第11話 恋人交換初日と新海誠(京都・二条駅)[2023/1/5 Thu]
目が覚めるといつもの白い天井だった。
屋根の傾斜をお洒落に反映した白塗りを仕切るように茶褐色の梁が走る。
父親の趣味で建てられた家らしい。
昨今の普通の家に和風モダンな感じを融合。
父親は十年も住めなかったわけだけれど。
それでも、なんだか心に現実感はない。むしろ浮遊感がある。
自分はどこかパラレルワールドへと飛ばされているのではないか?
記憶が確かなら、今日から始まるのだ。
この朝から、僕の彼女は南伊織。
そして僕の彼女だった伊東咲良は。遥輝の彼女ということになる。
1月5日から2月4日まで。
一ヶ月限定の恋人
その約束(もしくは契約)の内容を脳内で反芻する。
背中からぞわぞわとした感覚が這い上がってきた。
それがただの違和感なのか、恐怖なのか、興奮なのか、自分自身でもよく分からない。
枕元をまさぐる。充電していたスマートフォンが手に触れた。
画面をスワイプしてLINEを立ち上げると、四人のグループLINEを探した。
一瞬、目的のスレッドを見つけられず、何度かスワイプ。
五秒ほどして目的のアイコンを見つけると、その行をタップした。
僕がさっきすぐに目的のスレッドを見つけられなかった理由は簡単だった。
グループ名が変わっていたのだ。
昨日までは四人の名前をただ並べたグループ名だったのに。
【恋人交換プロジェクト】。それが新しいグループ名だった。
「――誰の趣味だよ」
――たぶん、まぁ、橘だろう。
グループLINEの会話を遡る。昨日の会合で橘が共有した四箇条。
それ現実で、今日から恋人
今日から、幼馴染――南伊織は僕の彼女になる。
心の奥の何処かで、小さな僕がガッツポーズをしていた。
でも今更、彼氏と彼女だなんて、なんて現実感のないことだろう。
幼稚園時代からの付き合いの伊織。
きっとそれは彼女にとってもそうなのだろう。
ずっとうじうじと思っていた僕以上に、余計に。
『なんで、あんたが私の彼氏なのよ。1メートル以上、近づかないでよね』
とか言ってくるに違いない。
『そっちこそ』
なんて、僕は返してしまうのだろう。
伊東咲良は橘遥輝の彼女になる。
咲良は僕にとって初めてできた彼女だ。
ベッドに顔を埋めて、鼻で息をする。
昨日、咲良が後にした白いシーツの残り香が、吸い込まれていく。
ガストから咲良と二人で家に戻ると、それから僕らは部屋に二人っきりだった。
午後3時前から夕方の6時前まで、ずっとベッドの上にいた。
何も裸で抱き合っていたわけじゃない。
だけどお互いの体温を感じ続けてはいた。
いろいろ話をしたり、一緒にスマホゲームをしたりしていた。
咲良は僕の母親が帰ってくる前に、帰っていった。
家を出る時、咲良は、いつも以上に、少し名残惜しそうだった。
そのちょっと寂しそうな表情が、なんだか逆に嬉しかった。
彼女が僕を思っていてくれることを確認できたようで。
ちなみに咲良は、僕の母親と会うのを避けたがる。
家族と会うのが、あまり得意じゃないらしい。
高校生なのにやることはやっている気不味さもあるのかもしれない。
そんな彼女が、今日からは橘の彼女なのだ。
形の上だけだとしても。橘の彼女を「演じる」のだ。
咲良が橘の彼女として振る舞っている姿を想像する。
心穏やかでいられるかと言われると、もちろんいられるはずがない。
橘が咲良の手を握っているシーンを想像するだけでも、胸を掻きむしりたくなる。
それならなんで恋人
そう指摘されるのは当然だ。自分でも、馬鹿だと思う。四人共、馬鹿だと思う。
それでも、僕は倫理観なき、この一ヶ月を過ごそうと思う。
その「馬鹿」さ加減が、僕にチャンスくれるなら。
*
「――誠大、絵里奈と映画でも見に行かない?」
ベッドから抜け出して、一階に降りると、母が珍しくリビングで寛いでいた。
