?」
「――そう、それ」
幼馴染が人差し指を立てる。
「誠大はさ、彼方ちゃんのことをずっと友達だと思っている。だから男友達の家にうっかり泊まってしまったっていう体で説明している。――とても無邪気に」
「――ああ、――そうだな」
「でも違うよね?」
「何が?」
右手を下ろして、南伊織は目を細める。
「宮下彼方ちゃんは女の子なんだよね? 川原誠大は誰よりもそれを応援して、そうなることの背中を押した張本人なんだよね? ――それなのに、誠大はいつまでも彼方ちゃんのことを女の子扱いしていない。――誠大だけがいつまでも、彼女のことを男の子扱いしているのよ」
「――それは……」
彼方の儚げな笑顔が脳裏に浮かぶ。
いつも僕の近くにいて笑っているけれど、時折見せる寂しそうな笑顔。
「昨日、誠大は本当の恋人でもスワップ恋人でもない女の子の家に外泊したんだ。――これはもう間違いなく浮気だよね?」
伊織は眉を寄せて、僕のことを怒ったように見つめる。
その仕草はいかにも演技で、本当に怒っている風ではなかった。
だけどその指摘は、僕の深いところに突き刺さり、――僕を身動きできなくした。
「――ねぇ、誠大。――一応、確認だけど」
「――何?」
体育館裏の小道を冬の風が吹き抜ける。
伊織は揺れたスカートを両手で押さえた。
「昨日の晩だけどね。――本当は咲良ちゃんの家に泊まったとか……無いよね?」
「――そんなわけないだろ?」
僕はそうやって、南伊織に嘘をついた。
*
嘘をつくと、どうしても心のなかに澱がたまる。
多少の澱ならそのうち自然に浄化される。
だからそれが増えすぎる前に、僕は道を見つけなければならない。
伊織をこれ以上傷つけない道を。
だからと言って、咲良をただ突き離すことも僕にはできないみたいだ。
それならば僕はそれらを満たす道を選ぶべきだろう。
2月4日まで続く、この恋人
だけどその期間も、僕らが安全に生きられるとは限らない。
転生聖女の不穏な動き。
橘遥輝の読めない行動。
不確実性に満ちた存在が、不安を生む。
未来を不透明に濁らせる。
それならば僕は、せめてその一方と、手を結ぶべきだろう。
たとえそれが悪魔との契約であったとしても。
*
朝の鐘が鳴る寸前。3年B組の教室。
扉を開けると、伊織と二人で足を踏み入れた。
向こう側で、伊織の姿を見つけた篠崎澪が大きく手を振った。
僕の幼馴染も「久しぶり〜」と明るい声を出して、駆け寄っていく。
一週間の休みを経て、復帰した伊織に、クラスの視線も柔らかい。
先週あった事件が、もうクラスメイトの中で風化していることを、僕は願った。
僕は教卓近くの優等生の座席に立ち寄る。
その男にだけ聞こえる声で、僕は囁いた。
「――なぁ、橘。――話があるんだけど。――放課後、時間もらえるかな?」
橘は顔を上げると、目を細めた。
イケメン顔で、口角を微かに上げて。
「もちろんさ。――浮気者の川原誠大くん」
橘遥輝が、どこまで何を知っているのか、――僕はまだ知らない。
――――――――――――――――
(あとがき)
今日もお読みいただきありがとうございます!
「――え? 誠大、咲良振るの諦めてんの? 軟弱すぎひん?」
「――え? 伊織さんのご家庭もなんかあったんすか?」
「久しぶりの橘とのマッチアップ! 今度は誠大、言いなりになるんじゃねーぞ!」
などと思われた方は、ぜひ応援(☆☆☆評価)&フォローいただいた上で、
――また続きを読んでもらえたら嬉しいです!
★2023/03/01更新
KACが始まったのと、仕事のタスクがかなり危なくなってきたので、更新滞りそうです……。
ゆるりとお待ちくださいませ。
恋人をスワップ、君にリトライ ――ずっと好きだった幼馴染と僕はまた恋を始める。 成井露丸 @tsuyumaru_n
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