父親が死んでから、母親は正社員の仕事に本格復帰して、常に忙しそうだ。
「なんの映画?」
「すずめの戸締まり」
隣でiPad miniを掲げながらゴロゴロしていた絵里奈が、顔を上げた。
「――新海誠ね」
「そうそう。二人とも友達と行っちゃったかな、と思っていたら絵里奈もまだだっていうし、誠大もまだなんでしょう? 彼女さん――伊東さんと行ったのかなと思ったけど」
「――彼女、新海誠はイマイチなんだ」
「ほらね。お兄ちゃん、行ってないでしょ?」
「そっか。残念ね。でも、いいじゃない。久しぶりの家族団らん。お母さん、冬休みに一つくらい思い出が欲しいわ」
そう言って、母親は甘えたような顔をした。
それを拒絶する理由なんて、僕には当然なかった。
「いいよ」
「じゃあ、早速チケットね。絵里奈、iPad貸して。あ、ていうか座席予約してよ」
「えー。どうせクレカ情報いるんでしょ? だったらお母さんやってよ」
「それもそうね」
タンス脇に置かれたトートバッグから、母は携帯を取り出した。
和柄のケースに入った白いスマートフォンだ。
新海誠作品といえば、なんとなく家族で行くイメージがある。
だからまだ見に行っていなかったというのもある。
一般的にはそうでなくても、我が家ではなんとなくそんな感じなのだ。
咲良と見に行かなくても、友達、たとえば彼方と見に行くという選択肢もあった。
ただ、僕にとって、――きっと僕らにとって、新海誠作品は微かな痛みも伴う。
6年前『君の名は。』は家族4人で見に行った。
あの頃は父親もまだ元気だった。僕もまだ小学生だった。
中学受験勉強の合間を縫って見に行ったことを覚えている。
しんどかった時期だったけれど、すごく面白くて、いろいろ疲れが吹き飛んだ。
それに加えて、上映後、父親がやたら興奮していたのが印象的だった。
3年前『天気の子』は家族3人で見に行った。
父親が死んで、まだ一年が経っていない頃の話だ。
物語の中でヒロインが消えてしまいそうになる部分で、泣きそうになった。
自分が犠牲になって世界を守ろうとするヒロインに父親を重ねたのかもしれない。
――そんなことを思い出してしまうんだ。
*
誠大
〉今日は家族で、『すずめの戸締まり』を見てくるよ。
[既読 11:54]
*
遅めの朝食を食べた後に、家族で二条駅前のTOHOシネマズ二条へと向かった。
母親の運転で。僕は助手席で、絵里奈は後部座席。
自宅から映画館までは車で十分くらい。
ここで目的の映画がやっていないときは京都駅前のイオンまで行くことが多い。
時間的に車だと三〇分くらいかかるし、電車でもちょっと面倒くさい。
いずれにせよ、今回は近場で見れるということで良かった。
上映は12時15分からということで、昼食を考えたら中途半端な時間。
母と妹は、一階のパン屋で一つずつパンを買って小腹を満たしていた。
オンライン予約したチケットを受け取ると、僕らはシアターへと吸い込まれた。
三人で一緒に食べる、Mサイズのポップコーンを買って。
二時間の映画はあっという間に終わった。
「よかったね~。ねぇ、お母さんは『君の名は。』か『天気の子』か、『すずめの戸締まり』かどれが一番好き?」
映画館を出て昼食を食べるお店で並んでいる時に、絵里奈が尋ねた。
「う〜ん、……『君の名は。』かな?」
「へ〜、どうして? 私は『すずめ』が一番かも」
「……どうしてもよ」
そう言って、母は柔らかい笑顔を作った。
きっと誤魔化すみたいに。
その意味が、僕にはわかった、と思う。
つまり、母にとっては『君の名は。』が、これからもずっと最高の作品なのだ。
家族4人で見に行った『君の名は。』が。
これから新海誠が、どんな名作を作ったとしても、それは変わらないのだ。
*
遅めの昼ごはんを食べて、家族3人でちょっと買い物。
それから家に帰ると、もう時計の針は5時半を差していた。
母親はこれから夕食の準備をするという。
絵里奈は冬休みの宿題ということで、部屋へと引っ込んだ。
僕も部屋に戻って、ベッドに倒れ込んだ。
LINEを開く。咲良とのチャット画面を開く。――いつもの癖で。
映画に出かける前に送ったメッセージに返信はなかった。
既読はついているのに。
――「既読スルー」か。
いつもはそんなことないのに。
心がざわつく。無性に。
だから僕は音声通話ボタンを押した。
五回ほど呼び出し音が鳴り、回線はつながった。
『――誠大くん? どうしたの?』
「あ、いや、……どうしてるかなって」
『うん。……今は宿題やっていたけれど。――ちょっと待ってね。……よい、しょ、と。……大丈夫だよ』
「どうしたの?」
『え? あ、ちょっと移動しただけ』
「誰かいるの?」
『いないよ? どうして?』
「――いや、なんとなく」
何故自分がそう思ったのか、わからなかった。
『それで。――何かな?』
「いや、いつも通りだけど。どうしているのかなって。昼前に、LINEにメッセージしたけど、返事も無かったし」
『あ……、ごめんね。……やっぱり返した方が良かったよね? ごめん』
「いや、謝ってもらうほどじゃないんだけどさ。いつもなら結構すぐに返ってきていたから、――どうしたのかなって」
言いながら、なんだか「未練がましい男」みたいだなって、なんとなく思った。
『――あ、うん。ちょっと迷ったんだけどね。今日から一ヶ月、私たち恋人同士じゃないわけだから、LINEとか、そんなにしない方がいいのかなって』
「そうなんだ。でも、彼氏彼女じゃなくてもLINEのやりとりくらい普通にすると思うけどな……」
『え? そう? しないよ? 私、男の子と誠大くん以外にそんな頻繁にLINEとかしなかったし』
「あ、そうなんだ……」
『うん、そうだったよ。誠大くんは他の女の子ともLINEいっぱいしていたの?』
「いや、そういうわけじゃないけれど。――でも、まぁ、無理に意識しすぎること、ないんじゃないかな? 恋人
『――でも、『LINEのやりとりくらい』って言われても。それって結構大きくない?』
なんとなく嫌な予感がした。
「――橘に何か言われたのか?」
『そういうわけじゃないけれど』
僕の胸の中に広がりだした
咲良のくれた否定文は、それを綺麗に消しさりはしなかった。
『でも、ちゃんと恋人
「まぁ、――そうだな」
僕には「家族で映画を観に行くよ」宣言が、恋人にしか送れないメッセージだとは思えないけれど。そんなことを蒸し返すのは、やめておいた。
『でも、なんだかごめんね。やっぱり『既読スルー』は良くないよね?』
「いや、まぁ、それはあまり気にしなくていいけれど」
電話越しに『うん』と咲良が小さく頷いた。
「とりあえず、恋人
『ありがとう。――でも、大丈夫だよ。誠大くんこそ、無理しないでね』
「――うん」
そうして僕らはLINE通話を切った。
表面上は特におかしなところもないやり取り。
でも僕は、どこかに微かな違和感を覚えた。
単に僕が、今の状況に、順応できていないだけかもしれないけれど。
*
そうこうしている間に、1月5日の太陽は西の空へと落ちた。
恋人
「――ごめん、誠大。玄関出てくれる?」
家の中にインターフォンの呼び出し音が鳴り響いていた。
「はーい」
母親に了解の旨、返事をすると、僕は玄関に向かった。
十中八九、Amazonの配達か何かだろう。
1月5日の年始からNHKの集金ということもあるまい。
玄関口でサンダルを履き、扉を外開きに開いた。
「誠大。あんた恋人
開け放たれた扉の向こうには、両手を腰に当てた幼馴染が仁王立ちに立っていた。
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